大阪住月山貞勝謹作 昭和十一年十二月吉日 ~近代の名工、月山貞勝~

大阪住月山貞勝謹作 昭和十一年十二月吉日
– Osaka ju Gassan Sadakatsu –

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月山は建久頃(平安時代後期)に出羽国月山の霊場に住んだ鬼王丸を祖とすると云われ、以来、月山のふもとでは刀鍛冶が栄え、その後、月山銘は室町時代後期には全国に広まり、この刀工集団を「月山鍛冶」と呼称します。
その後、江戸時代後期に、一門の弥八郎貞吉(月山貞吉)は大阪に移住し、その養子の弥五郎貞一(初代貞一)は月山に特徴的な「綾杉肌」を復元して、明治39年には当時刀鍛冶としては最高の名誉である「帝室技芸員」に任命され、宮内省御用刀匠となりました。
月山貞勝は明治二年、初代名匠月山貞一の長男として生まれ、奈良県吉野に鍛錬所を設け、貞一晩年には父に代わって代作を行ない、作風は備前伝の丁子乱れを得意とし、相州伝が之に次いでおり、また刀身彫刻にも非凡な才能を示しています。
後に師である父貞一没後は大阪月山家を継いで三男の二代貞一、高橋貞次などの人間国宝を育成。大正十年頃から、天皇陛下の御太刀、宮家・宮内庁の御下命を賜り、陸・海軍将官の御下賜(恩賜の刀・短刀)作刀に尽力された名工であります。

この太刀は柾目鍛えの精良なる地鉄に、互ノ目を焼いた作品で、匂口は極めて明るく冴え、随所に顕著なる砂流が現れ、大粒の沸が付き、あたかも澄んだ湖畔の砂紋、或いは陽炎、蜃気楼を見るようで、体配も良く、流石は月山貞勝と、観る者を唸らせる相州伝傑出した作品です。
附属する桐箱は、外箱と内箱の二重になっており、内箱には月山貞勝自筆による箱書きがなされています。
大阪の旧家からのうぶ出しで、箱書きには軍刀とありますが、軍刀としては用いられなかったらしく、白鞘のままこの桐箱に納められ、今日まで伝来してきました。
当店にて美術鑑賞用上研磨を施しました。研ぎ澄まされた貞勝の地刃の冴えを存分に御堪能下さい。

裸身重量827グラム。

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