無銘(大道) ~大道の技量の高さを示すに相応しい作品~

無銘(大道)
– Mumei(Daido) –
 
室町末期から新刀期にかけて、美濃には大道を名のる鍛冶が数工居り、中でも陸奥守大道は有名で、経眼する年紀には天正2、4、13、18年があります。また、三品派の祖として伊賀守金道、越後守金道、丹波守吉道、越中守正俊の四兄弟の父としても広く知られる 大道は、関室屋兼在系の刀工と伝え、初銘を兼道と切り、はじめ関の地で鍛刀します。
永禄12年、正親町天皇より「大」の字を賜り、「兼道」より「大道」と改める。その頃の銘文に「大兼道」「陸奥守大兼道」と切ったものがみられ、「陸奥守」も同時期に受領したものと推察されます。 美濃系鍛冶は不思議なことに、ある時期を境に一部の鍛冶を除いて名に“兼”の字を用いなくなります。例をあげますと“兼常”が“政常”へ、“兼房”は”氏房”へと改銘していることから、兼道も初めは大兼道と銘切っていたものを“兼”の字を略して“大道”と改めたものと推測されます。
その後は岐阜に移り、天正18年頃、堀川國廣が関東へ下向の際、濃州岐阜の地で大道と合作した「濃州岐阜住大道 信濃守國廣」と銘ある作品が遺されており、両者の交流を窺い知ることができます。文禄2年頃になると、四人の子供とともに上洛し、その後は山城の地に定住して鍛刀し、三品派を誕生させます。
 
この刀は杢目肌が良く練れて詰んで少しく肌立ち、淡く映りごころがあって、匂口冴えた大湾れを巧みに焼き上げ、二重刃風の刃や食い違い風の刃に金筋を交え、大道の技量の高さを示すに相応しい作品です。
刀身には刀樋に添樋が掻かれていますが、経年により添樋は所々姿を消していますが、けして研ぎ減り激しい疲れた刀ではなく、しっかりと身幅重ねも健在です。再研磨を御検討頂けるお客様は、是非ともその際に添樋の補修も御用命下さい。
 
裸身重量701グラム。  拵に納めて鞘を払った重量835グラム。
 
 
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