薩摩國住人國平 ~第20回重要刀剣~

薩摩國住人國平 ~第20回重要刀剣~薩摩國住人國平
– Satsumanokuni junin Kunihira –
 
國平は奥次郎左衛門と言い、叔父忠清の門に学び、初銘を忠金・包善と称しましたが、後に惣左衛門正房の門に入って國平と改名。享保の芝浜御殿鍛刀の折には正清・安代の後見として江戸に赴きました。
現存する作品は比較的少なく、華やかな互ノ目乱れの刃文、荒沸の激しい作をみせていますが、この刀はその傑作で、地刃の出来が比較的穏やかであり、匂口の冴えは見事です。
 
裸身重量1,232グラム。  拵に納めて鞘を払った重量971グラム。

於土州依秀方望左行秀淬刃之 慶應二年八月吉日

於土州依秀方望左行秀淬刃之 慶應二年八月吉日
於土州依秀方望左行秀淬刃之 慶應二年八月吉日
– Oite Doshu Hidemasa no nozominiyori Sa no Yukihide kore wo Saijin –
 
本歌の左行秀に見紛う程に良く鍛えられた大身槍。
明治以降になってから、左行秀に私淑した刀工によって鍛えられた写しものと思われます。
 
本作を鍛え上げるにあたっては、さぞかし苦労したことであろうと想像されます。強い沸を出すために、高い温度で焼き上げるには、一歩火加減を間違えると地鉄が割れる危険を伴います。いくつも作品をダメにしながら、ようやく辿り着いた左行秀に迫る出来口。
 
柾目主体に刃縁に杢目を交え、地景入り、焼刃明るく冴え、総体に砂流や金筋が見事に現れ、刃中の杢目に絡んで複雑な働きを見せ、躍動感に溢れる激しい出来口は見事の一言に尽き、丁寧な仕事がされた上研磨が、本作の良さをしっかりと引き出しています。
 
銘に関しては首肯しかねるものの、無銘大身槍として考えても、これだけの出来ですから表示価格はけしてお高くございません。むしろお安いはずです。
「真に迫った出来口を示す名槍だ」と、本槍の真価を是非とも共有下さる方にお譲りしたく思います。
 
裸身重量710グラム。

今夜の稽古

仕事の都合で30分程遅れて稽古場に入る。

既に門弟達は初伝形を稽古中でした。

一通り初伝形を終えた後は奥居合立業の形を。

続いて木刀を使って自由組太刀。

最後に四方投げの稽古。

無銘(田代兼信)

無銘(田代兼信)
無銘(田代兼信)
– Mumei(Tashiro Kanenobu) –
 
兼信は南北朝より続く志津の末裔といわれ、室町期には善定派に受け継がれて新刀期に至っています。 この刀は数代続く兼信の中で、尖り互の目乱れ、三本杉を得意とする初代兼信の作で、大和守を受領した本工、田代(田城)初代は、通称源一郎、世に「源一大和」とも称される新刀美濃を代表する巧手で、源一兼元と同人という説もあります。二代兼信(角兵衛)も作柄は同様で三本杉を焼きました。二代以降は、中心尻がやや丸く、栗尻になるようですが、数代続く兼信の中でも初代兼信は人気高い刀工で、大和守銘が切られるものは希少です。
 
この刀は常に散見する仰々しい尖り三本杉とは趣を異とし、斜め45度程に逆がかった尖り互ノ目を交えた互ノ目丁子乱れを焼いた作品で、一際長い尖り互ノ目の先は、まるで火炎のような様相を見せ、小さな飛焼や大きな飛焼にも変化しており、あたかもこの刀自体が燃え盛る炎の様相のように感じさせます。上手な差込研ぎを施し、更に火炎の様相を引き出したい一刀です。
 
附属の拵は縁頭、鯉口の口金、鐺と、全て一作によるもの。金梨地塗りの鞘は状態が良く、未使用と表現しても過言ではありません。鐔のみが後世に替えられているようで、切羽一枚分隙間が空いています。お手持ちの時代物の雰囲気良い鐔に交換され、拵の価値も上げて頂けると幸いです。
 
裸身重量731グラム。  拵に納めて鞘を払った重量971グラム。