元興入道松軒造之 万延二年二月日 ~二代元興の完璧なる一振~

元興入道松軒造之 万延二年二月日
– Motooki Nyudo Shoken –
 
 
松軒元興は、角大八元興の孫にあたり、角大助と称す。父、角大治秀国は26歳で早世の為、祖父の銘を襲名。初代角大八は江戸の水心子正秀の弟子となって鍛刀を学び、会津藩の命により薩摩に行き、元平門人となって銘を元興と改めました。二代となる松軒元興は、作刀の技術を、初め道辰ら会津刀工から学んだものと思われ、また、安政4年、会津藩松平家からの預かり弟子として七代石堂運寿是一に入門。是一との合作もみられます。
安政6年、入道して「松軒」と号し、慶応2年7月には「大和守」を受領すると共に名を祖父と同じく「秀国」と改め、明治24年3月、80歳にて没しました。
 
松軒元興は名工揃いの会津刀工の中でも特に上手として知られ、初代よりも上手で優れた出来の刀を残しており、名工揃いの会津刀工のなかでも異才を放つ上工としてその名を知られています。
幕末の動乱の中、会津藩主、松平容保公が京都守護職に就任し、会津藩兵を率いて京都の治安回復のため上洛すると、松軒元興も会津十一代和泉守兼定らと同じく上洛し、京都にて会津藩士や新選組隊士のために鍛えた京打ちが見られ、新選組局長である近藤勇や副長である土方歳三の佩刀の中にも「大和守秀国」銘の刀があったと伝えられます。
 
この脇指は、柾目肌がよく詰んだ地鉄に地沸が強く厚くつき、刃文は互の目・小互の目を連れて焼き、足入り、沸が厚くつき、総じて沸が強く、刃中一面が沸えて、金筋入り、砂流しが幾重にもかかるなどの優れた出来映えを示し、師である石堂運寿是一を彷彿とさせる出来口。よく沸づいた丁字乱れには破綻が無く、松軒元興の技量の高さを窺い知ることが出来ます。
指裏棟角には5~6ヶ所に刃疵があり、内1つは鎬地にまでかかっており、会津藩士が会津戦争で用いたものであろうか。歴史浪漫を感じさせる一刀です。
附属の茶石目塗鞘脇指拵(肥後拵)は数寄者によって最近に製作されたものですが、鹿革でしっかりと巻かれた柄巻きや、本漆による古式にのっとった鞘塗など、贅を尽くした逸品です。
※特別保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より当店に到着次第お届け致します。
 
裸身重量468グラム。  拵に納めて鞘を払った重量714グラム。
 
 
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