無銘 ~拵入りの末古刀脇指~

無銘 ~拵入りの末古刀脇指~
無銘
– Mumei –
 
元先の差開き、腰元より上で反り始める所謂先反り姿の末古刀。切先はやや延びる。地鉄は杢目肌練れて肌立ち、刃文は互ノ目乱れに尖りごころの刃を交え、砂流かかり、葉交える。某肆は表裏共に横手上方で互ノ目を焼き、先直ぐに丸く返る。
 
現状では小錆在るも地刃の鑑賞に支障は感じられないので、このままお楽しみ頂ければと思います。拵付きですがお求め易い価格でご案内致しますので、これから刀剣趣味を始められる方にもお薦めです。
 
裸身重量343グラム。  拵に納めて鞘を払った571重量グラム。

伊豫松山住靖献造之 應尾関忠也氏需 昭和六十一年二月吉日

伊豫松山住靖献造之 應尾関忠也氏需 昭和六十一年二月吉日
– Iyo Matsuyama ju Yasutake –
 
 
郷田利行。大正15年3月30日、刀匠、郷田正一の子として愛媛県で生まれる。昭和14年、西条市の島生博正から鍛刀の手ほどきを受け、以来、父、正一の軍刀鍛錬の先手から横座につきました。
昭和19年、技術研修のため島生軍刀鍛錬工場に入所し、昭和20年には野鍛冶営業の傍ら、父、正一と鍛刀を行い、戦後は昭和45年から酒井繁政刀匠に師事し、4月に作刀承認を受けました。刀匠銘の靖献の出典は書教の「自ら靖んじて人自ら献ぜよ」に由来します。
 
この刀は身幅広く、重ね厚目で反り程好くつき、帽子が延びた豪壮な造り込みで、地鉄は板目杢交じり、柾がかりって少しく肌立ち、地沸厚ついて地景入り、刃文は小湾れ調に互の目を焼き上げ、足よく入り、匂口極めて明るく冴え、匂口深く、所々に大粒の沸が付き、幾重にも長く砂流盛んにかかり、一部に尖った感じの互ノ目丁子を交え、帽子は表裏共に焼きたっぷりと直ぐに丸く返る。
 
附属の拵は鐺金具が添えられ、柄は親鮫を腹合着せにし、表革にてしっかりとした柄巻きがなされています。当然ながら柄にがたつきは無く、既製品の切羽を転用することが多い現代刀の拵に於いて、本刀の切羽はこの刀のために銀の地鉄で丁寧に誂えられた品で、武用刀としても観賞用としてもお薦めの一刀です。
 
裸身重量1,003グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,308グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘

無銘
– Mumei –
 
 
兵庫県下の旧家から出てきたうぶ出しの一刀です。御子息が神奈川県に住民票を置いている都合で神奈川登録となりました。薄らと錆に包まれていた本刀は、当店にて真面目な観賞用研磨を施し、この度本来の輝きを取り戻しての初登場となります。
短寸ながらしっかりと練られた地鉄は小板目杢交じりで少しく肌立って地景入り、刃文は匂口明るい湾れ調の互ノ目乱れで、刃中には足や葉が入り、刃縁に細かな変化を見せ、細やかなる砂流や金筋も看取されます。帽子は表裏共に乱れ込んで表は丸く、裏は少々焼き崩れた感じに匂口深く丸く返る。
 
附属の拵は縁と頭の図柄が異なるため、粗見すると後家の縁頭のように見えますが、れっきとしたうぶで、縁は後藤光美在銘。柄は片手巻きで節立たせて巻き、上から漆がかけられた堅牢なる造りで、中央に銀無垢の獅子目貫が堂々と据えられ、目釘は素銅製で革紐を通す穴があけられており、表側には飾り金具がついていた名残があります。※飾り金具指裏側のみ手元に残っております。
鞘は黒の上から海老茶色の漆を刷毛目塗りとし、右向き鶴丸紋の金具に可動式の下緒を通す鐶が据えられています。拵に傷みはほぼ皆無であり、特別保存刀装審査はゆうに合格することでしょう。切羽のすり替えも無い完全なオリジナル状態は今や大変貴重な存在です。銀や四分一地の小柄を添えて是非挑戦してください。
 
 
裸身重量114グラム。  拵に納めて鞘を払った重量235グラム。
 
 
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無銘(波平)

無銘(波平)
– Mumei (Naminohira) –
 
 
薩摩国での刀工の始祖は、平安時代永延(987~988)頃の大和の刀工『正国』が薩摩に移住したのが始まりと伝えられ、鎌倉時代の中期以降は代々『行安』が波平系の氏族を取りまとめる長となって、中世の鎌倉、南北朝そして室町時代、さらには新刀期まで繁栄しました。
作風の特徴は大和伝を踏襲しながらも「綾杉肌」を鍛えることでも知られており、古来より平らな波と縁起を担ぎ、水軍や海軍、海運業に携わる方々に愛されてきました。
 
この刀は磨り上げられることなくうぶの姿をとどめており、元目釘穴の位置からお察し頂ける通り太刀として鍛えられた一刀です。
先の差が開いて反り深く、優雅な太刀姿が印象的で、地鉄は板目肌柾流れて目立って肌が立ち、総体に映りも現れ、太い地景入り、刃文は匂口深く明るく冴え、匂口は刃中に煙り込まず、地に向かって霞がかるかの如き働きを見せ、足入り、金筋や稲妻、砂流が顕著に見られ、なんとも言えぬ古刀ならではの味わいを醸し出しています。
 
付属の拵は鞘に痛み無く、切羽も金着のうぶ。柄は近年好者によって新たに鮫を着せ直し、贅沢な蛇腹巻きが施され、上等な金着太刀はばきも新調されています。目貫は金無垢でしょうか。
 
裸身重量459グラム。  拵に納めて鞘を払った重量682グラム。
 
 
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肥前國忠次一吉合作 昭和巳酉仲春

肥前國忠次一吉合作 昭和巳酉仲春
– Hizen no kuni Tadatsugu Kazuyoshi –
 
 
忠次は、明治43年5月1日生。本名を中尾三治郎と言い、堀井信秀、桜井正次に作刀を学び、海軍受命刀工としても活躍。終戦後は作刀技術発表会、新作名刀展において多々の受賞を果たしました。地鉄の鍛えの上手さに定評があり、よく詰んだ杢目肌に匂い出来の互の目刃文、備前伝の逆丁子乱れ、山城伝の直刃、肥前忠吉に倣った作品を手がけています。その子である一吉は、名を中尾一吉と言い、昭和14年11月7日生。昭和30頃より父忠次の下で作刀を学び、新作刀展では優秀賞受賞を初めとし、奨励賞に続いて、努力賞等、たて続けに入賞を果たし才能を発揮していきます。
 
この刀は、忠次、一吉の親子合作刀で、元先の差が程好く開き、帽子は延びごころでややフクラ枯れた感じで鋭く、小板目肌よく練れて詰んだ地鉄は精美で、刃文は匂口明るい逆がかった互ノ目を焼き、足頻りに入り、葉や蛇の目刃交じり、所々に角ばった馬の歯風の刃を交えています。帽子は焼きたっぷりと焼き詰め風。
 
既成鞘に納まりますので安価で簡易武用拵の製作が可能。美術鑑賞も兼ねた武用刀をお探しの方にうってつけの一刀です。簡易武用拵のご用命はお気軽にどうぞ。参考価格66,000円(税込)
 
裸身重量960グラム。
 
 
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島田 (切付銘)肥前國矢上住和田智昭頼昂 彫之在□時年三十有八 □在昭和戊寅十三大夏八月日 伝□昌豫 ~彫り見事な一刀~

無銘(島田) (切付銘)肥前國矢上住和田智昭頼昂 彫之在□時年三十有八 □在昭和戊寅十三大夏八月日 伝□昌豫
無銘(島田) (切付銘)肥前國矢上住和田智昭頼昂 彫之在□時年三十有八 □在昭和戊寅十三大夏八月日 伝□昌豫
– Mumei(Shimada) –
 
室町時代中頃から、江戸時代の終りまで続いた島田鍛冶は、相州伝や備前伝を会得した義助を主流とする一門と言われています。
初代は康正年間(1455~57年)に始まり、九代で廃業しますが、復興して天明年間(1781~89年)まで続いたとされ、同派が最も得意としたものが槍であり、義助も槍作りの名人と言われました。
初代義助は島田鍛冶の祖で、今川義忠に抱えられ「義」の字を賜り、義助と名乗ると云われています。この義助を祖とする島田一派は相州小田原鍛冶と師弟関係をはじめ、技術交流も盛んに行い、駿河国の今川をはじめ、甲州の武田、相州の北条、三河国の徳川などの武将の為に鍛刀しました。
特に四代義助が作った槍「お手杵」は、黒田家(福岡県福岡市)に伝わる「日本号」(作者不詳)や、徳川家康の家臣本多平八郎忠勝が愛用した「蜻蛉切」(正真作)と共に「三大名槍」の一つに数えられました。
また、武田信玄が所持していた助宗の「おそらく造りの短刀」は有名です。
 
この脇指は重ねが厚く、鎬地を大きく削いだ冠落としの鋭い造り込みで、和田智昭なる彫師の手によって見事な彫刻が施されています。余程入念なる彫りのようで、長々と切り付け銘にて謂われが切られています。相州物を得意とした島田らしく、板目鍛えの地鉄には、匂口明るく冴えた互ノ目乱れが焼かれており、刃縁には砂流が随所に見られ、足入り、刃縁よく沸付くなど、同派の作風が顕著に現れた優品です。
お求め易い低価格にて御案内致しますので、是非この機会に見事な刀身彫刻が施された島田の一刀をコレクションにお加え下さい。
 
裸身重量334グラム。

九州肥後同田貫上野介(彫印)~誰もが耳にしたことがある同田貫!~

九州肥後同田貫上野介(彫印)
– Kyushu Higo Dotanuki Kozukenosuke –
 
同田貫一派は、肥後熊本の戦国武将、加藤清正の抱え工として、室町最末期から江戸初期に掛けて活躍した鍛冶集団で、肥後延寿派の末裔に当たります。一派は『文禄・慶長の役』と呼ばれる朝鮮出兵の際、清正に従って朝鮮に赴き、その地で盛んに鍛刀し、その凄まじい斬れ味、破壊力に明軍、朝鮮軍の兵士達は驚愕したと言います。
 
本刀の作者である上野介(正國)は、名を小山上野介信賀と言い、左馬介と称し、初期は國勝とも名乗っており、後に加藤清正より『正』の字を賜り、正國と改めました。同田貫派の祖としても著名であり、『九州肥後同田貫藤原正國』、『九州肥後同田貫上野介』等と銘切りますが、作品の大半は上野介銘であり、活躍期は天正から慶長後期頃で、慶長十八年に没したと言います。
清正は、正國の刀に絶大なる信頼を置いており、その頑強な造り込み、凄まじい斬れ味から、『折れず曲がらず同田貫』、『兜割り正國』等の賛辞を送ったと云います。
 
この刀は反りやや深く、大切先が鋭く伸び、元先の差は目立って開かず、力強さを感じさせる体配。地鉄は板目肌が練れて詰むも所々に肌立った箇所を交え、地景入り、刃文は匂口締まり気味で大湾れ調子に互ノ目丁子を交え、地鉄に絡んで刃縁盛んに複雑なる働きを見せ、砂流や金筋を交え、帽子は焼き深く、表は直ぐ調に砂流盛んに、裏は乱れ込んで砂流かかり、返りは深く、その後飛び飛びしながら棟焼きを形成しています。
うぶ茎在銘で二尺三寸七分七厘と刃長もしっかりとあり、他の作品には見られない菊花形刻印風の彫印が非常に珍しく、戦が多かった頃の作品故に鍛筋等の小疵はあるものの、総合的に健全無比と高く評価できる価値ある作品で、地鉄の組み方も大変興味深い一刀です。
※研磨・はばき・白鞘新調済み。
※特別保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会から到着次第お届け致します。

長州住二王直清作 元治二年二月日(二代)~二王直清による無疵無欠点の傑作~

長州住二王直清作 元治二年二月日(二代)

長州住二王直清作 元治二年二月日(二代)
– Choshu ju Nio Naokiyo(2nd Gen) –
江戸時代末期、長門国(山口県)で長州藩御抱工として活躍した清重の在銘年紀作品です。直清は俗名を玉井長蔵と言い、二王派の末葉で大慶直胤に学びました。
 
この刀は反り浅目で元先の差が程好く開き、帽子は延びて力強く、地鉄は小板目肌が密に練られ、細やかな地景が現れて地沸厚く付いて肥前刀の小糠肌を思わせる精美な鍛え。刃文は匂口明るく冴えた数珠刃風の互ノ目乱れで、所々にやや背が高い互ノ目を交えて節立たせ、刃中頻りに足入って細やかな砂流がかかり、地肌に飛焼き溢れ、帽子は表裏共に直ぐに丸く返る。特筆すべき疵欠点無く、直清の技量の高さを示す名作です。
 
裸身重量1,008グラム。

無銘 室町後期 ~手元重心でバランスが良い一刀~

無銘 - Mumei -

無銘 
– Mumei –

杢目肌良く練れて肌立ち、淡く映り立つ地鉄に、小沸本位で締まった直刃調に小湾れを交えた刃を焼き上げた作品で、刃中には砂流や金筋が見られ、帽子は表裏共に直ぐに丸く返っています。帽子が延びた鋭い造り込みが印象的です。素人によって指表の中程の平地と指裏全体に内曇砥石(刃艶砥)が当てられています。本来あるべき姿に戻した上で愛でて頂きたく、御購入時に研磨もお申込み頂きますと、16万円(税込)にて上研磨をさせて頂きます。

附属の拵の柄は後家ですが、がたつきは無くしっかりしており、手に持って構えてみると、手元重心でバランスが良いことに驚かれることでしょう。

裸身重量700グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,055グラム。

尾州住正氏作之  ~鮫皮の状態良好 金具はオリジナルのまま~

尾州住正氏作之 - Bishu(Oshu) ju Masauji -
尾州住正氏作之

正氏についての資料乏しいため、刀工についての解説は割愛させて頂きます。現状では素人による錆落としが成された状態のため、地鉄は見えないものの、焼刃は匂口明るい互ノ目乱れで、尖りごころの互ノ目が交じっているのが確認できます。鍛錬疵は見受けられません。

附属の海軍太刀型軍刀拵は鍍金の色落ちが見られるも、総じて健全であり鮫皮の状態も良好。金具通し番号は『7』で揃っており、部品のすり替えが無い製作当時のオリジナルのままです。
※15万円(税込)にて上研磨承ります。

裸身重量757グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,218グラム。