刃文が二重三重と重なった奇抜な短刀

奇抜な刃文の短刀
無銘
– Mumei –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/161/00.html
ややフクラが枯れた姿に重ね厚目の頑丈な体配。小板目肌が詰んで無地風となり、地沸厚くつく。焼き出しに沿って棒映りが立ち、先に行くに従い強く沸づいて匂口が広い互ノ目を形成する。刃文は焼刃明るく冴え、焼き出し部は特に匂口が締り、足よく入り、総体に刃文が二重、三重と重なったある種奇抜な出来口です。
白鞘には骨を使って合口拵風に仕上げられており、そのまま塗りをかければすぐに合口拵が出来上がる状態。お好みによって栗形や返角を付けるなど、貴方好みの拵にしあげてみるのも一興です。

裸身重量241グラム。  柄とはばきをつけた重量296グラム。

大和守國行眞鍛作之 ~石川県昭和26年登録大名刀~

大和守國行眞鍛作之
大和守國行眞鍛作之
– Yamatonokami Kuniyuki –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/407/00.html

豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降、藤原姓を銘切るようになってからは、藤原高田と汎称します。
古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用されました。
藤原高田の中でも、とりわけ大和守藤原國行は名工として名高く、時代は江戸の虎鉄や大坂の助廣、真改と同時代の寛文頃(1661年)の業物として著名であり、刃文は当時、肥前刀として一世風靡した近江大掾忠廣の如き匂口の深い直刃を明るく焼き上げることから、國行をはじめとした豊後刀の多くが、肥前刀の偽物に改竄された悲しき歴史もあるほどです。

本刀は昭和26年石川県登録であることから察するに、前田家が旧蔵していたものと思われ、小疵があるも大名刀に相応しく地刃の出来は頗る良く、杢目柾流れでよく練られた地鉄には地沸が付いて地景が入り、明るく冴えた直刃を巧みに焼き上げ、帽子は上品にすぐに丸く、先細かに掃き掛けながら丸く返り、なるほど肥前刀として数多の豊後刀が改竄されるだけある技量の高さを感じさせます。
姿は寛文新刀然たる反り浅目で元先の差がやや開き、重ねは元先共に厚目で頑丈な造り込み。実用刀として定評あった豊後刀の気質を現在に伝える、まさに実用兼備の利刀です。

現状では手入れを知らぬ遺族によって、長年手入れを怠われたがために生じた油染みと若干の小錆が見られますが、大切に伝世してきた様子は研磨や工作からもひしひしと感じられ、特に研磨に関しては下地も良く、仕上げも丁寧になされた上研磨がかけられています。
現状のままでも地刃の御鑑賞に支障はございませんが、出来良い脇指だけに、再び上研磨を施し、保存刀剣鑑定も御受審頂いて、美しい姿で後世に残し伝えて頂きたく、研磨代金を考慮した低価格で御紹介致します。
つきましては安価だからと言う理由からこの脇指をお求めになり、無謀な試斬や武術使用を目的とされる方からのお申し込みは、固くお断りさせていただきますので悪しからず御了承ください。
本気でこの脇指を愛で、健全な姿で次の時代に伝えてくださる心あるお客様からのお申し込みをお待ち致しております。

裸身重量593グラム。

刀の弱点 ~平や棟で攻撃を受けると、折れる確立はかなり高い~



まずはこれらの動画をご覧頂きたい。
上は棟から。下は平から渾身の一撃を受けた日本刀です。

どのように刀が折れたのかをキャプチャー画像で確認してみましょう。

棟からの斬撃

平からの斬撃

日本刀と言えば、「折れず曲がらずよく切れる。」と言うある種都市伝説化した強靭さが世界的に広まっていますが、実は非常に脆い武器でもあるのです。
上で紹介した実験の共通点にお気づきでしょうか?
真っ二つに折れていないということです。
棟からの斬撃では三つに。
平からの斬撃では四つに日本刀が折れているのが確認できますね。

実は刀剣研磨を行うに当り、少しでも研ぎ減らさぬよう、曲がりを直してから研磨します。※曲がったまま研磨する研師も稀にみかけますが…
矯木では部分的に曲がりを矯正することが困難なため、殆どの場合は鎚で鎬地を叩いて曲がりを直すのですが、この作業の際に稀に刀が折れてしまうことがあります。
私が実見したものですと、叩いた箇所から折れるのではなく、叩いた箇所の前後で折れました。
鎚で叩いた振動で違う場所から折れるというわけです。
勿論個体差がある日本刀ですので、折れにくい刀、折れ易い刀はありますが、刀剣の構造上の観点から言えば、平や棟で大きな衝撃を受けると、限りなく折れる確立が高いのです。

近頃では日本刀は鉄をも容易く裁断できると信じ込んでしまった素人や、生半可な腕と知識しか持ち合わせない武術修業者によって、鋼材への斬撃がちらほらと行われています…

刀は鉄を斬るための道具に非ず。
また、竹や畳表を斬るための道具でも非ず。

強靭さを誇る名刀であっても、使い手次第では簡単に折れてしまい、物体を裁断することはできません。

刀は己の心を映し出す鏡であり、己の悪しき心を斬るための神器だと私は考えています。

刃先で斬るつもりであっても、刃筋を立てることができない未熟な者が切り込むと、刃先ではなく、平から畳表や竹を叩くことになり、場合によっては刀が折れてしまいます。
どうか無謀な試し切りや試斬会はお控えくださいますようお願い致します。

未熟な者による試斬は大変危険です。自分が怪我をするだけではなく、他人の生命をも奪いかねないということを忘れないで下さい。
下にご紹介する稽古中の事故動画もご参考に。

誠(以下切 誠定) ~江戸前期の備前の刀工~

誠(以下切 誠定) ~江戸前期の備前の刀工~
誠(以下切 誠定)
– Aki(Akisada) –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tachi/058/00.html

大きく磨り上げられ、中心尻に“誠”と読める一字のみが残っています。小疵はあるも刃中に欠点は無く、僅かに元先の差があり、反り程よく総体的に優しい感じの体配で切先はやや延びごころ。鎬が高く、佩表腰元に二本樋。裏に腰樋に添え樋を丈比べのように丸留めにした手の込んだ造り込みから、凡刀ではないことが窺い知れます。
地鉄は杢目がよく練れて地景入り、小沸本位の直刃を焼き、解れごころの刃を交えた古調な刃文です。
銘鑑を紐解くに、江戸前期の寛文頃に、名を安藤徳兵衛と称し、刀工銘を誠定(あきさだ)と名乗る刀匠が一名見られました。本刀はこの工の作であろうと思われます。是非保存刀剣鑑定を御受審下さい。
※現登録証では種別が刀、銘文が無銘になっておりますので、内容訂正の手続きを行ってからの納品となります。

裸身重量554グラム。

無銘(兼春) ~大業物!!~

無銘(兼春) ~大業物!!~無銘(兼春)
– Mumei(Kaneharu) –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/406/00.html

同地同銘工が室町中期から江戸中期の元禄まで栄えた兼春。中でも最も名高いのは三阿弥派で兼行の子である四郎兼春で、利刀として当時から定評は高く、様々な様(ためし)を行って位付けが行われた江戸時代に於いては、大業物として兼春の名は轟きました。

この脇指は長寸であった打刀を大きく磨り上げて刃長を二尺に仕立て直したもので、太平の世であった江戸時代、上士の指料に多くこの寸法のものが見受けられます。
出来口としては美濃伝らしく、刃縁と鎬地に柾目が強く現れた杢目肌で、地鉄はよく練れており、地景入る。特に大杢目に絡む地景が興味深く、刃文は互ノ目乱れで匂口深く、刃中よく沸え、長い足が頻りに入り、刃中は柾目が顕著に現れて砂流を形成するなど、賑やかにして大業物たる刃味の鋭さを感じさせます。
現状では一部に薄錆も見受けられますが、地刃の御鑑賞には支障ございません。
※尺計算しますと二尺を僅かに切っているため、脇指として御紹介しておりますが、登録証と認定書上では刀と記載されております。

裸身重量572グラム。

長州住清次 ~地刃冴えた昭和の名工~

長州住清次 ~地刃冴えた昭和の名工~
長州住清次
– Choshu ju Kiyotsugu –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/405/00.html

本刀の作者である清次は、長門国二王の系統で、京伊賀守金道の門人となった二王清次の流れを汲む刀工と考えられます。時は大東亜戦争の頃、高級士官の需めに応じて槌を振るった腕の良い良工で、戦後の作品を見かけないところをみると、終戦と同時に廃業したものと考えられます。

この刀は柾気が強い板目肌が良く練れて地沸付き、地景も入り、匂口明るく冴えた丁子刃を見事に焼き上げた作品で、刃縁には繊細な砂流が随所に見られ、足よく入り、所々に丁子の焼き頭が飛んで蟹の爪の如き刃を交えています。帽子は詰まりごころで元先の差が開き、重ねの厚い体配は、鎌倉中期の猪首切先の太刀を、昭和に求められた刀姿と融合させたと表現しても良いでしょう。地刃の出来優れた昭和の名工の傑作を、是非この機会に御入手下さい。
※本刀は寸法上では脇指となっていますが、刀として鍛えられたものです。

裸身重量670グラム。

安貞作 甲子年二月日

安貞作 甲子年二月日
安貞作 甲子年二月日
– Yasusada saku –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/404/00.html

銘鑑を紐解くに、幕末に活躍した安貞を名乗る刀工は、武蔵と備中に1名ずつ見られますが、本刀は前者の安貞ではないかと鑑せられます。
武蔵の安貞は武蔵太郎安國の子で、長銘の場合は『武州八王子武蔵太郎安貞』と銘切るようです。

柾目鍛えに地沸が厚く付き、地景入った地鉄に、小沸本位の直刃を焼いており、刃縁は地鉄に絡んで砂流が顕著に見られ、刃中もよく沸付いた作品で、元先の差さほど目立たず、やや延びたる切先に先重ね厚目の頑丈な造り込み。時は幕末、再び起ころうとする戦乱に備えて鍛えられたであろう、当時の時風をこの脇指から感じることができます。
表裏中程のところに長目の鍛え筋が見られますが、悪質なものではなく、保昌や國包にも見受けられる、柾目鍛えならではの鍛え筋なので、疵と呼ぶも躊躇され、観賞の妨げにもならない程度のものです。

裸身重量489グラム。  鞘を払った重量559グラム。

大小刀/大小柄(おおこがたな/おおこづか)

大小刀
無銘
– Mumei –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/kogatana/057/00.html

薄錆に包まれていたこの大小刀を当店にて研磨致しました。棟区上に鞘擦れによるヒケが少し入ってしまいましたが、御希望される方には5,000円(税別)にてヒケ除去承ります。

裸身重量54グラム。  鞘を払った重量69グラム。

小刀 立子山住人藤安将平作

小刀 立子山住人藤安将平作
立子山住人藤安将平作
– Tatsugoyama junin Fujiyasu Masahira saku –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/kogatana/056/00.html

藤安将平刀匠は昭和二十一年福島県伊達郡生まれ。昭和41年長野県坂城町の刀匠、故人間国宝、宮入行平師に入門。
昭和50年福島県立子山に鍛刀場を開設して独立。以後作刀の研究修練を重ね日本美術刀剣保存協会優秀賞3回、奨励賞6回、努力賞7回を受賞。平成2年には日本美術刀剣保存協会会長賞受賞。同14年日本美術刀剣保存協会寒山賞を受賞。

尾張熱田神宮、奈良護国神社など多くの神社で奉納鍛錬を行い、平成20年には、704年、佐備大麻呂の作剣以来、およそ千三百年ぶりに常陸鹿島神宮において日本刀奉納鍛錬を行う。

昭和59年秋には伊勢神宮第61回式年遷宮、御神宝太刀謹作奉仕の大役も担い、 先の震災で大きな被害を受けた福島県南相馬の御刀神社復興支援にも大きく尽力され、御神宝となる直刀を謹作奉仕し、直近では福岡の宮地嶽古墳出土大直刀の復元鍛錬など、現代日本刀匠屈指の作刀技術を持っている。

平安、鎌倉時代の古刀剣再現への強い想いを持ち、長年研究修練に取り組み、国宝、重要文化財やそれに類する刀剣類、全国の砂鉄や鉄文化の知識見識も豊富で、太刀、刀、短刀、脇差、薙刀、古代直刀など、どれを手掛けても正確で美しい刀姿を創り上げる。
地鉄、焼刃の手際も鮮やかで幅広い製作能力を誇り、中心鑢や銘文といった中心仕立ても現代刀匠随一で、師である行平没後、師の実子である宮入小左衛門行平(宮入恵)を預かり、弟子として鍛刀修業を積ませた経緯からも、師の信任が厚く、その技量の高さを物語っている。

近年は奈良正倉院収蔵の直刀、手鉾のなど奈良時代の刀剣類の研究、復元制作にも取り組んでおり、上記の御刀神社奉納直刀の焼刃などは神域に入られたと言っても過言ではない。

刀心店主、町井勲(修心流居合術兵法創流者、居合に関するギネス記録を6つ保持している)が最も信頼を寄せる現代屈指の刀匠としても知られ、将平刀はテレビ番組内で町井の手によって、鉄パイプ、鉄板切断など日本刀の本分である利刀(折れず曲がらずよく切れるの三事)としての能力も非常に高いことが証明されている。
また弓、弓道にも深い造詣を持ち京都の御弓師柴田勘三郎氏とも長年に亘る親交があり、地元福島では弓術の指導にもあたっている。

人格そして技量に於いても、人間国宝や無鑑査に認定されるべき人物だが、表の世界に出るのを拒み、今尚福島県立子山で黙々と作刀研究に勤しむ生粋の職人肌刀匠である。

更なる詳細はこちらをご覧下さい。

柾目鍛えの肌に地沸ついて地景頻りに入り、匂口明るく冴え、刃縁に長い砂流が煌めく作品。御家やお子様の御守刀としても申し分ない逸品です。
刀剣ですと高額な将平の作品ですが、小刀でしたらお手軽にお楽しみ頂けます。サイズが小さいというだけで鍛法は全く同じ。地刃の出来は存分にお楽しみ頂けます。是非この機会に将平をご入手ください。

裸身重量20グラム。  鞘を払った重量25グラム。