源秀永於日出造之 明治二年八月吉日 ~三日月宗近を彷彿とさせる打除見事な名薙刀~

源秀永於日出造之 明治二年八月吉日 ~三日月宗近を彷彿とさせる打除見事な名薙刀~
源秀永於日出造之 明治二年八月吉日
– Minamoto no Hidenaga Hijinioite korewotsukuru-
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/nagae/028/00.html

天保十年十二月二十二日に豊後国海部郡臼杵に生まれる。幼少より叔父延竜子長秀に随して刀匠の業を学び諸国を遍歴し、肥前忠吉・肥後延寿・大村重秀・薩州正良・武州信秀・久留米信秀・筑前信國等々鍛錬の術を講究した刀工。号は一心子。安政六年頃より豊後国日出に住し、慶応元年日出藩木下飛騨守のお抱え工となりました。
※日出藩は豊後国速見郡に存在した藩で、反ソは豊臣秀吉の正室高台院の兄、木下家定の三男であった木下延俊。

この薙刀は明治二年、秀永28歳時に鍛え上げた作品です。小板目肌が良く練れて詰むも少しく肌立ち、地景入り、明るく冴えた互ノ目乱れは、刃中に足や砂流を随所に見せ、刃縁は地鉄に絡み、三日月形の打除風の刃を連ね、一際太い金筋を交える等、出来頗る良く、覇気に満ちています。
表の物打辺りの鎬地に鍛えの筋が一本見られる以外は、他に特筆すべき疵欠点も無く、詰められることなく製作時の姿をそのまま残す体配は、中心が長大で迫力満点。

現状、古研ぎながらもしっかりと地刃を観賞でき、保存状態良好ですが、出来が良い薙刀だけに、更に良い研磨を施し、存分に秀永の地刃を堪能頂きたい逸品です。

裸身重量786グラム。

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