巻藁と畳表の違い

今回は広く皆様に試斬で用いられる仮標の違いについて知って頂きたく、この記事を書いています。

日本刀を用いた試斬に於いて、よく耳にされる巻藁というもの。現在は巻藁とは名ばかりで、実際には古い畳表を巻き締め、水に浸したものが用いられています。

植物学的にも稲藁と藺草は別物であり、性質も全く異なります。

稲藁と畳表、どちらが斬りやすいか?

同じ太さで繊維の方向が全て揃っていれば、茎が太く、中の空洞部分が多いだけに、稲藁の方が簡単に斬れるのかもしれません。

斬りやすいか否かは繊維の方向の揃え方に大きく影響します。

例えば藺草であっても、畳表のように糸を使って編んでおらず、一本一本独立したものを束ねたものですと、余程の腕がない限り綺麗に両断することはできません。

ですから、正確無比なる刃筋確認稽古をすべく、私の道場では時折ばらした藺草を束ねて仮標を作り、四箇所だけで縛って斬ることも行っています。

次に両者の保湿について記載します。

藺草は一本一本が細く、太さはほぼ同じですが、稲藁は根本は太く、先は細いランダムなものとなり、そこに平たい葉も含まれます。両者を同じ太さに束ねた場合、畳表などの糸で編まれた藺草では、しっかりと詰った仮標ができあがりますが、稲藁では空洞が多い箇所、密度が詰った箇所、また、根本の部分と穂先部分とで、同じ一本の藁でありながら硬さも変わります。

畳表として編まれた藺草は、水から揚げても数時間は斬ることができますが、稲藁は見た目よりも密度に乏しいため乾燥するのが早く、水から揚げて一時間もすればかなり斬りづらくなり、5~6時間も経過してしまうと、画で見るような綺麗な両断はできず、必ず斬り終える箇所はばさけてしまい、素人目に見ると両断失敗のように映るのです。

稲藁も畳表同様に細かく糸で編まれていれば、斬り易さも増し、乾燥もいくらかましになるのでしょうが、そういったものは特注で作らない限り存在しません。せいぜい手に入る物としては、菰(こも)として販売されている物くらいですが、これは園芸用に作られていますので、簡単にばらけないよう、丈夫な麻糸で編まれており、それも細かく編まれた畳表とは異なって、せいぜい19~20箇所に麻の縦糸が入っている程度です。

菰も本来はマコモと呼ばれる稲科の植物を編んで作っていたようですが、現在では専らマコモに代って稲藁が用いられています。ですから我々が稲藁仮標を斬りたいと思ったら、菰や莚として販売されている稲藁を購入するのが手っ取り早いということになります。

続いて使用する試斬台の芯の太さについてですが、上述の通り密度がある藺草(畳表)は、だいたい直径3~4センチくらいの細いものを用いますが、稲藁は密度がないため、同径の芯では支えることができません。直径6センチ以上の太い芯が必要となります。それとて硬さにバラつきがあり、密度も部分部分で異なるため、斬っている途中で曲がったり、たわんできたりしますので、斬り手を悩ませる仮標です。

このように両者は植物学的にも、また、試斬に於ける対象物としても、全く性質が異なるものであるにも関わらず、世界中で誤認されています。

以前、ブログにも記載しましたが、ギリシャ人AGISILAOS VESEXIDIS氏が保持する「Most martial arts sword cuts in one minute (rice straw) 」の記録を、二年前に私が更新した際、圧倒的な差をつけて更新したのですが、私が斬っているのは稲藁ではなく、藺草である。と言う理由から「Most martial arts sword cuts in one minute (rush straw) 」という別カテゴリー扱いとなり、現在もAGISILAOS VESEXIDISが同一競技稲藁部門の記録保持者として認定されています。

しかし、AGISILAOS VESEXIDIS氏が用いたものは中国製の藺草マット、つまり畳表に縁をつけた茣蓙で、これは日本の畳表とは異なり、密度が無く、素人にも容易く斬れてしまう代物。そもそも海外に於いて稲藁で仮標を作ることが容易くできるものかと疑問に思った私は、「Most martial arts sword cuts in one minute (rice straw) 」の生みの親(一番最初にギネス申請した人物)であるKaripidis Kostas氏とコンタクトをとり、氏がギネス挑戦中の写真と、使用した稲藁仮標の写真を提供していただきました。

Karipidis Kostas氏

ギネスルールにのっとり、15センチ間隔で縛った箇所に切り込んでいます。

一方、現記録保持者であるAGISILAOS VESEXIDIS氏はギネスルールを全く無視しています。

上に紹介している写真と動画をご覧になれば、仮標は藺草製であることが、畳に馴染みある日本に住む方なら誰でも一目瞭然でしょう。ましてやルールを完全に無視しているAGISILAOS VESEXIDIS氏の記録が、ギネス認定を受けていることに疑問を感じる人が多いのではないでしょうか?

そして、昨夜のAGISILAOS VESEXIDIS氏とのやりとりで判明した事実は、AGISILAOS VESEXIDIS氏自身がこの藺草仮標を稲藁仮標だと誤認していたことでした。当然ながら他の多くの海外の人達が同様に誤認しています。ギネス公式認定員でさえ稲藁と藺草の違いを知らないと言う事実です。

AGISILAOS VESEXIDIS氏から提供された仮標写真を以下にご紹介致します。

細かく編まれ、一本一本が同じ太さの植物繊維。これは明らかに稲藁ではなく藺草であり、縛っている箇所が凹んでいるのは、日本の畳表とは異なり、藺草の本数が少ない中国製の茣蓙である証拠です。

斬る対象物が異なると、今後の記録にも大きく影響を与えかねません。公正に競技を行い、新たな記録に挑まれる挑戦者のためにも、世界中の人とギネスの認定員の皆さんに対し、稲藁と藺草(畳表)の違いをしっかりと認識していただく必要があります。また、茣蓙を用いるにしても、試斬用として販売されている畳表もどきでは、同じ太さの仮標であっても、切り込んだ際の硬さは日本製畳表の半分~1/3程度のものです。よく抜付の一刀で外国人がスパスパと仮標を切っている動画を見かけますが、あれこそが試斬用畳表もどきだからこそ出来る芸当なのです。また、同じ日本製畳表でも、安い畳と高級畳とでは藺草の質、密度が異なります。縦糸にもテグスのような硬い糸、丈夫な麻糸、さほど丈夫ではない木綿糸の三種類があり、使用されている縦糸によっても硬さが異なってきます。

ギネスのルールとしては「畳用に作られた藺草製畳表で、縦糸は木綿製の標準的な物」の一文を加えない限り、「Most martial arts sword cuts in one minute」と言う競技は、素材の違いという抜け穴を見つけた者によって優位に更新されていくことでしょう。これはギネスが提唱する「公正」ではありません。

 

今後の参考資料として以下に写真を提示します。

こちらは日本製の標準的な硬さの畳表。中国製の試斬用茣蓙との違いは、実生活に耐えうるよう、しっかりと藺草の密度を詰めて編まれていること。見極めのポイントは、縛った箇所が凹まない点であり、試斬用茣蓙として作られたものは、同じ太さであっても密度がないため、縛った箇所が凹み、節が出来るのが特徴です。

試斬用に作られた茣蓙ではないかもしれませんが、簡易的なビーチマットとして作られた藺草製茣蓙なので、藺草の本数(密度)が少ないために縛った箇所が節立っていることがお判りいただけるでしょう。

 

こちらは本巻藁。稲藁を束ねて作ったものになります。一本作るのに数十分の時間を要します。稲藁は肌に刺さるのでチクチクしますし、肌が赤くかぶれたりする上に、紐で締め巻かなければいけないので、手指にも相当な疲労が伴います。

本巻藁を斬ると以下の動画のようになります。素人目には斬れているのか失敗して崩れているのかわからないような感じに映ります。

菰や莚として編まれた稲藁ですと、上の動画ほどバラけはしませんが、それでも掃除は相当大変です。

菰・莚として編まれた稲藁は下の写真になります。

左右から中央に向けて稲藁を並べ編んでいます。つまり、菰の中ほどは稲藁の穂先部分。細くなる分密度が足りなくなるため、ここには半分ほどに切った藁を加えて編まれています。ですから、これを巻いて締めた場合、どうしても中央がやや太くなり、両端は幅は藁の根本の方なので、幅はあるものの密度が中央より少なくなるため細くなります。稲藁は乾燥するのが早いため、水から揚げてすぐに斬るのがベストであり、中央よりも両端の方が斬りやすいです。

 

如何でしょうか。

稲藁による本巻藁と、藺草による茣蓙巻との違い、お判りいただけたかと思います。

本日のこのブログ記事が、ギネスルールの根本に役立てて頂けると嬉しく存じます。

 

東京道場直伝稽古

昨日と一昨日の二日間、東京道場にて稽古をつけてきました。

今回の課題は、現在十六本ある組居合立業の形を覚えてもらうこと。

組居合は単独で行う形とは異なり、二人一組で行います。打太刀と仕太刀とで手順が決まっている約束稽古とは言え、見た目だけではなく、本当に業を成立させながら形稽古を行うのが私が指導する修心流のモットーなのですが、武術ですから当然ながら危険なものもあるわけで、だからこそしっかりと手順を覚えてもらわなくてはいけません。

袈裟に打ち込むべきところを、とんでもない方向から打ち込んでしまえば怪我はまぬがれませんし、場合によっては死亡事故にもつながります。ですから組居合の稽古ではどうしても大きな声で注意したり、時には叱ることも出てきます。

今回の稽古では特に厳しく注意し続けた門弟がいたので、気が滅入っていないか、居合に対する興味を失ってしまっていないかなど、気がかりではありますが、上手になって欲しい。怪我をさせたくないとの私の思いやりからのものですから、きっと気持ちを理解して来月の稽古にも笑顔で参加してくれるものと信じています。

フジテレビ ONE hour Sense 明日放送です

テレビ出演情報
 
フジテレビ(関東・関西ローカル)
ONE hour Sense(1Hセンス)
7月15日(日)21:54~22:00
 
刀剣・居合関連以外での私の素顔が放映されます。
是非ご覧下さい。

ヤフオク偽造登録証付き海軍刀顛末記

ヤフオク海軍刀顛末記

以前このブログにも記載しましたヤフオクでAさんが購入された海軍刀の顛末を記します。

大変素晴らしい顛末となりましたので、是非とも皆様にもお薦め致したく記す次第です。

 

事はAさんがヤフオクで海軍刀を落札したことに始まります。

不錆鋼の一刀で、俗に言うステンレス刀です。

落札金額は13万円程だったとうかがっています。刀としては安い部類ですが、それでも我々庶民にとって、十数万と言えば結構な金額かと存じます。

Aさんは落札したその刀の名義変更をしようとしたところ、添付されていた登録証が偽造されたものであったことが判明しました。当然ながら出品者に連絡するも返品は受け付けてもらえなかったようで、教育委員会と相談を重ね、新規登録のために現物確認審査に出向かれました。

しかしながら中心に軍事工廠の刻印が打たれていることから、登録不可と言う判断が教育委員会から下されました。

この場合、刀身を切断すれば、拵と中心(なかご)部分の所持は許されます。或いは完全に廃棄処分の手続きをとるかの二択となります。

しかし私がAさんを評価するのは、そのどちらの選択もされず、第三の選択をされたことです。

それは…

 

寄贈

 

です。

 

この海軍刀を今の姿のまま残したいと切望されるAさんの御相談に、私はメールで対応させていただきました。その中で直近で頂いたメールをご紹介致します。

 

 

以下Aさんからのメール
こんばんは、返信を頂きまして有難うございます。
ブログに取り上げて頂けるとの事で、嬉しさと共に大変恐縮しております。
今回ようやく寄贈先が無事見つかりましたが、それまでに自衛隊広報、護国神社、遊就館や大和ミュージアム、博物館や美術館なども随分あたらせて頂きました。
寄贈受け付けを表明されていても、やはり登録が付かない軍刀は何処も敬遠されますね。
そもそも登録が付くなら私は決して手放したりは致しません。
大阪府の教育委員会担当者の配慮のお陰もあり、最終的にこちらが寄贈を強く推せる結果となりました。
購入費用などは働けばまた手に入るものですが、戦後を生き延びた貴重な軍刀は唯一無二の存在ですから代わりはありません。
それを考えれば、この先も宇佐市の資料館にて永くその姿を留めて頂く事となりましたらこれ幸いです。
資料館との事なので、宇佐市に足を運ぶ機会があれば、また目に触れる機会もあるかと思います。
刀剣に対してズブの素人ではありますが、せめて心だけでも自分に恥じないように心掛けたいと思います。
切断して拵だけでも手元に置いておこうと損得勘定で考えてしまいがちになるものですが、Aさんは一振の軍刀の貴重な存在価値を最優先に考慮され、ご自身の金銭的損害は二の次に、件の海軍刀を資料館に寄贈されました。
私は同じ刀剣趣味人としてAさんの心ある対処に感銘を受けると共に、同じく登録不可の烙印を押されて廃棄されてしまう軍刀類を、一振でも多く健全な姿のまま次の時代に遺せる方法があるということを、今回の記事で皆様に知って頂ければと思い、今回この記事を書かせていただきました。
無鍛錬の軍刀に美術的価値は無いか?
全く美術的価値が無いわけではありません。
GHQによる占領下にあって、数多の日本刀を護るべく、佐藤寒山、本間薫山両先生が苦渋の決断の下、戦前戦中に作られたマシンメイド製日本刀を人身御供として差し出す代りに、古い時代の刀剣や、技量高い近代・現代刀匠の作品を護られたのです。
先の敗戦からもう70年以上経過しています。
軍刀は日本刀史における一時代を担う存在であり、これを無視しては日本刀史にぽっかりと穴が空いてしまいます。
そろそろGHQの呪縛から解き放ち、軍刀も他の美術刀剣同様に、堂々と登録所持できるように法改正して頂きたいと強く願うばかりです。

修心流居合術兵法 公開演武と講習会のお知らせ in福島県

修心流居合術兵法 福島県講習会

 

修心流居合術兵法 公開演武

修心流居合術兵法 香川講習会のお知らせ

修心流居合術兵法 香川講習会

5月20日(日)開催

申し込みは yusuina@gmail.com まで

町井家の端午の節句

長男、次男、三男までは本歌甲冑と陣太刀や弓、鉄砲などを飾って端午の節句を祝っていたのですが、子供の数が増え、四男以降になると、甲冑を出して飾るのも億劫になり、また、店内には常に五領の甲冑を飾っていることもあって、本格的なお祝いをすることがなくなっていました。

ましてや妻にしてみれば甲冑を部屋に飾るのは、なんだか怖い… という女性ならではの反応も…

そうして長らく行われていなかった町井家の端午の節句が、数年振りに蘇ったと言う今回のお話。

 

妻に頼み込んでようやく「5月中だけね。」と、床の間に甲冑を飾る許可を得たのが一昨日のことでした。

実は六年前、松代藩真田家臣、神戸家の子孫の方から、直接家伝の甲冑一式をお譲り頂きまして、いつかは飾りたいと夢見ていたのです。因みにご子孫の方、お子様がおられなかったため、私にお譲り下さった次第です。

骨董市場に出たことがない家伝の甲冑ですから、巷で見かける各部寄せ集めや、三具がすりかえられたものではなく、完全なオリジナル。これ、今の時代には本当に貴重なのです。

業者が集う交換会(競り市)を覗いたことがある人ならご存知でしょうが、一式揃った甲冑が、売り手の都合によって躊躇無くバラ売りされています。これは兜や面頬だけを収集する数寄者にも原因があります。

骨董市でもたまに見かけますが、「胴は要らんねん。場所とるし飾る場所ないからなぁ。兜だけ売ってくれへんか?」と交渉する人が結構多いのです。

また、一式揃っているものに対しては付加価値をつけるべきところが、何故か骨董の世界でも家電のセット売りの如く逆に安く販売されているのも、甲冑がバラされてしまう要因の一つ…

そうした現在ですから、尚のことこの神戸家の具足は貴重であり、私は売却することなく、町井家の家宝として後世まで遺し伝えたいと考えている次第です。

さて、この甲冑への想いを熱く語ってしまいましたが、節句祝いに話を戻します。

神戸家の具足は一荷櫃と呼ばれる二個一組の鎧櫃に納まっています。

まずはバランスよく床の間の中央に二つ並べて行きます。写真は鎧櫃を置くための台で、こうした付属品もしっかりと残っていることは非常に好ましいですね。

鎧櫃から各部を取り出し、梱包を解いていきます。

籠手に施された繊細な仕事。鎖の編み込みも丁寧。何よりも鉄味が良い。ただならぬ甲冑であることが籠手を見るだけで判ります。

飾り付けの準備をしていると、三男が「お父さん、面頬つけていい?」と言ってきたので、記念に一枚パチリ!

鎧櫃に同梱されていた采配も添え、甲冑飾り完了!!

しかし、最後の最後にとんでもないミスが発覚。

鶴首と呼ばれる前立を兜の祓立に装着するための金具を、鎧櫃の中に残したままでした(愕然

折角飾り付けたのに、鎧櫃の蓋を開けるためにだけにまた飾りつけし直し…

悪魔が囁きました。

「このままでいいじゃない?」

と(笑

 

台所から割箸を持ち出し、適当な大きさに加工して、即席鶴首(鶴首状ではないが)を造って前立を装着。

 

そのため前立が本来の位置より2~3センチ上になってしまいました…

が、まぁ、そういうミスもあるということで…

 

では、以降劇的ビフォーアフター口調でお読み下さい。

 

 

♪BGM

なんということでしょう。

掛軸しかかかっていなかった床の間が匠の手によって荘厳な空間へと変貌を遂げました。

 

 

床の間に佇む神部家の甲冑。

赤備えで名を馳せた真田家。その家臣である神戸家の甲冑も、胴を赤の萎革包としています。

甲冑を気持ち悪がっていた町井さんの奥様も、この甲冑が織り成す荘厳な空気に、きっと考えを改めてくれるに違いありません。

兜の祓立には、匠自ら割箸を削って造った鶴首モドキが…

一気に華やかになった町井家の和室。来年からは、毎年子供達が甲冑に眼を輝かせる節句が送られることでしょう。

弓も飾ろうと思いきや、将平刀匠に二張とも預けていることに気付いた町井さん。

せめて太刀だけでも飾ろうと思うも、家伝の太刀はショーケースの中、どうしたものかと思っているところへ、新たな匠(うぶ出し骨董商)が飾るに相応しい糸巻陣太刀をタイミング良く売りにやってきました。これには町井さんも大喜び。欲しい金額に気風良く2万円つけてお買い上げ。

早速店内(美術刀剣 刀心)から太刀を飾るに相応しい金梨地塗牡丹蒔絵の太刀掛を持ち出し、神戸家甲冑の左脇へ。

そして厳かに陣太刀を立て掛けました。

 

♪BGM

なんということでしょう

太刀を掛けたとたん、まるで昼間のように和室がパッと明るくなったではありませんか。

※実際には甲冑を飾りつけた夜から日が変わり、五月五日のお昼になっただけです(笑

采配は右側に置いた方がいいんじゃないの? と言った野暮なことは言ってはいけません。

こうして匠による立派な飾りつけで和室が豪華になったところで、町井さんの六男さんが戻ってきました。

「うわぁ めっちゃかっこいい!!」

立派な甲冑と陣太刀の飾り付けに六男さんも大喜びです。

こうして四男以降、長年催されることがなかった町井家の端午の節句も、無事再開されることになりました。

 

 

さて、このまま放置しておいて、六月になっても甲冑をそのまま床の間に飾り続けてやろう…

などと匠(町井)が目論んでいることは奥様には内緒です。

 

 

 

巻上・中心捕 ~フィンランドから来日の外弟子への指導~

4月29日、30日の両日、フィンランドから外弟子が修業のため来日しました。

修心流居合術兵法をフィンランドで紹介したいと、現地テレビスタッフを同行しての来日。ありがたいことです。

英語を話すことができない私を、シアトル支部長である尾中さんが電話でフォロー。ビジネス英語では伝えられない武術用語は、実際に武術を嗜む者でなければ通訳できません。長時間電話通訳にお付き合い下さった尾中さんに感謝。

 

小川金之助先生の軍刀

あれからずっと後悔の念が頭をよぎっています。

私は引っ込み思案なところがあり、人にえらく遠慮する傾向があります。

そのため今回、絶対に逸散してはいけない小川金之助先生親子の軍刀を逸失させてしまう事態に陥ってしまいました…

なぜ頻繫に連絡をしなかったのか?

今となっては毎日でも連絡すべきだったと悔やまれるのですが、逸散してしまったことを知るまでの私の中では、いずれ生前遺産整理する際には、口約どおり私に譲って頂けるという小川さんに対する信頼と共に、「まだ生前遺産整理はしないのか?」と催促するような失礼な連絡を取りたくなかったからに他ならない。

ただ、毎年年賀状は差し上げており、その中に刀に関する記述もしていたので、それをご遺族が気付いてくれていればと悔やまれてならないのです。

ここ数日、夢にまで出てくる小川金之助先生親子の軍刀。

引っ込み事案な私の性格のために、貴重な武術史資料が逸散してしまったこと、本当に悔やんでも悔やみきれません…

 

生前、金之助先生のお孫さんが私に

「私には息子が居らず、娘二人だけだから、私が死んだらきっとこれらの刀を、価値も知らずわけもわからない骨董屋に手放してしまうだろう… 逸散させないように町井さんにいずれこの軍刀も託したい。」

と仰っていました。

口約は時期が来れば家族にも伝えると言われていたのですが、その約束が成されなったのは、恐らく、急に体調を崩されたからではないかと思います。

故人には申し訳ないのですが、形見として暫く手元に置いておく… と言った考えを捨て、あの時私に他の刀と一緒に託して下さっていれば、小川家の名刀達は失われずに済んだのです。

そして私にもその罪はあり、失礼を省みず、早く譲るよう催促を頻繫にしていれば、逸散を免れることができたかもしれません…

ただただ残念で仕方ありません…

 

7年前に時間を遡ることができたなら…

 

どんな些細な情報でも構いません。

小川金之助先生親子の軍刀について、情報をご存知の方、ご教授下さい。

平成23年5月、京都の小川家から軍刀二振と白鞘入りの刀(私が研磨した作品です)を買い取られた業者の方、このブログをご覧になられていましたら、私へ至急御連絡下さい。

 

 

貴重な歴史的遺産の逸失…

もう、かれこれ十八年程前になるでしょうか。

剣道十段であった小川金之助先生のお孫さん(当時70歳を越えていたかも)から、刀を三振お譲り頂きました。本当は小川家で受け継いでいきたかったそうなのですが、娘さん二人だけなので、きっと持て余してしまうだろう。錆びさせてしまうくらいなら、大切に伝えてくれる人に託したいとのことで、私がよほどのことがない限りは手放す事無く、町井家で伝え遺して行くことをお約束しました。

他にも軍刀拵入りの刀が二点、白鞘入りの刀が一点残っていたのですが、この軍刀は祖父と父の形見なので、もう暫く手元に置いておきますとのこと。いずれ遺品整理を行う段階になったら、町井さんにお譲りしますからね。とお約束いただいていました。

いよいよ米軍が本土に攻め入って来た時には、この刀で米兵と戦う! そんな覚悟で小川金之助先生が自身の軍刀に仕込まれたのは、大磨上無銘の兼光或いはその一門と思しき大名刀でした。鑑定書はついていませんでしたが、重要刀剣はゆうに一発で合格するであろう出来の良い名作。金之助先生の御子息の軍刀は在銘の古い刀でしたが、その銘は失念してしまいました。

毎年年賀状を出していたのですが、筆不精とのことで一度もお返事が返ってきたことはありませんでした。ご家族からの訃報もありませんでしたので、今も長寿でご健在であろうと思い込んでいました。

金之助先生の軍刀、そろそろお譲りいただけないものかと思い、もうかなりのご高齢でしょうから、ひょっとしたら… と、嫌な勘が働き、書留で軍刀のことをお尋ねする手紙を差し上げたところ、御家族から本日返信が届きました。

平成23年5月に他界…

刀剣譲渡の口約については知らされていなかったため、全て処分してしまったとのことでした…

登録証が交付されていた刀剣類なので、骨董屋に引き取ってもらったものと思いますが、もし、警察に廃棄処分の手続きをされていたら…

仮に骨董屋を経由して刀剣界に流れていたとしても、刀剣商は軍刀拵を外し、白鞘に納めて転売してしまうことでしょう。

あの名刀は、あの軍刀拵に納まっているからこそ価値があるのです。

剣道十段、小川金之助先生が実戦に備えて選択された名刀。まさに武家目利きによって軍刀に誂えられた名刀。

日本武術史、武道史に於いてこれほど資料価値が高い名刀はないと私は思っています。それだけにその名刀が拵と離されてしまった可能性が高い事実に、ただただ残念極まりなく思うのです。

私が小川さんからの御連絡を待たずに、失礼を省みず、頻繫に譲渡催促の連絡を差し上げていれば、あの二振の軍刀を、他の小川金之助先生遺愛刀と共に、後世に伝え遺すことができたかもしれないと思うと、後悔の念に絶えません…