情報提供求む!!

本日、静岡にお住まいのお客様から御刀を一振買取させていただきました。

登録証を見ると鉛筆書きで大小とあったものですから、慌ててお客様にお電話さし上げましたところ、脇指の方はおたからや静岡大橋西店にて昨年12月に売ってしまわれたとのことでした。

長年連れ添った大小拵が逸散してしまうことは、我が国の文化財保護の観点から見ても、非常に由々しき事態と思います。

脇指を売ってしまわれたお客様も、大小セットだったとは知らず… と後悔しきりです。

当然私もすぐにおたからやさんに問い合わせましたが、既に業者市場もしくはネットオークションで転売済みのようでした。

登録番号は連番で取得されていた場合岐阜県309或いは311かと思われます。昭和26年3月21日の登録です。

このブログをご覧の方でお心当たりがあられる方は、是非とも美術刀剣刀心へご一報下さいますようお願い致します。

白鞘と拵、継木があるようです。

携帯で撮影しました簡単な写真を添付致しますので、この拵の小と思しき脇指を購入された方、或いは他店で売りに出ているのを知っているという方は、情報のご提供を宜しくお願い致します。

※刀剣は刀剣専門業者にて売却されてください。複数刀剣を売却される場合は、できるだけ一店舗で売却なさってください。今回のように大小がばらされてしまうのは大きな損失且つ、売却されるお客様にとっても大きな買取査定の損失になります。

まるで日輪刀!? 総額500万円の日本刀で剣術の業と刀に出来る傷を検証!!

一文字天秀鍛之 ~内外共に鑑定書付き 見事な杢目肌~

一文字天秀鍛之 ~内外共に鑑定書付き 見事な杢目肌~
一文字天秀鍛之
– Ichimonji Amahide –
 
福本天秀は本名をは福本秀吉と言い、株式会社関日本刀鍛錬所に所属した刀工で、一文字天秀と名乗りました。活躍したのは昭和前期で、数多の軍用刀身を鍛え、その強靭さと刃味には定評があり、聖代刀匠位列に於いては、上工の列、大業物関脇格に列しています。
 
この刀は元先の差が目立っては広がらず、切先はやや延びて豪壮さを感じさせます。
杢目鍛えで緻密に練られた地鉄には、随所に地景が見られ、それはあたかも縮緬のよう。刃文は匂口明るく冴えた直刃調の互ノ目乱れで、尖り互ノ目交じり、焼頭に足が入って乱れの山を二分、三分とし、刃中や刃縁は地鉄に絡んで複雑な景色を見せ、金筋入った実に見事な出来口を示す力作で、肌物好きの方にはたまらないことでしょう。出来良い一刀ですので、余力がある方は是非とも上研磨を施して更なる地刃の妙をお楽しみ頂きたく存じます。
 
附属の拵は金具一作揃の半太刀拵で、重厚感があり、質実剛健の美を感じさせます。鞘を払って構えてみると、手元重心でバランスが頗る良く、柄にがたつきも一切無く良好です。
 
裸身重量707グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,091グラム。

無銘 ~二尺四寸八分六厘~

無銘 ~二尺四寸八分六厘~
無銘
– Mumei –
 
小板目肌良く練れて詰み、匂口は明るく、互ノ目乱れを焼き上げ、乱れの山に足を入れ、焼頭を二分、三分としている。刃中には砂流が顕著に見られ、然るべき研磨を施せば美術鑑賞刀としてもお楽しみ頂ける出来口です。
 
附属の拵は赤を基調とした変わり塗りで、割れは無いが刃方、棟方には補修痕が見られますが、しっかりとした補修がなされているので、御使用の上では特に問題はございません。柄に僅かに遊びがございます。御自身でも経木を貼って直せるレベルですが、当店にて補修御希望の方は5,000円(税別)にて承ります。
鞘を払って構えた際の重心は刀身の中程で、さほど重くは感じられないかと思います。二尺四寸八分。刀身にこれといった鍛錬疵も無い拵入りの真面目な刀がこの価格ならお求め易いかと存じますので、是非この機会にご検討下さい。
※居合等武用に御使用になられる場合は、時代ある古い柄を守るためにも、是非当店に簡易武用柄を御用命下さい。20,000円(税別)にてご用意させて頂きます。
 
裸身重量818グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,078グラム。

豊後住大和守藤原國行 ~菊図で統一された粋な拵~

豊後住大和守藤原國行 ~菊図で統一された粋な拵~
豊後住大和守藤原國行
– Bungo ju Yamato no kami Fujiwara Kuniyuki –
 
豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降、藤原姓を銘切るようになってからは、藤原高田と汎称します。
古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用されました。藤原高田の中でも、とりわけ大和守藤原國行は名工として名高く、時代は江戸の虎鉄や大坂の助廣、真改と同時代の寛文頃(1661年)の業物として著名であり、刃文は当時、肥前刀として一世風靡した近江大掾忠廣の如き匂口の深い直刃を明るく焼き上げることから、國行をはじめとした豊後刀の多くが、肥前刀の偽物に改竄された悲しき歴史もあるほどです。
 
この刀は小板目良く練れて詰んだ地鉄に地沸が付き、地刃の出来は頗る良く、匂口明るく冴えた互ノ目乱れを巧みに焼き上げ、刃中には葉が見られ、所々に大粒の沸が絡みつき、乱れの谷には吊り橋の如き沸筋が、乱れの山を繋ぐなど、見所ある出来口で國行の技量の高さを示す作品です。
現状では身幅、重ねを無駄に減らさぬよう、小錆を残したまま研ぎ上げられていますが、古研ぎとは言え、しっかりとした良い仕事の研磨がかけられています。余力ある方は再研磨を施して頂き、特別保存刀剣鑑定に挑戦なさってください。
 
附属の拵は金具を全て菊の図で統一した上品な品で、見た目にもスッキリとしていて気持ちが良く、鞘から払って構えてみると、手持ちのバランスがとても良く、片手操作にも適しています。
柄には少し遊びがありますが、目釘を差し込むと遊びがおさまります。完全なるがたつきの補修御希望の場合は、5,000円(税別)にて承ります。
※小錆を残したまま仕上げている関係で、物打辺りに極小の刃毀れのように見える箇所がございます。
 
裸身重量606グラム。  拵に納めて鞘を払った重量894グラム。

備州長船(以下切) ~実戦を潜り抜けてきた誉傷ある逸品~

備州長船(以下切)
備州長船(以下切)
– Bishu Osafune (cutted below) –
 
元は二尺二寸から二尺五寸程で片手打体配の打刀と推測されます。元先の差はさほど開かず、切先が延びた豪壮且つ鋭い造り込みが印象的で、地鉄は杢目肌良く練れて詰み、少しく肌立って映り立ち、刃文は匂口明るい直刃調の浅い湾れに、小足が入って小乱れを成し、小さな互ノ目を交え、刃縁に砂流かかり、金筋入る。帽子は直調に僅かに乱れごころを見せ先丸く返る。
実戦によるものであろうか、物打に僅かに小さな刃毀れが残されたまま研磨されており、他には指表、横手位置の棟角に切込傷。指裏中程より上の棟角にも切込傷が見られ、同じく指裏物打の鎬地に撓えが見られます。
うぶ買付刀につき、現状では地刃の鑑賞に支障がない程の薄錆が所々に見られますが、急ぎ研磨する必要は感じられませんが、出来が良い一刀ですので、余力ある方は仕上直し研磨を施して保存刀剣鑑定を御受審頂きたく思います。
鍛錬疵や地の荒れがよく散見される末備前刀に於いて、本刀は疵が殆ど無く、地鉄も精良で見応えある優品です。
 
裸身重量595グラム。

鐔の撮影 ~造り手になって考える~

私は仕事として刀剣や刀装具の写真撮影を行っていますが、このブログを拝読されておられる皆様の中には、趣味で御自身のコレクションを写真に納められている方もいらっしゃるかと思います。

今日の記事は私の実子達とスタッフ、そして趣味で撮影されている方への覚書としての意味も込めて記述します。

 

昨日、長男とスタッフS君に鐔の撮影をお願いしたところ、残念ながら私の意に適わぬ写真ばかりが撮れてしまいました。

長男をはじめとした私の実子に関しては、跡を継ぐ継がないに拘わらず刀剣に対する最低限の知識は持ち合わせて欲しいとかねてより切望しているのですが…

刀剣に限らずなんでもそうだと思うのですが、形ある作品を撮影するにあたって、まず何が一番大切なのか?

 

それは造り手の立場になって考えること

 

だと私は考えています。

 

皆さんも幼い頃、何か造ったり、絵を描いたりして、それを両親に祖父母に見せた事がありますよね?

その時の気持ちを思い出してもらいたいのです。

その作品を作るにあたり、どこが苦労したのか?

その絵を描くにあたり、何を表現したかったのか?

それを的確に見抜いて褒めてもらえた時って嬉しかったでしょう?

今回は鐔のお話ですが、鐔だって同じなんですよね。

自分がこの鐔を造った鐔工だったら、どこに苦労したのか? どこを見せたいと思ったのか?

それを考えれば同じ鐔の写真でも全く異なる物になります。

月下老梅図鐔

この二枚は長男とスタッフS君が協同作業で撮影してくれたものです。

何がよくないのかわかりますか?

この鐔は樹齢を重ねた老梅樹を題材にしたものですが、この二枚の写真から題材が老梅樹と気付けますか?

刀の鐔は表面の右側に主たる図柄を彫刻するものです。何故なら士が刀を腰に帯びた際に外から見えるのは、鐔の左側ではなく右側だからです。

上の二枚の写真が左側からも彫りの技術を見せたいと言う趣旨で撮られたものなら良いのですが、肝心の右側からの写真が全くないのです。だから私の意にそぐわなかったのです。

次に私が撮影した同じ鐔の写真を御紹介します。

月下老梅図鐔

先に紹介した写真と鉄の色味も異なりますよね。どちらがより鉄質が伝わり、鐔全体の構図も判るでしょうか?

勿論後者の私が撮影したものになります。

こちらの写真では、まず、老梅樹の幹に焦点を当てています。梅樹が成長する過程の中で枝が折れ、それを修復しながら育った様子を巧みな鏨使いで表現しています。作者はまず、この古木の味を表現したかったはずなのです。

月下老梅図鐔

続いては枝先に焦点を当てました。

太い幹に対して細々とした枝ではありますが、そこに梅花の蕾がたくさんついていて、これから開花して春の訪れを告げようとしている…

開花した梅花も良いですが、開花後の梅花は散るのみ。作者はこの鐔を刀に添える士が散りゆくのを待つのではなく、これから開花して立派な花を咲かせるようにと祈りも込めているのではないでしょうか?

私は鐔の一枚一枚を撮影する際、そうやって造り手が何を思いそれを手掛けたのかを考えています。

月下老梅図鐔

こちらは裏面ですが、焦点は手前ではなく、勿論梅樹の枝に合わせています。この一枚で鐔の仕事振りと厚みも見せることができますよね。

 

一生懸命撮影してくれた息子とS君には申し訳ないのですが、写真は今から私が全て撮影しなおします。

今日は鐔の撮影に終始することになってしまい、刀の写真撮影はできそうにないな(苦笑

 

金重 ~拵新調済~

金重
金重
– Kaneshige –
銘鑑によると金重と名乗る刀工が複数名見られますが、この刀は室町中期の康正頃か後期の天文頃の作かと鑑せられます。元先の差が開き、切先延びた鋭い姿。地鉄は尖りごころの互ノ目乱れで匂口は明るく、乱れの谷に足入り、細かな砂流がかかっています。うぶ品につき錆や切先先端の欠けが気になるかもしれませんが、焼たっぷりとありますので、違和感無く修正が可能です。手持ちバランスがとても良く軽くて扱いやすい居合稽古にも最適の一刀です。 附属の拵は店主町井勲監修の下新調致しました武用拵で、一切の妥協はございません。刀身の歪直しも店主町井勲自ら行いました無比なる芯出しがなされています。 研磨完了後は販売価格も変わります。お安く御入手頂けるのは研磨前の今だけです。お急ぎ下さい。 裸身重量558グラム。  拵に納めて鞘を払った重量808グラム。

兼寿 ~拵見事な懐剣~

兼寿 ~拵見事な懐剣~
兼寿
– Kanetoshi –
 
兼寿は本国美濃の刀匠で、京都、また薩摩にても鍛刀したという記録が残っており、薩摩の波平六十三代安行と義兄弟の契を結んだとも云われています。文久二、三年より慶応二、三年頃までの年紀が入った作品が残されており、作刀時期が比較的短かったこともあって作品は極少。勤王家であり、長州藩士のために多くの刀を鍛えたと言われます。
反り浅い豪壮な勤皇等刀体配の作品が経眼され、波平との交流もあってか、鑢目は桧垣の物が多い中、この短刀は化粧付いた筋違で、銘字体も常とは異なる丸みを帯びた行書体になっている。
※或いは大正頃に活躍した別人兼寿か?
 
刃長四寸五分八厘と短く、俗に云う懐剣として鍛えられた物であろう。地鉄は小板目良く練れて詰み、刃文は匂口明るく、互ノ目を三つ一組に焼き上げ、先の方のみ四つ一組で焼かれ、刃中に三日月形の葉を交え、帽子は表裏直ぐに、表は太い沸筋を食い下げて尋常に、裏は返り硬く止る。
 
附属の拵は柄を鯨の髭で巻き、鞘は藤の巻き編みであろうか、棟の部分の編み込みがお洒落であり、金具は四分一磨地の一作金物。柄の中央には赤銅石目地に見事な孕雨龍が金象嵌されています。小柄が失われている点が惜しまれるも、拵だけでも恐らく特別保存刀装具の認定を受けるであろう名品で、観賞用はおろか、御守刀としても申し分ない優品です。
 
裸身重量81グラム。  拵に納めて鞘を払った重量117グラム。

宇多國宗 ~ごりごりの剛刀~

宇多國宗 ~ごりごりの剛刀~
宇多國宗
– Uda Kunimune –
 
宇多國宗の祖は鎌倉時代まで遡り、大和国宇多郡より移住した大和鍛冶が越中にて鍛刀し、國宗や國房などが南北朝期から室町期に掛けて繁栄しました。
 
この刀は珍しい江戸時代の宇多國宗で、元先の差が開いた優しい姿でありながら、重ね、身幅共に一般的な刀よりも一回り大きいがっしりとした造り込みが印象的で、地鉄は小板目肌良く練れて詰み地沸付いて精美で、刃文は広直刃調に湾れを交え、刃中に金筋入り、刃縁に大粒の沸が付き、砂流かかる。帽子は直ぐに丸く返っています。
剛健且つ観賞刀として申し分ない一刀をお探しの方にお薦めの一刀です。
 
裸身重量996グラム。