お客様の声

美術刀剣 刀心を御利用下さったお客様から頂戴しましたメールを、ご許可の下ご紹介致します。

こちらのお客様は以前にも美術刀剣 刀心を御利用くださいまして、いわばリピーター様です。

美術刀剣 刀心はこうしたリピーター様に支えられております。

 

こんばんは町井様、本日、無事に届きました。
たった今、見させていただきましたが、町井様がHPで書かれているように、全体がぼやけている(拭いボケ)ものの、刀姿はちゃんとしていて、正直、こんな安くていいのかな?と思ってしまいました。
週末にでも、ゆっくりと時間をとって手入れをするつもりです。少しでも、地刃が晴れることを楽しみにします。
今回も良い刀との出会いを与えてくれた町井様に感謝いたします。
ありがとうございました。


お譲りした御脇指は、しっかりとした体配で出来も良く、しかるべき研磨を施せば特別保存刀剣指定の可能性も高い一刀でした。長年打粉を用いて手入されていたと見て、拭いが薄くなり、ぱっと見の地刃のコントラストがぼやけて見える状態でした。
しかしながら下地もしっかりとした研磨ですから、化粧直しだけで地刃の冴えを取り戻すことができる一刀。
今回もお客様に喜んで頂けて、私も大変嬉しく思います。

修心流居合術兵法 公開演武と講習会のお知らせ in福島県

修心流居合術兵法 福島県講習会

 

修心流居合術兵法 公開演武

京都河原町にて居合術体験、試斬体験を開催しています。

京都河原町にて修心流居合術兵法の居合術体験及び試斬体験ができます。

場所は

京都市中京区下丸屋町(河原町通)407ー2
ルート河原町ビル5F (MAIKOYA 京都店)
現在のところ、月曜・水曜・金曜・土曜・日曜を柳原が。火曜と木曜を私の長男である友哉が担当し、体験希望者に指導させていただきます。
明日の体験会には私も同行します。主に海外から来られている方向けの企画ですが、国内にお住まいの方でもご参加いただけます。
武用刀や居合稽古用模擬刀に関するご相談も無料にて対応致しますので、どなた様もお気軽においで下さい。
尚、体験会参加は当日飛び入りでも対応出来る限り対応致しますので、お気軽にどうぞ。
※ご参加頂くには体験料が必要です。指導は概ね一時間。料金につきましてはMAIKOYAさんにお尋ねください。06-6556-6247
鐔などの刀装具や武用刀、美術刀剣も展示販売しますので、刀剣好きの皆様も是非いらしてください。

杖太刀に関する調査報告

天心流兵法と称する自称古武術団体が、武家の所作として昔から当然のようにあったと主張する杖太刀。

ここで議論する杖太刀とは、刀の鞘尻(鐺)を地につけ、柄に手をかけたり、両手を乗せて、あたかも杖のように見える所作のことを指します。

頑なに杖太刀なる所作が存在したと主張する天心流は、様々な幕末・明治時代に撮影された士(さむらい)の写真をその証拠として、広く海外にまでそれを広めようとしています。

 

かねてより私が主張する“杖太刀なる所作は存在しなかった”という説は、素人や外国人の支持者が多い?天心流によって誤報とされつつあり、繰り返し行われる天心流の侍体験会によって杖太刀が普及しつつあるのが現状です。

 

私は刀剣商という生業のもと、数多の刀剣類を見てきました。

しかしながら、登城用の正式拵から、普段身に帯びていた平常指に至るまで、私は鞘尻(鐺)が傷んでいるものを経眼しておりません。唯一例外として経眼するのは、日本軍が用いた軍刀くらいです。

 

居合や剣術の所作の中で、刀礼や帯刀する際に鞘尻を地につけることがありますが、これはあくまで儀式的なものであり、普段から毎日のように士達がそれらの所作を行っていたとは言えません。

 

その後も私の支援者によって様々な情報が寄せられていますが、自分達に不都合が起きると論点をすり替えるのが天心流の常套手段であり、今現在彼らは

「刀のこじりを地につける所作が杖太刀ではなく、刀を立てて手をかける所作が杖太刀であり、当流も必ずしも鐺を地につけるのではなく、足の上にこじりを乗せることもあります。」

と嘯くようになりました。

これは後付のい訳に他なりません。

 

現在私の調査によってほぼ間違いないと思われるのは、幕末や明治頃の杖太刀写真は、写真家によってつけられたポーズであるということです。

実は徳川慶喜公の写真で鐺を地(カーペット)につけて写っている写真も、仔細に見るとこじりの下に琴柱のような台らしきものが見られます。写真が古いため確固たる確認がとれませんが、仮にこれが刀の鐺保護のために用いられた台であったなら、杖太刀という所作は士の時代には存在しなかったと言えます。

古い写真は撮影するにあたって、数十秒から数分間、じっと同じポーズを保たなければなりません。その間、体がぶれぬように被写体の後ろには首や手を固定するための台が用いられました。古い写真を見て違和感を覚えるのは、こうした器具によって体が固定されており、自然さが失われているからです。

また、西洋文化である写真ですから、撮影時には西洋風のポーズが自然ととられたことも想像に難くはありません。

西洋の武人や軍人は、サーベルを杖のようにして写真を撮っています。当時西洋文化に貪欲だった当時の日本は、それらの仕草を軍部でも積極的に取り入れたのでしょう。故に日本の軍人写真も西洋式に軍刀を杖のようにして写っている物が殆どです。

では、日本国内で士が被写体になりはじめた頃はどうだったのか?

普段地につけることがないこじりを地につける行為にかなりためらいがあったようで、以下に紹介する写真は、一見杖太刀に見えるも、刀のこじりは地についておらず、宙に浮いています。

上記写真は文久元年(1862)、第一回遣欧使節団の竹内下野守と松平石見守の写真です。

いずれも金襴緞子の袴を穿いた上級武士ですが、どちらも刀のこじりを地にはつけていません。

そして注目すべきは杖太刀のような所作でありながら、刀は宙に浮いていると言う点です。

確認のため、明度を変えてみましょう。

如何でしょうか?

明らかに柄を掴んで提げ刀にしているのが判りますね。

天心流兵法なる団体が主張するように、江戸時代の士達が日常的に行っていた所作だとするのであれば、何故撮影時、ポージングが辛く、ブレも起き易い提げ刀をしているのでしょうか?

上級武士だから例外と言うのは言い訳にはなりません。天心流は自分達の流儀は大小ニ刀を腰に帯びる上士の流儀だと主張しているのですから、それが事実ならば、上写真の二人は当然の如く杖太刀をしていないと辻褄が合いません。

このような宙に浮かせた杖太刀のようなポーズは、他の士の写真でも見られます。

彰義隊の渋沢平九郎像。

こちらの肖像でも刀のこじりを宙に浮かせています。※或いは足の甲に乗せている。

 

坂本龍馬も杖太刀をしていません。

 

こちらは島津久治

 

こちらは川村純義

 

いずれも杖太刀をしていませんが、島津久治と川村純義はと言うと…

皆さんも「おや!?」と思われたはず。杖太刀ではなく杖傘です。

杖太刀が一般的な所作だったとするのであれば、何故わざわざ傘を杖にしているのでしょうか?

 

現在の私の調査では、

士が写真の被写体となりはじめた頃、士達は鞘尻(こじり)を地につけることに抵抗があった。そのため宙に浮かせて提刀で写真がが求める杖太刀風のポーズをとった。当時の写真技術においては提刀ではブレが出やすかったため、杖太刀に抵抗がある士は刀を帯びて傘を杖とした。その後集合写真などにおいて、杖の代用品の準備の都合や手間の問題、また、西洋軍人の写真を手本に、士達は素直に写真家が求めるポーズに従うようになった。写真撮影する者が増えた慶應や明治頃には、杖太刀ポーズでの写真が他の被写体に倣い、杖太刀は写真撮影時には当然のように行われるようになった。

 

と言う説が有力かと考えられます。

 

当時、日常的に杖太刀が行われていなかった物的証拠として、江戸時代の上士の拵写真を掲載します。これは平常指と呼ばれる拵で、上級武士が日常的に大小として帯びていた刀の拵です。

大刀と脇指が触れる箇所は、自ずと磨耗が起き、鞘の塗りは木地まで見える程磨り減っています。

お判りでしょうか? 磨耗著しく、漆の塗膜が薄れ、下地の木地が露出していることが判りますね。

では、この拵の鐺金具はどうなっているのかと言うと…

 

敗戦時のGHQによる刀狩りや、刀剣の取り扱い作法を知らぬ縁故者、旧所有者により、若干の当て傷は見られるものの経年劣化の範疇を出ません。

別角度でアップで撮影した写真もご覧下さい。

写真は切抜き以外、一切加工を加えていませんが、鐺金具の底は綺麗な状態で、日常的に地につけられた形跡はありません。これが日常的に杖太刀をされていたのであれば、四分一(銀の合金)製の鐺金具は磨り減って変形し、色も極端に変わっているはずです。

 

一方、日常的に杖太刀された軍刀の鐺金具をごらん下さい。

使用されたのはたった数年にもかかわらず、金具の損耗が著しく、磨耗によって変色し、槌目模様と桜花葉の彫刻はほぼ完全に消えてしまっています。

下に掲載するのは、ほぼ未使用の軍刀の鐺。

金具全体に打たれた槌目模様も、桜花葉の彫刻もしっかりと残っています。

 

これら物的証拠から見ても、天心流兵法は自ら考案公開した杖太刀形を正当化するために、幕末の一部の写真ばかりをその根拠として示し、素人や外国人相手に誤まった情報を拡散していると言わざるをえません。

上にご紹介しました物的証拠をもとに、杖太刀なる無作法が、江戸時代の士達によって日常的に行われていたか否か、貴方自身でご判断下さい。

 

 

最後に…

天心流とその擁護者は、私の長男と三男が幼い頃の写真と、私がカメラマンに求められてとった杖太刀風写真をネット掲載し、“さも私が天心流を敵視し、杖太刀という所作がなかったと吹聴しているが、町井とその家族は近年まで杖太刀を行っていた”と、外国人向けに嘘偽りの情報拡散をしています。

利用されている写真は以下のものです。

上半身しか写っていない写真ですが、カメラマンのポージングに応えてのものです。鞘尻(鐺)は当然ながら地にはつけておらず、足の甲の上に置いており、杖太刀ではありません。

これは長男が幼稚園児だった頃、たまたま買い取った軍服を着せて日本軍風の写真を撮ったものです。軍人風写真ですから多く残る軍人写真同様に敢えて杖太刀のポーズをとらせていますが、注目頂きたいのは用いている軍刀です。鉄鞘むき出しの拵ではなく、野戦用革覆と呼ばれる鞘保護用の革袋を被せた状態です。杖太刀写真を撮影するにしても、細心の配慮を行っており、私は常日頃から子供達に杖太刀という無作法をさせてはいません。

 

こちらは三男が四歳頃でしょうか、三男の甲冑着初めを兼ね、地元の武者行列祭りに参加した時のものです。写真は私ではなく妻が撮影したもので、この頃、次男と長女は既に居合修業を始めていましたから、刀の鐺を地につけてはいけないという知識があるので帯刀と提刀ですが、まだ刀に対する知識がない三男は杖太刀になっています。現場に私が居たなら杖太刀は絶対にさせていません。三人ともに妻の方を向いていないので、ひょっとすると第三者の求めに応じ、三男が杖太刀ポーズをとってしまった可能性もあります。

いずれにせよ、こうした古い子供達の写真まで引っ張り出してきて、私の揚げ足をとり、上半身しか写っていない私の写真を使って、私が杖太刀をしていたように嘘の情報を英文にて海外に拡散する天心流兵法には、怒りを越えて呆れるばかりです。

繰り返しますが、私は子供達や門弟に対し、杖太刀なる無作法は一切教えていません。また、私自身も絶対に行いません。

そして江戸時代の士達も、ふとした仕草の中で、杖太刀風の所作をとってしまうことがあったとしても、日常的に杖太刀なる所作を行っていないことは、遺された写真や遺品、刀剣類から判断できるのです。

 

※御協力のお願い

https://www.facebook.com/Tenshinryuhyohoenglish/posts/2080102875365317

上記天心流の海外向けフェイスブックページにおいて、英会話堪能な門弟による上述の私に関わる嘘の情報拡散がされています。私と同じく、“誤まった知識の拡散防止”を志して下さる方、上記フェイスブックページにて、杖太刀は無作法であり、物的証拠からも行われていなかったと考えられる旨、記述頂けませんでしょうか。これは一人だけが記述するのではななく、多数の方が記載することによって、海外の方への誤報・誤文化拡散の抑止となります。

『This information is wrong. 』

この一文だけで結構です。是非コメントをしてください。

 

 

追記

刀を宙に浮かせた杖太刀モドキ写真からもう一つ大切な事実が読み取れます。それは刀の鯉口はかたかったということです。しっかりとした拵は柄を逆さに向けても刀身が抜け出ません。それ故に刀を抜く際には『鯉口を切る』という動作があるのです。

 

 

美術刀剣 刀心 特別企画 本日最終日です

お得な特別企画は本日が最終日です。

お買い忘れはございませんか?

今年も新潟で修心流居合術兵法の演武が見れる!! アートミックスジャパン 4月15日(日) りゅーとぴあ能楽堂

アートミックスジャパン

昨年に引き続き、今年も新潟のりゅーとぴあ能楽堂において、修心流居合術兵法の演武を披露させていただきます。

昨年と同様、形の理合や術理の解説を交えながら、居合・剣術・体術について、皆様に古流居合術をご覧頂こうと思っています。

現在、英信流系(神伝流含)を修行されている方は勿論、居合術・古武術ってなんだろう?とご興味をもたれた方、是非新潟のりゅーとぴあ能楽堂にいらしてください。

お待ちしております。

 

アートミックスジャパン WEBサイト  http://artmixjapan.com/

演武詳細ページ  http://artmixjapan.com/program2018/artist18.php

公式パンフレットデータ  http://artmixjapan.com/pdf/amj2018_pamphlet.pdf

クリスマスプレゼント

クリスマスであった昨日25日、午後1時35分に第九子(三女)が誕生しました。神様からの素敵なクリスマスプレゼントです。

三女

4,530グラムの大きな女の子。
元気いっぱい大きな声で泣いていて、とっても可愛らしい(嬉

薙紗(なぎさ)と名づけたかったのですが、薙という漢字の語源が悪いらしく、家族に却下されました。

今のところどの子も私の居合を受け継ぐ気配はないので、せめてこの子は… と淡い期待を抱いています。

Panasonic shaver with Isao Machii

パナソニック ラムダッシュ動画、ショートバージョンのご紹介です。

Panasonic ラムダッシュ with 町井勲

パナソニック ラムダッシュ
パナソニックのラムダッシュが凄い!!
パナソニックの新たな試み!!!

京都建勲神社船岡大祭

10月19日、京都にある建勲神社船岡大祭にて、古式砲術演武を奉納させていただき、長男友哉も初陣を飾らせて頂きました。
でも、初陣と言って良いのかどうかわかりません。
何故なら長男は4歳頃に既に鉄砲隊の愛知県遠征で既に参陣しているからです。
長男初陣
こんなに小さかった長男が…

長男と
今ではこんな体格に(写真左が長男友哉)

この日初めて火縄銃を撃つ長男。弾込めに手こずるため、初回の演武では三段撃ちには参加せず、二回目の演武でようやく三段撃ちに参加できました。
不発を出す事無く全弾撃てたので何より何より。


船岡大祭開催の儀。床机はバッテン向きではなく、正しく正面に向けて座す。


鉄砲足軽が一人もいない侍大将クラスばかりの鉄砲隊(笑


火縄に火をつけてもらう。古式にのっとり火打石を用いて… ではなく、文明の利器、100円ライターが活躍する。


演武の解説にも文明の利器、マイクが活躍する。相馬野馬追のように士言葉の大きな声で解説したいところだ。


この日一発目の発射準備。


火蓋を切る。


私も息子も鎧通しを帯びていない。何故なら… 所望されるお客様にお譲りしてしまったからだ(苦笑


火がついた火縄をてにする長男の姿は、何故か煙草をふかしているヤンキーにしか見えない… と思うのは私だけだろうか(笑


礼は腰を曲げるのではない。軸を保ったまま頭が下がるように身体を捌くものだ。


記録係として同行した美術刀剣 刀心スタッフS君。


長男… 一応立派な若武者だ(笑


銃床に革覆を装着していない者は、火縄銃と言えども銃床を地につけない。これ、当たり前のことです。戦国時代の戦場でならいざ知らず、今の時代に杖太刀ならぬ杖銃?…ありえない(ガリレオ湯川教授


初陣?を記念して長男による単独演武。