NHK 美の壺 ~魂宿る刀剣~ 再放送のお知らせです

美の壺

【「美の壺・選」放送日】File511 魂宿る刀剣(初回放送2020/9/4)

【Eテレ】7/13 水曜 前 5:30~ 5:59 

見逃した方も、既に御覧になられた方も、是非御覧下さい。

摂州住人秀久作 平成七年十二月日 ~拵新調渡し 手持ちバランス良い一刀~

摂州住人秀久作 平成七年十二月日 ~拵新調渡し 手持ちバランス良い一刀~
摂州住人秀久作 平成七年十二月日
– Sesshu junin Hidehisa –
 
秀久刀匠は兵庫県宝塚市にて槌を振るい、華やかな丁子乱れの作を好んで鍛えました。斬れ味が良いと定評ある刀工です。
 
この刀はもと先の幅差頃好く開き、表裏に刀樋を掻き流しとし、地鉄は小板目が良く練れて詰み、地沸付いて精美。刃文は匂口明るく冴えた互ノ目丁字乱れで、刃縁や刃中には砂流が見られ、太く短い足入り、蟹爪刃の如き刃も交じる。鋩子は表裏乱れ込んで先丸く返る。
手元重心でバランスが良く、拵にかければ更にバランス良くなり、片手操作に適した武用刀としても活躍してくれることでしょう。
 
※写真の拵は同図柄の金具を用いた別の刀の拵です。木綿柄巻仕上げにてお納めします。
 
裸身重量724グラム。  拵に納めて鞘を払った予想重量980グラム。

無銘(寿命) ~二尺四寸 華麗な体配 拵・白鞘・継木全て付属しています~

無銘(寿命)
無銘(寿命)
– Mumei(Toshinaga) –
 
大和系鍛冶が美濃に移り派生したと伝えられる寿命。幕末まで長く栄えた一派として著名です。刀剣界では“じゅみょう”と呼称されていますが、“としなが”と読むのが正しいようで、現存する作品の中にも“寿命トシナガトヨムベシ”と銘切った作品があったと記憶しております。
寿命と言う名に縁起良さを見出した武士達により、寿命の刀は祝賀の席での指料として、また、武家間での贈答品としても好まれました。※特に贈答には長物が好まれたと言われ、“長い寿命”と験を担いでのことだそうです。

この刀は元先の幅差頃好く開いて切先延びごころ。腰元より少し上から反り始める所謂先反り姿であり、太刀と刀を併用した体配をしている。表裏に腰樋を掻き流しており、表は二本腰樋、裏は単に腰樋となっている。杢目鍛えの地鉄はよく練れて詰むも、所々肌立って淡く映り立ち、刃文は匂口明るく冴えた互ノ目乱れで、刃中には砂流が顕著に見られ、逆がかった互ノ目や尖りごころの互ノ目を交え、帽子は横手上迄乱れ込み、先直ぐに丸く返っています。

附属の拵は柄にガタツキ無くしっかりとしており、縁頭と目貫は菊花図で揃えられ、柄巻きは細い皮を四本で組み上げている。切羽は銀無垢の地金にて本刀に合わせて作られた真面目な物であり、鞘に施された丸に笹竜胆紋の高蒔絵がアクセントを加え、大振りの鉄地雲龍図鐺が更なるインパクトを与えます。白鞘と継木が付属しているのも高評価。
居合等の稽古に使用されることを目的とされる方には、33,000円にて武用柄を製作致します。

裸身重量784グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,006グラム。
※委託品

無銘(加州家次) ~堅牢な柄巻、華麗な牡丹塗鞘~

無銘(加州家次) ~堅牢な柄巻、華麗な牡丹塗鞘~
無銘(加州家次)
– Mumei(Kashu Ietsugu) –
 
加州家次は藤島派の刀工で、室町前期應永頃の家次を初代とし、以降室町末期まで栄えました。青江の家次と同銘であることにも由縁し、加賀青江と称されます。
現存する作品を鑑るに、極めて肌が立ち、鎬地の柾が特に荒く現れたものをよく経眼します。
 
この刀は元先の幅差開き、反りは腰元より上から反り始める所謂先反り姿で、地鉄は小板目がよく練れて詰むも、所々に粗い肌やが現れ、地景入り、刃文は直刃で刃中に鼠足や金筋が入り、食い違い状の刃も見せ、鋩子は直ぐに先丸く返っています。
 
付属の拵は柄巻を革で巻いているのでしょうか。漆をかけた堅牢な仕上げで、目貫は勝負事への縁起を担いだ勝虫図。鐔は碁石形の源氏車に桜花透かし。上品で鉄味が良く、鐔だけでも独り歩きできる良い鐔が添えられています。鞘は肥後形式で鯉口から栗形迄の距離が指一本分短く、実用面を考慮した物に牡丹塗りが施されています。柄にガタツキは無くしっかりとしており、鞘を払って構えてみると、手元重心であることからとても軽く感じられ、片手操作に適した一刀です。
 
裸身重量561グラム。  拵に納めて鞘を払った重量807グラム。

無銘 ~乱れ映り立つ大名登録刀~

無銘 ~乱れ映り立つ大名登録刀~
無銘
– Mumei –
 
元先の幅差開き、切先延びごころ。地鉄は小板目杢混じり、よく練れ、黒味がかった鉄混じり、地景入り、総体に乱れ映り立つ。刃文は区の部分で腰刃を焼き、直刃調の刃取りに緩やかな湾れを交え、刃縁よく働いて、砂流を見せ、指裏の腰刃の上には小さな互ノ目丁字風の刃が2つ混じり、鋩子は表裏共に直ぐに先丸く返る。
おそらく江戸時代になってからであろう、茎先で反りを伏せられている。刀身の棟角の所々に撓えが見られ、棟の中央付近にも撓えが見られます。
 
付属の拵は、長年栗形付近で下緒を結んでいたため、塗りの色に濃淡が現れており、元の色を見るに、製作当時には鮮やかな金梨地塗りであったことが窺えます。柄には極々僅かなガタツキが在りますが、簡単に直せます。切羽は菊花刻みの銀着せ。鞘を払って構えてみると、手元重心でバランスが良く、扱い良さを感じます。
昭和26年3月と、登録制度開始早々の3月に登録されている点からも察せられるように、元は大名家やその直属の上士の所有であったことを物語る一刀です。
 
裸身重量685グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,016グラム。

陸奥守包保 ~身幅重ね共にがっしりとした一刀~

陸奥守包保 ~身幅重ね共にがっしりとした一刀~
陸奥守包保
– Mutsu no kami Kaneyasu –
 
陸奥守包保は、鏡に映したように逆文字で銘を切り、鑢目までを逆に切っていることから左利きであったと考えられ、彼の作品は「左陸奥」と称されています。
摂津の上作刀工で濤乱刃風の作柄が多く、大阪物らしく澄んだ地鉄が特徴で、河内守國助や一竿子忠綱等と共に大阪新刀を代表する名工の一人。本国は大和で手掻の末流と言われています。
彼の門人で後に養子となった二代包保は、初銘の包重時代の作品には師の左陸奥と同じく逆文字(鏡映し)に切り、包保に改名してからは通常の右文字に銘切るようになることから、師の「左陸奥」と区別して「右陸奥」と称されています。
 
この刀は元先の幅差頃好く開き、反り気持ち浅目。身幅広目で重ね厚く、頑丈な姿を誇っています。地鉄は小板目肌がよく練れて詰み、地沸付いて地景入り、刃文は匂口明るく、中直刃や広直刃調に湾れや互ノ目を交え、幅広い湯走状の二重刃を伴い、刃中には砂流や太い金筋が見られ、刃縁の沸は地に零れて覇気に満ち、鋩子は直ぐに大丸に深く返り、棟焼きを形成しています。
 
付属の拵は、鞘の塗りに傷みや凹みが見られるも、割れ等は無く、柄もガタツキ無くしっかりとしています。鞘を払って構えてみると、ずっしりとした手持ちながらも、手元重心故にバランスは良く、扱い易さを感じさせ、昭和26年5月と、登録制度間もない頃の大名登録刀であることからも、伝来の良さを今に伝えています。
現状でも地刃の鑑賞は可能。研磨を施される場合は、是非とも特別保存刀剣鑑定を御受審下さい。
 
裸身重量780グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,142グラム。

名品紹介 ~江州彦根住藻柄宗典入道製~

江州彦根住藻柄宗典入道製

https://nihontou.jp/choice03/tousougu/tuba/1094/00.htm

喜多川氏。喜多河とも切銘する。はじめ秀典と名乗り同人。優工である。京都の出身であるという。この一派は世に彦根彫りと呼ばれ、当時流行し広く世人に愛好された。『装剣奇賞』に宗典を喜多川氏二代目、江州彦根の人と記して、二代宗典の存在を認めているが、これは秀典を初代として、宗典を二代とみなしたものとも考えられる。とりあえず初二代同人説を採用して後学の資料の出現に待つ。また同書に「藻柄子(そうへいし)と銘す。しかるに世俗或いは誤ってモガラシと読む者あり、一笑にたえたり」と述べている。
宗典は銘文にも作位にも変化が多く、75歳以上の長寿を全うして活躍した。彦根藩の川北氏の扶持を受け後援されたと一本に記す。美濃国出身説もある。門弟も多く養成したため、後代の偽物の混入も少なくない。近江国彦根中薮住。延享・寛延頃。

鐔14点追加しました

https://nihontou.jp/choice03/tousougu/tuba/list.htm
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三池住國忠作 平成七年三月日 ~手持ちバランス最高! 軽く扱い易い一刀です!!~

三池住國忠作 平成七年三月日 ~手持ちバランス最高! 軽く扱い易い一刀です!!~
三池住國忠作 平成七年三月日
– Miike ju Kunitada –
 
本名、小宮陽気光。福岡県大牟田市住。昭和の大業物として有名な小宮四郎國光の長男として生まれました。小宮一族は刀匠一家で、父國光、長男(本刀の作者)國忠、次男安光、三男國光と名匠揃いで、江戸時代、筑後柳川藩立花家の御番鍛冶を務めた信濃守藤原久廣が小宮家の開祖。四代目の小宮四郎国光が、平安時代の刀匠である三池典太光世の作刀を理想とし、明治時代に柳川から三池に移り、戦前に開催された陸軍主催の「全国試し斬り大会」の決勝では、虎徹を破って優勝し「今虎徹」と呼ばれ賞賛されました。
 
この刀は元先の幅差頃好く開いて切先やや延びごころ。表裏に刀樋を掻き流し、裸身重量656グラムと、片手操作に特化すべく軽量化され、地鉄は小板目よく練れて詰み、刃文は互ノ目乱れで刃中には砂流が見られ、所々に足が入り、鋩子は表裏共に乱れて先丸く返っています。
 
付属の拵は堅牢な牛革の表巻きで、金具は全て現代物の実用本位の無地。鮫皮も黒く塗られた無骨な拵ながら、金色の目貫が一花添えた造りとなっています。柄にガタツキは無くしっかりとしており、上述の通り、とことん軽量化に特化した刀身は、更に手元重心であることから、あたかも脇指でも手にするかのようなバランスの良さ。剣速を求める形居合や、高齢者、非力な女性にもお薦めの一刀です。
 
裸身重量656グラム。  拵に納めて鞘を払った重量899グラム

祐光 ~刀剣趣味入門用として、女性や少年用の武用刀として~

祐光 ~刀剣趣味入門用として、女性や少年用の武用刀として~
祐光
– Sukemitsu –
 
本名、竹下善自。大正4年5月20日滋賀県蒲生郡日野町大窪清水町生まれ。師は父である栄太郎祐光で、後に大阪の沖芝正次刀匠に師事し、父の名の祐光を継承しました。
昭和16年には文部省後援の日本刀展にて入選。同18年には特選を受賞。戦前は陸軍受命刀匠としても活躍し、昭和29年文化庁より作刀承認を受け、昭和39年~45年迄の間、日本美術刀剣保存協会の新作名刀展にて7回連続入選。都合11回の入選を果し、晩年には岡山県高梁市三沢(旧手荘町)に移住して鍛刀しました。
 
この刀は元先の幅差が開いて切先延びごころ。地鉄は無地で刃文は匂口明るく冴えた湾れ調の刃取りに互ノ目を交え、足入り、匂口はふわりと柔らかい感じを見せ、鋩子は表裏共に直ぐに先大丸に短く返っています。
戦前、戦中に軍刀の刀身として鍛えられたもので、指裏物打辺りの鎬に受け傷が見られます。
 
付属の拵は柄にガタツキ無くしっかりとしており、鞘を払って構えてみると、手元重心でバランスが良く、扱い良さを感じさせます。
女性や少年用の居合武用刀としても、刀剣趣味初心者入門用としてもお薦めの一刀。お求め易い価格でご案内致します。
 
裸身重量728グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,027グラム。