脇指 無銘(千代鶴)~越前来~

脇指 無銘(千代鶴)~越前来~

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/336/00.html

脇指 無銘(千代鶴)

越前千代鶴派は来国安門人の千代鶴国安を祖とすると云われる。故にこの一派を越前来とも呼称します。南北朝時代の貞治頃に始まり、以後この一派は室町時代迄続き、応永頃には守弘等、明応頃に守房等がいます。

この脇指は特筆すべき疵欠点無く、三ツ棟とし、板目肌よく練れた地鉄には、一際黒い鉄交じり、小沸本位の匂口は明るく、互ノ目に丁子交じり、足よく入り、大粒の沸が刃縁に絡んで地にこぼれ、砂流がかかるなど、非常に良く纏め上げられた出来口です。
中心に剣の彫りの名残があり、三鈷柄付剣が彫られた絢爛なるうぶの姿を想像することができる逸品です。

裸身重量430グラム。 拵に納めて鞘を払った重量692グラム。

己の中心を護り、敵の中心を捕る

今夜の定例稽古課題。

 

・初伝居合形五本目迄。丁寧にゆっくりと抜く。

・模擬刀での紙斬りを少々。

・各々で稽古したい形を抜く。速さについてもそれぞれに任せる。

・剣術(鐔留)

 

動画を撮ろうかと思っていたのですが、稽古に集中して撮り忘れてしまいました。

また機会があれば御紹介致します。

剣術“鐔留”は、怖がって横に逃げたり、腰を捻る動きでは、自ら自滅してしまいます。己の中心をしっかりと護りながら、敵の中心を瞬時に捕ることが成功の秘訣。

地に伏す相手を斬る ~八重垣等での斬り下ろし~


切り倒しまたは引き倒して、地面に伏す相手を真向に斬るには、振り下ろす刀を地面すれすれでビシッと止める技術が必要。
この動画は刃がついていない居合稽古用模擬刀を用い、低い位置に垂らしたコピー用紙を、地に刀を当てずに斬る様子を映しています。

剣士の腕は鯉口を見れば判る。

http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/39cbfd766ef65f7748874e7d66a61d4c
剣士の腕は鯉口を見よ

渓流詩人さんのブログを御紹介します。
実に感慨深い内容が記されており、同感であります。

ゆっくりと正確に形を稽古する

居合術は刀を抜き差しするだけの武術ではありません。
身体操作を身につけるにおいて、日本刀という物差しを用い、形稽古の中で無駄な動きを排し、身体本来の動きを探求するものです。

故に速抜きでの形稽古は初伝之抜、中伝之抜、奥伝之抜の三伝をしっかりと身につけた後に初めて行うものであり、速抜きを行うと言うよりは、必然的に速くなっているというのが理想かと考えます。
昨今、居合の形稽古において鞘を削る、割ってしまうという方がおられますが、そう言った順序を無視し、三伝を身につけていない状態で速抜き稽古を行ったり、速抜きすることこそが居合、剣術だと勘違いした稽古をするから、刀身にヒケ(擦り傷)をつけたり、鞘を無駄に壊してしまうのです。

数字を覚えた程度で因数分解はできないのと同じです。足し算引き算、掛け算割り算と言った、基礎をしっかりと身につけて初めて因数分解ができる。
自身の愛刀の鞘を覗き、削りカスや切り傷があるようでは、まだまだ速抜き稽古が出来る段階ではありません。

急いては事をし損ずる

昔の人はこのような言葉も残しておられます。
焦らず、楽しく、ゆっくりと稽古を重ねましょう。

初伝居合形

無双直伝英信流町井派を改め、修心流居合術兵法に名を変えてからは、本家を名乗る無雙直傳英信流の連盟や団体に遠慮することがなくなり、思いのまま、気の向くままに自由に稽古をするようになりました。
形を通して身体捌きを身につけるにあたっては、初伝形も初伝之抜、中伝之抜、奥伝之抜と三種にわけ、それぞれのレベルに合わせた稽古を行っています。

ざっくばらんにその違いを記しますと、初伝之抜では両手を刀にかけるまでの動きに特徴があり、横一文字の後の振りかぶりまでの動きでは両手にて受け流す形を作りながら行います。中伝之抜では半身のきりかたが初伝と異なり、両手で受け流す形だったものを片手で行います。一般的な英信流の居合に見る形に近いですね。奥伝之抜では両手のかけ方が手からではなく、肘の抜きにて行い、振りかぶりは片手受け流しまたは中心立ての要領で行います。

それぞれ納刀の動きも異なり、初伝之抜でははばき元から。中伝之抜では刀身の中程から。奥伝之抜では物打からとなるのですが、正面から見るとこの三伝の納刀はいずれも同じ動きに見えます。

他流や他道場では、奥納刀と言えば手首をくるっと返し、切先納めますが、修心流では独特の術理があって、こうした奥納刀を良しと考えておりません。あくまで三伝の納刀はいずれも同じ動きでなければならないのです。その理由についてはここでは触れません。

速さとは自ら速く動くものではなく、無駄の無い動きの中で自然と出来上がってくるものだと考えています。
故にゆっくりと丁寧に反復して居合形を抜く稽古を重ねるのです。
ゆっくりと正確な動きができないのに、速く動いてもそれは無駄な動きの塊であり、隙多き動きなのです。

刀 兼定(銀象嵌銘) ~附 朱乾漆石目地夕顔文抜塗鞘打刀拵~

刀 兼定(銀象嵌銘) ~附 朱乾漆石目地夕顔文抜塗鞘打刀拵~
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/539/00.html
刀 兼定(銀象嵌銘) ~附 朱乾漆石目地夕顔文抜塗鞘打刀拵~

兼定は孫六と並び称される美濃刀工で、関七流奈良太郎系の鍛冶と言われています。
初代兼定は三阿弥兼則の子で兼長に学び、子の二代兼定(之定)、孫の三代兼定(疋定)と区別するために「親兼定」と呼ばれます。

二代兼定(吉右衛門尉)は「定」の字をウ冠の下に「之」と記す独特の書体で切ることが多いことから、「之定」(のさだ)と通称され、孫六兼元と並んで「末関」の双璧をなし、永正8年(1511年)に「和泉守」を受領。
斬味では最上大業物としても名高く、江戸期には「千両兼定」とも呼ばれ、数多の著名武将が好んで所持しました。有名なところでは武田信虎、織田信澄、柴田勝家、細川忠興(三斎)、明智光秀などが所持したほか、池田勝入斎の「篠ノ雪」は高名です。

三代兼定は銘の「定」字を「疋」と切ることから「疋定」(ひきさだ)と通称されています。

この刀は兵庫県下の旧家より出たうぶ品で、指裏の帽子に一部錆、所々にヒケが見られますが、刀自体の出来は非常に良く、杢目肌良く練れて肌立ち、匂口に沿って乱れ映りが判然と立っています。匂口は明るく、尖りごころの互ノ目を交え、焼き頭は締まりごころに、谷はよく沸づいてふわりとし、足盛んに入り、金筋砂流かかり、見所多い出来口となっています。

附属の拵は銀無垢の牡丹図揃金具を贅沢に用い、朱乾漆石目地に夕顔文を抜き塗りした、粋で落ち着きある鞘塗に仕上げ、布地片手巻の柄には全体に黒漆がかけられ、強固な印象を与えるも、水辺芦鷺図の目貫が無骨な中に柔らか味を感じさせます。鐔は鉄地の雲文透波貝図で耳には銀覆輪をかけ、切羽は上下四枚組とし、中に納まっている銀象嵌銘兼定刀に相応しく、実用面を重視しながらも、上品且つ豪華に仕立てられており、質実剛健なる細川忠興を連想させる逸品です。

裸身重量721グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,068グラム。

刀 無銘(越前重高)

刀 無銘(越前重高)
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/538/00.html
刀 無銘(越前重高)

初代越前住播磨大掾藤原重高は、新刀期越前を代表する刀工で、新刀鍛冶工系譜に関兼則末葉又は門人とも伝えられています。 初・二代は受領ありそれ以下は受領無しと伝え、作風は良く出来た作に肥後大掾等に似るもの又日向大掾貞次等に似る作風のもの、互の目乱れ直刃等地鉄は板目、小板目の肌立ち心のものが多く見られます。銘字は初・二代とも『越前住播磨大掾藤原重高』を冠して、初代は重高の銘をやや横広に切り、二代は『重』の銘の中の『田』の上空間を縦長に、又『高』の銘字も縦長の形状になります。作刀は、初代は少なく、二代の作が多く見られます。

この刀は二代と思しき重高の作と極められた一刀で、地鉄は柾気強く鉄に小板目が交じり、良く練れて少しく肌立っています。

裸身重量737グラム。

居合中伝形“浮雲”

昨夜の本部道場定例稽古では、初伝形全11本を抜き、その後中伝形を一本目から四本目まで抜かせました。

四本目の浮雲から、手順が覚えられず苦労する門弟が多いです。

教える側としては、さして難しいことをしているわけではないので、一回で形を覚えて欲しいと言う思いがあるのですが、思い返せば私も英信流修業時代は、浮雲の形手順を覚えるのに一苦労したものです。

形を単に形として覚えようとしては身にはつきません。形の想定やこの形で学ぶべき課題を理解できれば、自ずと覚えることができるものだと考えています。
長らく稽古を離れていた次男が稽古に参加したのですが、次男は形稽古が大の苦手。苦手と言うよりは嫌いと言う方が正確かもしれません。

そんな次男ですが、形の意味、稽古課題の意味を教えたところ、珍しく約一時間近く浮雲の形稽古を熱心にしていました。

現代居合が形演武ばかりで、実際に対人相手に稽古することから離れてしまったため、同じ形でも先生方や道場によって所作が異なります。
私はこういった所作の違いが発生することに対し以前から違和感を抱いていました。

全く同じ想定であれば、所作の違いが発生することなどないと考えるからです。

勿論、相手の腕の角度、抑え方によって、微妙に形は異なってはきますが、前述の通り、全く同じ想定であったのなら、派閥が誕生すること自体おかしいと思う次第です。

昨夜の稽古で形の意味、この形で学ぶべき所作を真摯に伝えたところ、門弟達も、次男も、理解してもらえたようでしっかりと稽古に勤しんでいました。
形は踊りや振り付けではありません。それぞれの動きに稽古課題があり、意味ある稽古メニューとして組み立てられているものです。
古の伝播者達の意向を汲み取り、真摯に稽古する姿勢が大切だと考えます。
私達現代人が、先人から学ぶべきものは、形ではなく、形の中に秘められた稽古課題なのだということに気付かなければ、居合術は上達しません。