奥州住道長(新々刀) ~新撰組隊長近藤勇の愛刀としてよく知られる会津の名刀~

奥州住道長(新々刀) ~新撰組隊長近藤勇の愛刀としてよく知られる会津の名刀~
奥州住道長(新々刀)
– Oushu ju Michinaga –
 
道長は三善長道の弟と伝えられ、新撰組隊長近藤勇の愛刀としてよく知られています。
慶応2年11月15日、近藤勇は三善道長へ会津の山本覚馬を通じて作刀を依頼。仕上がった刀は会津藩士永田権之助・清治親子が受け取って七条木津屋橋の近藤勇まで持参しました。それほど会津の三善道長は当時人気が高かったのです。
 
この刀は柾目に杢交じりの肌立った地鉄によく地沸が付き、互ノ目乱れの刃縁にも盛んに沸が付き、打除や二重刃風の刃を見せ、覇気ある出来口を示す作品で、鍛錬疵等は皆無の良刀です。
附属の打刀拵は兜図の縁頭がついた江戸期の古い拵で、黒蝋塗の鞘に鯉口には宣徳(真鍮)製の口金が付けられ、大東亜戦争時には軍刀として携えられたため、野戦用皮覆と縁に皮のストッパーが被せられていますが、これらを外して頂ければ、元の打刀拵に戻せます。
近藤勇も所有していた会津道長の良刀を是非コレクションにお加え下さい。
 
裸身重量696グラム。  拵に納めて鞘を払った重量948グラム。

刀 陸奥運寿兼友作 慶応三丁卯秋

刀 陸奥運寿兼友作 慶応三丁卯秋
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/537/00.html
刀 陸奥運寿兼友作 慶応三丁卯秋

会津兼友は銘鑑を紐解くに、元禄から明治まで七代に渡ってその名跡が続いており、この作品は幕末に活躍した五代兼友の作と鑑せられます。
この頃、会津藩は悲劇的な運命を辿ります。戊申戦争では一ケ月にもおよぶ会津城籠戦を凌ぎ、兼友、長道、道辰ら会津の刀匠達は弾丸の製造に尽力。十一代会津兼定は城外に討って出たとも伝えられ、一藩総力戦ともなった戦いは、白虎隊はじめ多くの悲劇を生み、敗れた会津藩士やその家族の多くと、そして六代兼友は北海道へ移住したと伝えられています。

兼友は兼定に似た美濃伝の沸が少ない直刃か互の目乱れを焼き、本刀はよく練れた杢目に地沸がついて地景入った精美な肌が少しく肌立ち、匂口締まりごころの中直刃に小沸がつき、鼠足入り、ほぼ等間隔に小足を交え、金筋が現れるなど、細やかな刃縁の働きが上品で見所多い出来口です。

裸身重量724グラム。