神速の居合術 修心流居合術兵法DVD

神速の居合術 修心流居合術兵法DVD神速の居合術 修心流居合術兵法のDVDがBABJAPANより発売されます。

間違った形式美が慣習となってしまった現行の英信流系居合、特に英信流と神伝流を嗜まれている方には是非とも御購入頂き、武道居合と武術居合の違いを知って頂ければと思います。

修心流居合術兵法 剣術形九本目 ~冠落~

稽古を体系化していくために形を構築していく中、暫くその形を稽古していないと「あれ?○○ってどんな形だっけ?」と自分自身でもわからなくなることがあります。

今回御紹介するものも、以前は「鐔留」と言う名称で構築したものですが、毎回相手の刃が己の鐔に当るというわけでもないので、この度「冠落」と名称を変更しました。こんな風に業名を気軽に改編できるのも、新興流派ならではの特権だと考えています。

とりあえずどんな形だったのかをいつでも思い出せるようにと、今回は形の紹介を兼ねて動画を掲載した次第です。

この冠落という形ですが、己から仕掛けていくのと、相手の袈裟を待って応じるのとの二種あり、前者は業を成立させやすいものの、日本刀の体配と構造を考慮すると、刀への大きな損傷は免れません。一方後者はそれ相応なる技術が必要となりますが、刀への負担は少ないため、長く刀を使い続けることが可能ですので、私はこちらの使い方の方が日本刀には適っていると考えています。

美術刀剣 刀心WEBサイト不具合のお知らせ

今現在、美術刀剣 刀心WEBサイトが閲覧できない状態になっております。

また、美術刀剣 刀心のドメインメールアドレスも送受信できない状態にあります。

現在原因を調査すべく、WEB管理会社に連絡をとりましたが、本日は祭日ということもあり、すぐに対応してもらえないようです(困

ご不便をおかけいたしますが、WEB復旧まで暫くお待ち下さい。

愛刀の法量に関する質問について

私の愛刀の法量についてのご質問メールがございました。

まず最初に記載しますが、質問のメールを送られるのであれば、こちらからのメールを受信できる設定にしてからにしてください。

私は己の愛刀の法量を人に語ることは致しませんが、今回は珍しく、確定申告の提出準備で多忙な中返信さしあげました。

三度送信しましたが、全て先方のメール受信設定の都合でメールは届きませんでした。

今後は返信しても送れない相手に関しましては、一身上の都合により以降返信は致しません。悪しからずご了承下さい。

また、刀の法量についてですが、やたらと長さや反り、重量を気にされる方を見かけますが、私はそれを良しとは思っておりません。

正直言いますとオリンピックの水泳などを見ていても、人の実力だけで勝負しているのではなく、着用する水着によってタイムが左右されている様子にいささか疑問を感じている人間です。

私は居合を武術として捉えておりますので、軽い、重い、短い、長い、等と言ったことを全く気にせず、今手元にあるものをそのまま使うことこそ武術としての居合のあり方だと考えています。

よって、私が使用している愛刀将平(複数振)はそれぞれ長さも反りも、重さも異なります。

将平刀匠を応援する意味で、発注以外に打ちあがった作品も買い上げており、それらに拵をかけて使用しております。

短いものですと二尺三寸、長い物になりますと二尺九寸、様々な長さのものを斬る対象物や条件に合わせて使い分けております。

居合を嗜まれる方で重量を気にされる方には耳が痛い言葉となるでしょうが、敢えて記述させていただきます。

 

重さを感じるような振りしか出来てない。それ即ち腕が未熟なのです。刀は筋肉で振るものではなく、骨で振るものであり、それができれば2キロ近くあろうが、刀の重さは気にならなくなるものです。

 

居合を嗜まれる方、あなたが目指す居合が単なる競技スポーツであれば、オリンピック競泳水着同様に重さやバランスに拘っても構いません。しかし武術としての居合を目指しているのであれば、法量云々は気にせぬことです。

手元にあるものを己の身体の一部のように扱う。それが武術としての居合だと私は信じています。愛刀達

 

愛刀 BB弾斬将平

 

愛刀 BB弾斬将平

 

愛刀 BB弾斬将平

明義先禮以報忠 ~南部藩藩校明義堂の恩賜の刀~

明義先禮以報忠 南部藩藩校明義堂の恩賜の刀

明義先禮以報忠 ~南部藩藩校明義堂の恩賜の刀~

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/568/00.html

 

この刀には作者銘ではなく明義先禮以報忠と銘切られています。この銘にある明義とは、盛岡藩、別名南部藩の藩校である明義堂を意味するものと考えられ、本刀は盛岡藩校明義堂にて成績優秀であった士に贈られた恩賜の刀と推測され、礼を尽くし、いざと言う有事の際にはこの刀で忠義に報いよとの意味が込められたものでしょう。

古研ぎなので地鉄はふさってしまい、判然とはしませんが、手持ちバランスが非常に良く、小板目柾流れの地鉄に匂口締まりごころの直刃を焼いており、注目すべきは総体に判然と現れた直映りで、粗見すると単調な直映りに見えますが、仔細に見ると細かな乱れ映りを呈しており、鍛錬疵や埋鉄があるものの、粘りがあって折れにくい利刀であることを窺がい知ることができます。うぶ買い付け品であり、盛岡藩校と南部家の歴史が詰ったこの一刀、是非とも郷土に里帰りさせ、然るべき上研磨を施し、大切に後世に遺し伝えて頂きたく存じます。

裸身重量656グラム。

栃木県登録56番の大々名旧蔵刀

栃木県登録56番の大々名刀

刀  備前久光(額銘) 備州祐定上之

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/567/00.html

 

杢目肌が良く練れて詰んだ精美な地鉄には淡く映りごころがあり、匂口締まった直刃には、湯走が打除風に現れています。鍛錬疵等一切の破綻が無く、非常に良く出来た一刀です。

昭和26年大名登録の中でも2月と初期の登録で、登録番号は56番と二桁台。現在は伝来を証する書付等はありませんが、登録日を見れば宇都宮藩戸田家など、著名大名家の伝来品であったことが容易に窺がい知れます。
※本刀とその拵を居合、抜刀にご使用される方にはお譲り致しません。

裸身重量571ラム。  拵に納めて鞘を払った重量875グラム。

地刃冴えた見事な一刀

地刃共に出来最高の一刀


武州出羽守源光平

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/566/00.html

 

光平銘に関しては首肯できないため、出来が良い無銘刀としてお求め下さい。
地刃には一切の破綻が無く、小板目の精良な地鉄に大振りの互ノ目丁子乱れを巧みに焼き上げています。匂口明るく冴え、砂流が随所に見られ、覇気ある最高の出来口を示しています。
無銘にして是非とも保存刀剣審査を御受審下さい。
店主 町井勲のギネス6冠達成記念として、上研磨代を考慮した破格値で御案内致します。

裸身重量699グラム。

因州住藤原兼先  ギネス6冠達成記念特別価格

因州住藤原兼先

脇指 因州住藤原兼先

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/350/00.html

 

美濃の兼先は安土桃山時代頃に備前岡山に移住した後、近江、越前、加賀、越中、因幡などの各地に移住しました。因州兼先は池田家の国替に伴い、備前から因幡国へ移り、鳥取城下に鍛冶場を構え、幕末に至るまで繁栄しました。

元は二尺一寸程の短い打刀として鍛えられた刀です。短めの打刀は上士の指料に多く見られ、本刀も名のある士の腰にあったものと思われます。
※はばきの飲み込みを後に深く加工されているため、白鞘とはばきの間に隙間があります。

裸身重量570グラム。

刀  諸天田代大和守源朝臣兼信 萬歳美濃國安八郡神戸

刀  諸天田代大和守源朝臣兼信 萬歳美濃國安八郡神戸

刀  諸天田代大和守源朝臣兼信 萬歳美濃國安八郡神戸

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/565/00.html

 

兼信は南北朝より続く志津の末裔といわれ、室町期には善定派に受け継がれ新刀期に至っています。

この刀は数代続く兼信の中で、尖り互の目乱れ、三本杉を得意とする初代兼信の作で、大和守を受領した本工、田代(田城)初代は、通称源一郎、世に「源一大和」とも称される新刀美濃を代表する巧手で、源一兼元と同人という説もあります。二代兼信(角兵衛)も作柄は同様で三本杉を焼きました。二代以降は、茎尻がやや丸く、栗尻になるようです。
初代兼信は人気高い刀工で、大和守銘が切られるものは希少であり、その中でも特に長銘が切られた本刀は、兼信研究の上に於いても見逃すことができない価値ある一刀です。

平地を杢目、鎬地を柾目鍛えに、肌立った地鉄は美濃物ならでは。その精良な地鉄に匂口明るく冴えた湾れ調子の互ノ目を焼いています。厳しい尖り互ノ目三本杉の作風をしばしば経眼する田代兼信ですが、本刀は駆け出さんばかりに乱れの高低が大きく、総体に丸みを帯びた三本杉風の焼刃を構成しており、乱れの谷には沸筋絡んで砂流を呈し、初二代兼元に私淑した感が窺がえる作風となっています。
うぶ品ならではの珍しい兼信の良刀を是非この機会に御入手されてください。

裸身重量776グラム。

刀  無銘(仙台安倫)

刀  無銘(仙台安倫)

刀  無銘(仙台安倫)

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/563/00.html

 

安倫は江戸初期の承応頃を始祖として、その名跡が九代継承され、明治にまで及んでいます、痛切に、m江戸の大和守安定に学んだ安倫は初・二代と言われ、初代は初銘を倫祐といい、遊慶倫助の子で、余目五左衛門と少子、承応三年、大和守安定門に入り、翌明暦元年に没したと伝えられています。また、二代は初代の弟で、兄同様余目五左衛門と称し、明暦二年、弟籐八郎(安次・河内守國次養子)と共に江戸に出て安定門となり、のち帰国、おおいに活躍したと言われます。なお、仙台立て藩主綱宗公は鍛刀を好んで遺例がありますが、その相槌を行ったのはこの工のことであります。初代が早世の為に同工の安倫銘の作刀が見られないことから、二代が事実上の初代であり、世に二代を以って初代とする向きがあります。

この刀は小板目肌が良く詰み、杢が交じった鍛えに地沸が微塵につき、地景が細かに良く入り、匂口は明るく冴え、小湾れを基調に互ノ目を焼き、足よく入り、匂深で、沸が厚く付き、刃縁から地に向かって沸零れ、砂流かかり、庵棟のおろしをやや急峻に造り込んで、焼刃の湾れが所々角張る風を見せ、安倫の技量の高さを存分に示した作品です。
尚、数代続く安倫ですが、中でも二代は業物として知られています。

附属拵の角頭の大きさが合っておりませんので、新たに角頭を新調されることをお薦め致します。

裸身重量750グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,009グラム。