伝 津藩藤堂家伝来 大磨上無銘越前兼則

越前兼則 伝 津藩藤堂家伝来
無銘(越前兼則)
– Mumei (Echizen Kanenori) –
 
桃山時代、越前国で活躍した越前兼則の良刀です。
兼則は室町時代後期に美濃関で活躍し、後に越前一乗に移り住んで鍛刀した越前刀工で、銘鑑によると「慶長五年」紀の作品や「関ヶ原御陣作之」と所在地名を添えた作品が残されている事から、その製作時期を窺い知る事が出来、その刃味凄まじく、良業物としてもその名を轟かせる名工です。
 
この刀は三重県の伊勢、伊賀を治めた藤堂家伝来品と伝える品で、登録証紛失により現登録証では昭和34年の登録年月日が記載されていますが、登録番号は78番と非常に若く、初期登録が昭和26年大名登録であったことと、藩政時代には直江志津兼友として大切に伝来されてきたことが窺がい知れます。
 
緻密に練られた小板目肌には一切の破綻が無く、明るく冴えた匂口には大粒の沸が盛んに付き、金筋や砂流が随所に見られ、激しくも情緒豊かな情景を見せています。
 
御手頃価格で著名大名家伝来の名品をお探しの方、家宝に相応しい一刀をお探しの方に心より推挙いたします名品です。
 
裸身重量748グラム。
※本刀は委託品です。

修心流居合術兵法 脇指組居合居業之部

昨夜の稽古は暴風雨のため柳原とマンツーマン稽古でした。

柳原にとっては贅沢な稽古時間(笑

小手返しのコツをようやく身につけることができたようです。

越前守源信吉 - Echizennokami Minamoto no Nobuyoshi –

越前守源信吉 - Echizennokami Minamoto no Nobuyoshi -
越前守源信吉
– Echizennokami Minamoto no Nobuyoshi –
 
越前守信吉は初代信濃守信吉の三男で、山城国平安城に住して槌を振るいました。同銘が数代続く信吉の中でも越前守信吉が最も技術が高く、明暦頃から元禄にかけての作品を残しています。
 
この刀は反り程好、一見単調な直刃に見えるも、仔細に鑑ると刃縁に細かな変化が見られる玄人好みの一刀。昭和26年の岐阜県大名登録であることから、伝来の良さもうかがい知ることができます。
お求め易い価格にて御案内致しますが、居合や試斬のお稽古用としてお求めされるお客様は、申し訳ございませんが、本刀とそのうぶの拵の保存愛護のためにも御購入をお見送り頂くか、或いは稽古用の拵を新調されることを前提にお求め頂ければ幸いに存じます。
 
裸身重量722グラム。  拵に納めて鞘を払った重量984グラム。

無銘 ~上研磨仕上がりほやほや~

無銘 ~上研磨仕上がったばかり~
無銘
– Mumei –
 
兵庫県下よりうぶで買い付けた古刀仕込みの陸軍刀です。
当店にて上研磨を施しました。
地鉄は板目杢交じりでよく練れて肌立ち、匂口沈みごころで直刃調に小湾れや互ノ目を交え、横手下には二重刃風の刃も見られます。
一切の曇り無き清々しい研ぎ澄まされた地刃をご堪能下さると共に、是非とも保存刀剣鑑定を御受審下さい。
 
裸身重量618グラム。  拵に納めて鞘を払った重量964グラム。

無銘(末三原)

無銘(末三原)
無銘(末三原)
– Mumei (Suemihara) –
 
備後国三原派は、備前・備中の両国に近いが、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しています。 従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、最近では鎌倉末期の国分寺助国を祖とするという説が有力となっています。 三原派は、年代で大きく三つに分かれ、南北朝より以前を古三原、室町初中期を三原、室町末期を末三原と呼称しています。 また、三原派は古い時代から評価が高く、現在でも国の指定である重要文化財や重要美術品などに多くの作刀が指定されるなど、斯界で高く評価されています。
 
この刀は先反り(腰反りよりやや上から反る)で元先の差が開いた上品な姿をしており、粕立った大肌に湾れ調子の直刃を焼いた作品で、刃中変化に富み、小足が入るなど古雅な作風を示しています。一般的に末三原と言えば刃中の働き乏しい単調な直刃出来のものが数多経眼されますが、本刀はその出来口から、末三原と言うよりは三原(室町中期)と鑑る方が自然なように思われます。
 
裸身重量590グラム。

無銘(法華) ~南北朝末期~

無銘(法華)
無銘(法華)
– Mumei (Hokke) –
 
鎌備後国法華とは、三原派とは別系の備後国葦田郡の国分寺跡に於いて鍛刀した一派を指し、その祖を助国と伝え、日蓮宗の信者に支持されていたとも云われています。 現在の鑑定基準として、法華極めの無銘物は、南北朝~室町初期にかけての作とされています。
 
この刀は総体に淡く映りが立ち、匂口沈みごころの直刃調小乱れを焼いた作品。鎬に彫られた二本樋の棟側チリが幅広く、これもまた本刀の特徴の一つと言えるでしょう。
600有余年の長き月日を生きてきた本刀を手に、遥かなる歴史浪漫をお楽しみ下さい。
 
裸身重量555グラム。

別人長光

長光

長光 - Nagamitsu –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/662/00.html

長光と言えば備前の長光がまず思い出されますが、同銘工は大和國をはじめ、他の諸国にも確認されております。本刀は『長』の字を独特の書体で銘切っており、俗に言うところの別人長光(備前長光とは異なるという意味)正真と鑑せられる一刀です。
平地、鎬地共に、肌が荒れた感じの部分が見られますが、掲載しております写真は、撮影時の照明の加減により、いささか肉眼で見るよりも、肌の荒れが目立って見えるもので、実際に手にとってご覧頂きますと、写真程いやらしさを感じません。
また、手持ちバランスが良く、刀身自体軽目ですので、居合の稽古には頗る使い易く、必ずや御満足頂けるものと自負致しております。
※木はばき

裸身重量555グラム。

無銘(兼辰) ~上杉家お抱え工。春日山城でも作刀した名工~

無銘(兼辰)
無銘(兼辰)
– Mumei(Kanetoki) –
 
兼辰は室町時代初期から江戸時代の新刀期にかけて同銘を数える美濃を代表する刀工です。名工として名高い兼常と所縁あり、上杉家のお抱え工として春日山城に於いても作刀していました。
 
この脇指は身幅が広く、寸法の割りに反り深めで、掟通りの桧垣鑢に尖り刃交じりの互ノ目乱れ。匂口を深く焼いているのは組討時の折損を避けるための実用を選んだためと推測され、区に見られる研ぎ溜まりや、刃区を下げられている点などから、相当に働いてきた様子と戦国時代当時の世相を窺がうことができる浪漫溢れる一刀です。
 
現状では惜しいかな切先先端が僅かに欠けています。部分研磨ご希望の方はお気軽にご用命下さい。
 
裸身重量306グラム。