備中國呰部住河野理兵衛尉為家 ~水田國重と双璧を成す備中の名工~

備中國呰部住河野理兵衛尉為家 ~水田國重と双璧を成す備中の名工~
備中國呰部住河野理兵衛尉為家
– Bicchu no kuni Azae ju Kono Rihenojo Tameie –
 
備中国水田一派は、豪族三村氏や戦国武将の毛利、宇喜多などの求めに応じて、古青江為次の子孫が阿賀郡水田村(現在の岡山県真庭市)を中心として後月郡荏原村や呰部郡松山村などで活躍しました。
その後、戦国時代末期から元禄時代では江戸、大阪などに60名以上の鍛冶を輩出して繁栄し、一門中では池田鬼神丸國重なども有名です。
本国備中では大月派を代表する國重一門と、河野派の頭領である為家一門の両派があり、為家は水田村の隣地、呰部に拠を構えたため、「新刀初代為家」と称し、同銘が明治まで十二代にわたって繁栄し、通称呰部水田(あざえみずた)とも呼ばれています。
本刀の作者である為家は河野氏であり、俗名を理兵衛と称する二代為家で、高名である大月大与五国重の弟にあたり、遺作の脇指には「備中国呰部住河野理兵衛尉為家(花押)水田住山城大掾源国重 寛永十八年二月吉日」の合作も見られます。
國重一門の作風は荒沸本位の大乱れと棟焼が特徴的であり、所謂、古名作の郷義弘を狙ったとされるに比して、為家一門は家伝である古名作、青江一派を思わせる作風を得意としており、その作風は、広直刃に湾れを交え、また棟焼がある作品が多いと言われ、中心の特徴としては國重一門の中心が極端な片山であるのに比して、為家一派は剣形となる点にも違いがあります。
 
本刀は身幅が広く豪壮で健全であり、比較的焼頭が揃った互ノ目乱れに、所々突出した互ノ目を交え、足、葉よく入り、刃縁には水田らしい荒沸が付いた力強い作品で、地鉄もよく練れて詰んで精美であり、為家の技量の高さを示す逸品です。
手入れ保存が芳しくなく、そのため所々に薄錆を招いている現状では、本刀があまりにも可哀想ですので、然るべき上研磨を施して御所持頂きたく、研磨代金を考慮した低価格にて御案内致します。上研磨の御用命、どうぞお気軽に御用命頂きまして、為家の地刃の冴えを存分に御堪能下さい。
※現状では物打辺りが刃引きされています。上研磨目安代金15万円(税別)。
 
裸身重量545グラム。

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