肥州河内大掾藤原正廣(四代)

肥州河内大掾藤原正廣(四代)肥州河内大掾藤原正廣(四代)
– Hishu Kawachidaijo Fujiwara Masahiro(4th generation) –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/361/00.html

四代正廣は友之進と称し、正廣家三代目の子で延宝三年の生まれ。宝永元年に没した父の跡を継いで家督を相続し、宝永五年の河内大掾受領を機に銘を改めました。宝永七年には、忠吉及び行廣と共に幕府から朝鮮通信使への贈り物とされる刀剣の製作を命じられているように、高い技術を備えて肥前鍋島家に仕えていました。
正廣家は初代忠吉に養子として迎えられた吉信の子に始まり、山城伝直焼刃を特徴とする忠吉一門とは作風を異にし、相州伝を基礎とする乱刃を得意としましたが、基本にある地鉄鍛えは、微細な地沸で覆われて緻密に詰み、江戸期肥前刀の代名詞である小糠肌となります。

この脇指は、中心千両の言葉に相応しいスキッとした中心に、程好く反りが付いた美しい体配を誇り、切先は延びごころで鋭さを感じさせます。
地鉄は小板目肌が良く練れて詰むも少しく肌立ち、地沸付き、地景入り、匂口明るく冴えた湾れ基調の互ノ目乱れを焼いており、刃縁に砂流や金筋、足等の働きが顕著に見られ、四代正廣の技量の高さを誇示する出来口で、時代物の金着せはばきが伝来の良さも物語っています。

裸身重量579グラム。

脇指  陸奥守包保 甲割(右陸奥)

脇指  陸奥守包保 甲割(右陸奥)

陸奥守包保 甲割(右陸奥)
– Mutsunokami Kaneyasu Kabutowari(Migi Mutsu) –
 
陸奥守包保は、左陸奥包保の門人で後に養子となった人物です。初銘を包重と称し、この時代の作品には銘を師の左陸奥と同じく逆文字(鏡映し)に切っていますが、包保に改名してからは、通常の右文字に銘切るようになることから、師の「左陸奥」と区別して「右陸奥」と称されています。
彼は後年に養父と共に信州松本城主水野家に抱えられ、信州松本に於いても作刀しており、延宝五年から元禄二年までの年紀のある作品を残しています。
 
鎌倉期の猪首切先を思わせるフクラたっぷりとした丸みある切先が印象的なこの脇指は、兵庫県の旧家より直接当店がお引き受けし、登録作業から美術観賞用上研磨、白鞘の新調など全てを当店にて施しました。本邦市場初登場の完全なるうぶ品で眼垢は一切ついておりません。
地鉄は小板目肌がよく練れて詰み、地沸ついて地景入り、匂口明るい中直刃を上品に焼き上げています。一見単調な直刃に見えるも、仔細にご覧頂ければ細かな刃縁と刃中の働きに気付かれるはず。眺める度に新たな発見を楽しめる一振りです。
 
上研磨は日本美術刀剣保存協会主催のコンクールに於いて入賞を果たす上手な研師が担当しました。
何もお手をかけることなく存分に右陸奥の地刃をご堪能できるうぶ出しの一刀。是非この機会に御入手下さい。
 
裸身重量421グラム。

江藤新平、島義勇が愛した肥前刀 幕末肥前三名工の一人“吉包”

江藤新平、島義勇が愛した肥前刀 幕末肥前三名工の一人“吉包”

江藤新平、島義勇が愛した肥前刀 幕末肥前三名工の一人“吉包”

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/586/00.html

 

吉包は九代忠吉、吉宗と共に、幕末に活躍した肥前の名工で、佐賀七賢人に数えられ、佐賀の乱の首謀者でもある江藤新平島義勇両名の蔵刀も手がけました。
九代忠吉や吉包、吉宗らの存在は広く一般に知られることなく、その現存する作品も極めて少ないところから、八代忠吉の影となり、代作を担っていたものと推測され、彼らの技量が高かったからこそ、八代忠吉が、初代、二代、三代と並び称されるに至った事は容易に想像されることであります。それだけの高き技量を持ちながらも、幕末から明治、そして廃刀令と言う時代の波に翻弄され、刀鍛冶として存分に活躍する機会に恵まれず、その名を知られることもないまま、近年まで高く評価されることがなかった不遇の名匠で、それ故にこの吉包の刀は、幕末の肥前三名工(九代忠吉・吉包・吉宗)の貴重な資料としての価値高く、入手困難なる隠れた名刀です。 地刃晴れ晴れと冴えたその出来口は、師である八代忠吉を卓越したもので、上代の作にも引けをとりません。心境としては売りに出さず、独り密かにこの刀の出来を、生涯に渡って独占したい思いに駆られます。昭和63年の遅い登録ではあるものの、当店所蔵の九代忠吉と拵の様式が酷似している点から鑑みて、この刀も鍋島家に縁ある家やかなりの上士の所有であったものと推測されます。

薄っすらと錆に包まれ、風化してボロボロの柄巻きの状態で発見された本刀ですが、当店にて日本美術刀剣保存協会主催研磨コンクール入賞研師による上研磨を施し、白鞘、継木、正絹柄巻き等の諸工作を全て行いました。
数少ない幕末肥前三名工の一人、今尚中心が光っている極めて保存状態が良い、吉包の刀を是非この機会に御入手下さい。

裸身重量651グラム。  拵に納めて鞘を払った重量984グラム。

防州清忠 ~室町中期の片手打ち体配~

防州清忠 ~室町中期の片手打ち体配~

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/353/00.html

 

二王一派、清忠の作。清忠同銘が複数いる中、防州清忠と銘切る清忠は、銘鑑を紐解くに室町中期文明頃に一人、天正頃に一人確認できます。

室町時代中期の片手打ちの寸短い打刀として鍛えられたもので、疵気こそありますが、地鉄自体は非常に良く練られた杢目鍛えに淡く映りごころが現れ、明るく冴えた直刃は匂口が締まり、地鉄に影響されることなく、真っ直ぐに焼き上げられた完成度の高いものに仕上がっています。清忠の作品は少ないため希少。室町中期を代表する体配を留めるこの脇指は、日本刀の時代変遷を学ぶ上に於いても非常に良い資料です。

4月末日までの期間限定特別価格をお見逃し無く!

裸身重量494グラム。

短刀 國長

短刀 國長

短刀 國長

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/147/00.html

 

淡く映り立つ地鉄に浅い湾れを焼いた室町末期の作品。

鑑定書付きの在銘古刀をお探しの方、また、これから刀剣趣味を始められるにあたり、まずは最初の一振りをお探しの方に向け、安価で御案内致します。

裸身重量78グラム。

刀 行長

刀 行長

刀 行長

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/572/00.html

 

國不明行長と極められた行長在銘の刀。元先の差が開いた小切先の優しい体配は、武器であることすら忘れさせてしまいます。
杢目鍛えに少しく肌立ち、匂口沈んだ直刃を焼いた本刀は、俗に言われる甘斬れの一刀で、総体に柔軟な造り込み故に折損し辛いものとなっています。
うぶ出しにて買い受け、当店にて上研磨を施し保存刀剣審査を受審しました。研ぎあがりの清々しい、一切手をかける必要がない美術鑑賞刀を、是非この機会にお求め下さい。中心の味も抜群です。

裸身重量550グラム。

因州住藤原兼先  ギネス6冠達成記念特別価格

因州住藤原兼先

脇指 因州住藤原兼先

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/350/00.html

 

美濃の兼先は安土桃山時代頃に備前岡山に移住した後、近江、越前、加賀、越中、因幡などの各地に移住しました。因州兼先は池田家の国替に伴い、備前から因幡国へ移り、鳥取城下に鍛冶場を構え、幕末に至るまで繁栄しました。

元は二尺一寸程の短い打刀として鍛えられた刀です。短めの打刀は上士の指料に多く見られ、本刀も名のある士の腰にあったものと思われます。
※はばきの飲み込みを後に深く加工されているため、白鞘とはばきの間に隙間があります。

裸身重量570グラム。

加州家次 ~加賀青江~

刀 無銘(加州家次)

刀 無銘(加州家次)

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/557/00.html

 

加賀青江とも呼ばれる加州家次は藤島派の刀工で、室町前期應永頃の家次を初代とし、以降室町末期まで栄えました。

本刀は刃中まで良く煮えた小乱れに金筋を交え、地鉄は総体に淡く映り立った出来口。附属の拵には、素銅鎚目地に桃をあしらい、耳と小柄笄櫃穴に赤銅の覆輪を着せた鐔に、流水に扇の縁頭、茸図の目貫、金着の切羽など、豪勢な造りになっています。
はばきは現状では単なる素銅地になっていますが、こちらも元来は金または銀の着せであったもので、元の鞘は網目模様に青貝を散らした上等な鞘でした。さぞ高禄の士の指料であったことが窺がえます。
残念ながら附属していた時代の鞘は漆剥離や傷みが目立つため、新たに黒蝋塗鞘を製作致しました。
細かな刃中の働きが大変興味深い一刀ですので、余力ある方は是非再研磨されてみては如何でしょうか。

裸身重量627グラム。  拵に納めて鞘を払った重量894グラム。

無銘(二王/小笠原長旨)

無銘(二王/小笠原長旨)無銘(二王/小笠原長旨)

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/553/00.html

 

 

伊豆国阿部伊勢守正勝の臣、小笠原藤九郎の子である長旨は、後に浪人して江戸の上野池之端に住し、鐙などの武具を作っていましたが、鍛刀も学んで刀匠としても名をあげました。
長旨の師については明らかではなく、大和系の鍛冶とも仙台国包系の鍛冶ともいわれ、江戸新刀系の鍛冶とは異なり、古雅な作風を見せます。

切れ味の評価も高く、新刀上々作にして業物に列していますが、その遺作は少なく、古刀を彷彿とさせる出来口だけに、銘を改竄されて古刀に化かされた作品も少なくないのではと推測されます。

杢目肌良く練れて詰み、地沸付いた美しい地鉄に上品な直刃を焼いた本刀は、日本美術刀剣保存協会旧認定書では、鎌倉期の二王と極められ、近年の保存刀剣鑑定においては、時代を大きく下げられ、小笠原長旨に極め変えされましたが、これは刃区に焼き出しと受け取ることができる部分があったからと推測されます。

長旨の作に、古刀の磨上中心を思わせる中心形状のものがあり、また、刃区の際で焼き出しと鑑てとれる部分があるため、長旨の極めになったものと思われますが、いずれの極めにせよ、刀の出来と拵の良さには目を見張るものがあり、二尺一寸程の短い寸法や総体格式の高さから、大名の蔵刀であったことは容易に想像される名品で、鯉口内部には鞘師の銘が刻まれています。

裸身重量552グラム。拵に納めて鞘を払った重量859グラム。

刀 越州住下坂當國(初代) 附 保存刀剣鑑定書

刀 越州住下坂當國(初代)
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/533/00.html
刀 越州住下坂當國(初代)

江戸前期の寛文頃、罪人の死体を用いて日本刀の刃味を試すことが盛んに行われました。様々な時代の刀を試す中で、辿り着いたのが反りの浅い寛文新刀体配です。
反りが浅いことから、日本刀らしい反りを求める愛好家からは敬遠されがちですが、実は日本刀としての斬味を発揮するのはこの反り浅い姿。刀剣書籍にある「町道場が流行り、突き技に適した反り浅い姿が誕生」と言うのは刀剣学者による机上の空論であるにもかかわらず、未だ根強く信仰されています。

この刀はそんな寛文頃に活躍した初代當國の手による作で、中心には堂々と大きな銘が切られ、小板目柾がかった地鉄に小沸本位の匂口は、刃縁から刃先に向けてふわっと煙り込み、刃中の柾鍛えに沿って砂流や足が看取され、康継に代表される下坂一派の力量を示す出来口の一刀です。

裸身重量695グラム。