日本の古武術のみならず、日本における生活の中でもよく見かける正座。

 

お子様を剣道や合氣道、空手と言った武道教室に通わせておられる方、また、御自身が武道教室に通っておられる方、道場でこんな場面を経験したことがありませんか?

私が幼い頃に通っていた剣道の道場を例にしますが、稽古の始めと終わりに

 

「着座」

 

の号令がかかり、生徒全員が一列または数列に並んで正座します。

すると武道教室の先生がこう言うのです。

 

「背筋正して!」

 

その言葉に生徒達はピンと背筋を伸ばし、直角に上半身を立てるのです。

それを見る親御さん達は、

「おっ! 背筋をピンと伸ばして良い姿勢だ!」

と思われるようですが、私の武術理論から見ると…

 

これ、全然ダメなんです。

 

何がどうやって直角L字に座すのが良いことだと認識されるようになったのか、私には解りかねますが、とにかく私の武術理論上これは絶対してはダメ!

特に居合を嗜む人はしたらダメなんです。

 

直角L字に胸を張って正座する人を、背後から軽く押してみましょう。

倒れません。

 

次に正面から軽く押して見ましょう。

あれれれれ? 簡単に後ろに倒れてしまいます。

 

これ即ち床に着いている脚と上半身の軸がずれているということなのです。

ではどのように座せば良いのか?

素敵な御手本を示す方がおられます。

 

人間と神のハーフ… 釈迦でーっす!!

もとい、鎌倉の大仏様です。

鎌倉大仏

座す大仏様は各地で見られますが、私は鎌倉の大仏様のこの姿勢にしびれます。

軸が整っているからです。

鎌倉の大仏様を見ると、なんとなく猫背っぽくて、お顔は前に出て見えます。そう、これこそ武術を意識した座なのです。

 

正座、立膝、私が嗜む居合にはこの二種の座り方があるのですが、どちらも上体はやや前傾がベスト。

正座で説明するなら、直角L字ではなく、傾いたL字に座るのが武術としての理想形。

足の指先と膝頭を底辺とするなら、頭の位置はその中心に来るように座る。つまり線で結べば二等辺三角形になるように座るのです。

この状態で正座して先程と同じことをしてみましょう。

後ろから軽く押す… 前から軽く押す…

左右横からも押してみましょう…

 

どうですか?

直角L字正座と違って倒れにくいことに気づかれますでしょう?

そしてこの二等辺三角形を作る正座には様々な利点もあるのです。

少し技術が必要ですが、相手が強く押してきても、呼吸を合わせれば2~3人がかりで押そうが後ろに倒れません。この時の呼吸を合わせるというのは、合氣道で言うところの「氣」と呼ばれる不思議な力! ではなく、腹式呼吸ではなく胸式呼吸で応じるということ。物理的にどう言う作用が起きているのかと言えば、横から押してくる力のベクトルを上方に逃がすという働きに変えているというわけです。

更に眼に見えて有効なのが、刀の柄が水平または水平やや水流し(少し下に傾くこと)の角度になるということ。

これにどのような利点があるかすぐに想像できた方は、なかなかの武術センスの持ち主。

柄が水平或いは水平やや水流しの角度になるということは、手を刀にかけるまでの時間が短縮されるということ。零コンマ数秒の遅れが命を落とす結果になる武術の世界において、如何に早く刀に手をかけることができるか? はとても重要。しかも柄頭が上に向いてしまう直角L字正座では、刀に手をかけるまでの腕の動き、つまり初動がどうしても読まれてしまうのに対し、二等辺三角形正座は初動を読み辛くさせるのです。

 

居合とは立合の対義語。

さぁさぁ我と立ち合え!

と宣戦布告してからの勝負ではなく、突然の有事に対応することが理想的なわけですから、単に正座と言っても本当の意味で気を張らなければいけません。直角L字正座で胸を張るのではなく、武術としての正座で張るのは気!

 

普段の居合稽古の中で少しこれを意識して座してみてください。

これまでとは違った景色を見ることができると思いますよ。

 

因みにアイキャッチ画像として使用している六男の正座。理想的な二等辺三角形正座です。稽古で教えたものが自然と身についたようで、今回のブログ記事用に撮影したものではなく、一昨年の端午の節句辺りになんとなく撮影したものですが、肘から指先への角度もほぼ完璧です。

近頃では古流を名乗る流派、道場によるSNS投稿の動画や写真の中で頻繁に、両掌を上に向けて座っていたり、恥部を隠すかの如く、両手を股の間に挟みこむように座ったり、はたまた膝頭の前に五指を立てるような座り方をしているものを見かけますが、いずれも武術観点から見ると疑問符をつけざるをえないものばかりです。いずれの座り方も命が失われる危険があった時代に果たして行われていたでしょうか?

1+1=2でしかなく、地球を照らす太陽が一つだけであるのと同じで、物理的にも武術的にも適った姿勢、所作と言うのは一つだけと覚えておいて支障はないでしょう。私はそう思います。

袈裟

袈裟

と聞いてまず思い浮かべることは斜めに斬ることではないでしょうか。

ネットサーフィンをしていると、様々な人による袈裟斬り(素振り含む)を見ることができます。

が、私が理想とする袈裟斬りが出来ている人を、私はみかけたことがありません。交友関係が狭いのもあって、全ての人の袈裟を見ているわけではないのですが、少なくとも私が見たネットでの動画ではいません。

試斬動画で綺麗に袈裟斬りしてるじゃないか。

と思われる方もおられるでしょうが、斬れる斬れないの問題ではなく、今回私がお話しするのは、武術としての袈裟についてです。

試斬は刃筋さえ立てればどんな振り方でも斬れるものです。ですから試斬での袈裟斬りだけで判断してはいけません。

 

修心館今夜の稽古課題は袈裟でした。

私が理想とする袈裟とは、構えるところから斬り下ろしたところまで、どこをとっても相手におさえられない身体捌きで行うもの。

今夜の稽古では二人一組で木刀を用い、ひたすら袈裟に斬り込む稽古を行いました。

速く振る必要は無く、的確に剣先に重さがのっているかどうか。また、その重さが斬り終えるまで正しく続いているか。の確認です。

 

今のところ私が理想とする袈裟ができるのは最古参門弟の柳原のみ。

他の門弟達はまだまだ四苦八苦しています。

正しく袈裟を斬ることができなければ、二刀の業(わざ)は成立しません。

巷では二刀を用いる流派をちらほら見かけますが、果たしてどこまで技術があるのか…

諸手持ちですら正しく袈裟が斬れないのに、片手になればなおのこと袈裟に斬れるはずもなく、ただただ形通りに打太刀と仕太刀が演武しているだけというのが多いですね。

 

試斬で斜めに斬ることができたから袈裟斬りができると早合点は絶対してはいけません。

袈裟斬りを極めようと思えば何年もかかるものなのです。

このブログを読まれた居合剣術修行者の方、あなたの袈裟はいかがでしょう? 理に適った身体捌きで斬ることができていますか?

単純なもの程習得は難しい。今夜はそんなお話でした。

初伝形一本目 『前敵』

形の想定や理合を門弟達に覚えてもらうよう、基礎の基礎である初伝形一本目について記述します。広く一般の方にも公開しますので、御興味ある方は御一読ください。

修心流の単独演武の居合形初伝から奥伝は無双直伝英信流のものを、私が改編したものなので、これらの形を身につけても修心流とは言えません。ここまでは無双直伝英信流町井派と認識してください。

 

まず、初伝形における仮想敵との間合いは畳一畳、つまり約180センチです。己の中心軸から相手の中心軸までの距離と修心流では定めています。

私が出しましたDVD『神速の居合術』を御覧になられた方の中には、柄に手をかけるまでに無駄な動きが多いなと思われた方もおられるかと思いますが、何一つとして無駄な動きはありません。

DVDで紹介している動きは初伝の形の初伝之抜と言って、修心流では初心者のために組み上げたものだからです。

 

正座した際の左右の膝の開きはおよそ拳二つ分。剣道や一般的な居合に見るようなL字形に胸を張って座すでのではなく、股関節から上はやや前傾に、つまり己の中心軸を立てるように座します。

左手首を強く前方に突き出すと共に指は内側へ。右手は薬指の方向に落とすように伸ばし、手首を反れるだけ反らし、右肘を抜くと自然と右手は柄にかかります。

続いて座したまま右半身に切ることで右手は柄を自然と握る形となります。

この時に鞘を前に送らないこと。しかし横から見ると自然と鞘送りができている状態となります。私がメディアに登場して以降、抜刀の際に鞘を大きく前に出す流派、道場、人が増えたように思いますが、私の眼から見た感想を述べますと、皆理合に適っておらず、単に抜刀が早く見えるようにごまかしているだけ。

 

鞘出すな

鞘を送るな

鞘引くな

何もせずとも

刃は抜ける

 

上記は私が詠んだ修心流の極意です。

 

さて、話を元に戻します。

半身をきった時点で鯉口ははばき一つ分刀身が鞘から抜けている状態になりますが、鯉口は親指できるのではなく、左拳全体を右螺旋の動きにて自然と切ります。

抜刀は右手、左手、どちらも動かしません。正しい身体捌きを行えば自然と抜けるのです。世間一般的な居合では、抜付の際に上方に身体を立てながら抜刀しますが、実はこれが修心流に於いては禁忌とする所作。身体を立てながらの抜刀は右手を使わないと抜くことができません。そのため数多の居合人は鯉口を削り、ささくれさせるのです。

 

抜付での横一文字では相手の眼を狙います。抜きつけた際の刀は水平やや水流しと称し、横から見ると水平ではなく、必ず切先が下がる形となります。これが出来ていない者、理解できていない者は、勢い余って後方へ刀を飛ばしてしまうという失態を招くのです。

 

横一文字の後は真向斬りとなりますが、この際、刀身の中心が己の正中線に合致するよう、請流を兼ねた振りかぶりを行います。横一文字の抜付をかわされ、敵が素早く真向斬りで対応してきた際の保険をかけるわけです。

真向斬りは刀身が水平で斬り終えること。右手は右膝の位置と高さであること。世間一般に見る切先下がりの斬り下ろしは、実際には刀と柄を傷めるばかりで斬撃力も乏しいものとなります。振り切った刀は常に水平であることが大切。切先を地面に触れるか触れないかまで斬り下ろすことを指導するところが多々見受けられますが、私の経験から述べますと高確率で刀の折損を招きます。何故折損確立が高くなるのかはここでは割愛します。知りたい方は修心流にご入門下さい。

 

血振に以降するまでの所作。これも大切です。一般的な居合では、右手を斜めに傾けて大血振を行いますが、私個人の意見の述べますと、これは術理を知らぬ者が指導者となり、劣化コピーと化した居合が蔓延した結果のものと言えます。

手首を傾けるのではなく、小さく右半身となることで、左手は自然と鯉口に、右手で持つ刀はやや左へ刃が傾きます。これでなければ血振へ意向することはできません。相手を置いて試してみるとよくわかります。

刀の切先から動き出し、切先の高さを変えぬ心持で腕を横に送り、続いて肘が下がらぬよう肘から先だけを折りたたむようにします。正しい形ができていれば、鐔は頭部の剃り込みを入れる箇所あたりに自然と触れます。刀を振り下ろす際、間違った概念によって頭部を切ってしまう人が稀におられます。英信流正統派と称す団体の宗家自身が自らの頭を切った事故は、私の世代の居合人の間では有名な話。生意気ながら述べさせて頂きますと、所詮は形居合の宗家であって、武術としての居合の宗家ではなかったと言えるのではないでしょうか。

大血振は刀身に付着した血を振り払う所作ではありません。実際に刀で人を斬ってみると、驚くほど刀身に血はつかないものなのです。刀身には薄っすらと脂の膜が付く程度です。人が斬られる瞬間を見ることなどそうそうないことですが、私は過去、技量無き者の無謀な試斬によって、誤って人を斬ってしまう事故を目の当たりにし、その際刀の手入を私が行った経験から上記のことは断言できます。この時には夜間、病院へ救急搬送し、傷口を縫い合わせる大事故で、大変な騒ぎになったものです。

大血振は勢いよく刀を振り下ろすのではなく、右肩を前後に回すように行います。これが出来れば頭を切るなどの失態は絶対に起こりませんし、自然と刀は掌の中で回転し、振り終えた刀の柄は右腕に自然と触れるか触れないかの位置で止まります。横から見ると刀は刃先しか見えず、刀の長さを読ませぬ動きとなるわけです。

大血振や横血振で腕と柄の間が大きく開いている人を見かけますが、修心流ではこれを良しとはしません。数多の敵がいる戦場に於いて血振などという所作を行う暇はありませんが、万一柄を大きく開く血振であったなら、容易く敵に柄を握られ、刀を奪われてしまうことでしょう。

血振の後は寄せた反対側の足を引き、己の軸を真下に落としてから続いて中心軸を立て直します。身体が動くに伴い刀も自然とそれに付き従って動きます。身体が動いているのに刀が止まったままというのは理に適っていません。間違いだと断言します。

納刀は手首を使わず右肩で行います。切先の高さを変えぬ心持で肩を動かすと、自然と切先は上がり、鐔は左拳を超え、肘と手首の中間程のところへ来ます。それ以上動き続けると己の軸が崩れますので、程よいところで右肘を抜き、刀の棟を左腕にのせます。程よいところでと記述しましたが、これも実は自然と肘が抜けると言うのが正解です。

いよいよ納刀ですが、右手は一切使いません。左手も鞘を引くなど行いません。全ては身体捌きで行います。右手で納刀しているかどうかを見極める方法としては、右肘が上に向いている。右小指が伸びている或いは立っている。左手が鞘引きならぬ鞘開き(鯉口が外方に向いてしまうこと)になっている等が挙げられます。

どれだけ素早く納刀できていても、指が伸びている人は未熟な証拠と言え、そのような人の鯉口は見事なまでにささくれているものです。

納刀し終わった際の刀の位置は、鐔が臍前となります。刀全体を見ると帯を中心に鞘が前半後半同じ長さとなるのが正しい身体捌きの証拠です。

最後に居合を解くと言う所作ですが、一般的に多いのが五指を柄にかけ、柄を撫でるように柄頭へ手を移行させる人。居合を解くという所作も武術として成立していなければいけません。柄に触れた五指をずっと柄に触れさせるのではなく、ここも実は右肘の緩みによって自然と柄頭に右親指がかかるように行うべきなのです。居合を解くと言う所作に於いて、また、その所作の途中に於いて、いつ何時右手を掴まれても形通りに動き続けることができてこそ真の武術としての居合形。私は常日頃から門弟達にこれを説いています。

 

上記はあくまで私個人の考え、そして修心流居合術兵法に於ける心構えと術理を記載したものです。数多の他流派には相通じぬところもあることでしょう。参考になる箇所は参考にして頂き、取捨選択の上お役立て頂ければ幸いに存じます。

 

三男の二代目修行

時間があれば携帯のゲームばかりしている三男。

中学三年生なので来年は高校受験である。

大家族で生活も大変な中、本人の希望で塾にも通わせたのですが、ゲームにハマり過ぎて志望校はとてもじゃないが合格できない状況。

これから先の将来設計について話し合ったところ、志望校は諦めるとのことで、とりあえずは入れそうな高校を受験するようです。

でも、ただ単に高校を出れば良いと言う訳でもないので、真剣に将来を考えろと諭したところ、暗に逃げ道なだけかもしれませんが、

「修心流の二代目を継ぐ。美術刀剣刀心を継ぐ。」

との返答がありました。

この心意気、いつまで続くのかわかりませんが、今や最古参門弟となり、実力もめきめきとあげてきた柳原に追いつかせるべく、本格的に修行開始とあいなりました。

昨夜の稽古にも弟二人と共に参加した三男。長いブランクがある割には私の血を引くためか覚えが良い。

まだまだ二代目襲名には道のりが長いですが、挫折せずに極めてもらいたいと切実に思います。

動画は6年前、8歳の頃の三男。長女も一緒に写っています。長女もやる気さえあれば日本一、いや、世界一の女流居合術家になれるのに… 勿体無い…

↑ 私と将平作の真剣で打ち合う三男。

10月の米国での講習会

来月、米国のカンザスとシアトルの二箇所で居合の講習会を行う予定なのですが、果たしてどれ程の参加者が見込めるのか不安です。

過去、ブラジルで開催した講習会は盛況でしたが、これは国際交流基金が主催で完全無料だったこともあります。

私の講習会はけしてお安くはありませんが、支払う金額以上のことは知ることができると自負しています。※体現、会得は難しいです。

 

試斬講習会と題すれば人がたくさん集まるのは眼に見えているのですが、私は試斬の手解きのみと言うのは今のところ受けておりません。

私にとって試斬とはそれほど価値がないものなのです。

私が伝えたいのは試斬ではなく所作と身体捌き。

試斬とはそれらを体得した後に自ずと身に付くものと考えています。

 

力をかけず相手を崩す、正中線の大切さ、刀とは本来どのように使うべきものなのか、を一人でも多くの人に伝えたいのです。

 

数少ない参加者の中に、それに気づいてくれる人が一人でも現れれば、私の講習会の目的は果たされます。

発言には責任を

つい先頃、ツイッターに於いて私の悪口で盛り上がっている人達を見かけました。

その人達の自己紹介文を見ると、全員が居合や古武道を齧っていたのですが、ごちゃんねるのような匿名性が高いものではなく、場合によっては個人特定も出来るSNSにおいて、一修行者が仮にも一流派の長に対する罵詈雑言を平気で記述する行為に呆れるばかりです。

言葉の重みを理解しない彼らに私は些か注意勧告したいと思いましたので、このブログに自分の思いを記述します。

 

今は令和の平和な時代であり、決闘罪があるため真剣で立ち会うなんてこともできません。

ちょっと胸倉掴んだだけでも暴行として検挙される時代です。

言わば法に守られるということを楯に、言葉や文字なら良いのかと好き勝手書く行為は如何なものでしょうか?

私は時に、他流や個人への批判を行うことがありますが、その発言には責任をもって発しています。

今回問題にする人達は、批判した相手が立合を求めてきても対応するだけの腹づもりと覚悟があるのでしょうか?

また、立ち合えるだけの技量をお持ちなのでしょうか?

私は時代錯誤な性格なので、“批判できるだけの技量と強さを持ち、筋が通っているのであれば、批判すれば良い”と考えるタイプなのですが、彼らのツイートを見る限りでは技量高き者とはとても思えませんし、自分の発言に責任を持つことすら出来ないようです。

先にも記述しましたが、他所の道場の一門下生である立場の者が、他流の長を批判する愚考に呆れます。

所属する道場や先生、同門の者達に迷惑をかけることになるという危機管理感すら欠如している。

私は偏屈な変わり者ですし、世の中には私以上にバリバリの武闘派の先生方もおられます。そう言った人達が本当に当人を訪ねて行くなんてことを微塵にも考えていないから、軽々しい発言ができるのではないでしょうか?

私を含め、武道や武術を齧る者の中には、自分が強くなったと勘違いする人が多々現れます。思い込むのは勝手ですがせめて言葉には責任を持ちましょう。訪ねてこられて困るようなら最初から無用な発言はしないでおきましょう。

一流派や一個人の批判を大々的に行いたいなら、せめてそれ相応の技術を習得し、独立してからにしませんか? 先生や先輩や一門に迷惑をかける行為は慎みましょう。

京都ぶらり歴史探訪 ~中村芝翫と町井勲が刀剣ゆかりの京都の神社を巡る~

9月10日(火) 19:00~  BS朝日

https://www.bs-asahi.co.jp/kyoto_burari/lineup/prg_073/

京都ぶらり歴史探訪

京都ぶらり歴史探訪公式インスタグラムより転載

 

数多の名刀を生んだ古都京都。

中村芝翫さんと私(町井勲)が刀剣ゆかりの京都の神社を巡ります。

皆様是非御覧下さい。

 

番宣 ABCテレビ 『エキセントリックパパ』~スンゲー父ちゃんと家族たち~

8月31日(土) 15:00~

ABCテレビ(関西ローカル)

『エキセントリックパパ』 ~スンゲー父ちゃんと家族たち~

に出演致します。

 

居合術家としてではない私の素顔が紹介されます。

尚、番組は関東方面でも後日放送されるようです。

 

刀とは?

武術に於いて、刀とは相手を斬るための道具だと思っている方が多いと思います。

確かに刃物として用いるわけですが、修心流居合術兵法では刃物としてではなく、主に相手の軸、バランスを崩すための道具という認識が強いです。

どういうことかと言いますと、文字にするよりは私が掲載している動画の数々を御覧になられるのが手っ取り早いかと思いますので、御興味ある方は是非御覧下さい。

 

修心流居合術兵法講習会を企画されたい方へ

今年の10月、私は米国のカンザスとシアトルにて修心流居合術兵法の講習会を開催します。

その講習会に向けて、私の自己紹介並びに修心流紹介、講習会メニューを作成しました。

日本国内外問わず、修心流居合術兵法に御興味を持たれていらっしゃる方は、是非下記文面をご参照頂ければと思います。

講習会の料金目安は、1日最長6時間の教授で最低謝礼金は30万円+交通費となります。

移動に時間がかかり、宿泊等が必要な場合は宿泊費と移動日分の日当(基本 10万円)となります。

例えば国内に於いて、日帰りで往復できる場所であれば、30万円+交通費のみ。

1泊2日の場合ですと、30万円+10万円+宿泊費+交通費となります。

受講者が30名を超える場合は、お一人当たりの謝礼金は1万円となり、+他諸経費となります。

その他ご不明な点はお気軽にお問い合わせ下さい。

では、今回の米国での講習会向けに作りました文面を御紹介いたします。

 

 

~講師紹介文~

町井勲 1973年生まれ。兵庫県川西市在住の居合術家。刀剣研磨師でもあるため、日本刀の構造等についても深い造詣を持ち、現在ギネス世界記録を6つ保持している。

1993年
無雙直傳英信流吉岡早龍(よしおかそうりゅう)師のしたで修行開始。これまで、一太刀目は牽制であり、二太刀目で殺傷すると、まことしやかに流布され、刀剣に対する作法すら正しく伝承指導しない、武術とは程遠い剣舞やスポー ツと化した現代の無雙直傳英信流に疑念を抱く。

1999年
全日本居合道連盟、無雙直傅英信流居合術五段位取得以降全ての昇段審査を辞退。その後、所属道場の[[日本居合道連盟]]への移籍に伴い日本居合道連盟に於いて五段位を印可される。

2004年
抜付の一撃必殺提唱のもととして独自の道を歩み始め、無雙直傳英信流町井派として活動を開始。同年8月には国際抜刀道試斬連盟に加盟し、五段位を印可される。
その後、正統とされる[[無双直伝英信流]]の理合や身体捌きから大きく変化を遂げ、それまで牽制とされてきた抜付水平の一太刀目を、事実、一撃必殺と呼べる斬撃力高いものへと昇華させた。

2005年
現行の無雙直傳英信流とは異なる理合・術理を生み出した町井勲は、無雙直傳英信流の名を捨て、同年9月より無雙直傳英信流町井派から修心流居合術兵法に流派名を改名し、居合術道場『修心館』を設立。

町井勲が保持するGuinness World records
・千本斬(36分4秒)
・据斬(8太刀)
・3分間速斬(252太刀)
・最速テニスボール居合斬(発射速度 時速840キロ)
・6ミリBB弾居合斬(発射速度 時速350キロ)
ギネス非公式記録
・日本のテレビ番組に於いて、発射速度1,440キロのピンポン球を2メートルの間合から居合斬に成功。

 

 

~修心流居合術兵法とは~

修心流居合術兵法(しゅうしんりゅういあいじゅつひょうほう)は、平成の侍との異名を持つ町井勲が創流した日本古武術の流派である。源流となっているのは無双直伝英信流であり、2005年に無双直伝英信流町井派を改名して創流された。

== 流儀の内容 ==
表芸は瞬時の抜付による居合斬りだが、居合のみに特化せず、剣術、小太刀術、鎌槍術、薙刀術、手裏剣術等も伝え、特に居合の動きを体術に体現化した居合柔術も特徴の一つ。相手に悟られぬ極小さな動きによって、相手の軸を崩しつつ相手の中心を捕り、傍から見ると自分から斬るのではなく、相手が斬られる来ると言った、相手の力を応用する剣技が特徴である。
尚、単独で行う居合形は無双直伝英信流を墨守したものであり、そこに町井独自の編纂がなされている。

== 歴史 ==
1993年
創流者である町井勲が吉岡早龍の下で無双直伝英信流を修業開始。
2004年
無双直伝英信流町井派として活動を開始。
2005年
現行の無双直伝英信流とは異なる理合・術理を生み出した町井勲は、無双直伝英信流の名を捨て修心流居合術兵法に流派名を改名。

== 系譜 ==
始祖 林崎甚助|林崎甚助重信
二代 田宮重正|田宮平兵衛業正
三代 長野無楽入道
四代 百々軍兵衛光重
五代 蟻川正左衛門宗続
六代 萬野団右衛門信定
七代(英信流々祖) 長谷川英信|長谷川主税助英信
八代 荒井勢哲清信(信州へも分派する)
九代 林六大夫守政(土佐国へ伝わる)
十代 林安大夫
十一代 大黒元衛門清勝
十二代 林益之極政誠
十三代 依田萬蔵敬勝
十四代 林弥大夫敬勝
十五代 谷村亀之極自雄
十六代 後藤正亮
十七代 大江正路
十八代 穂岐山波雄
十九代 福井春政
二十代 河野百錬|河野稔百錬(大阪 全日本居合道連盟創設)
二十一代 景山断士
二十二代 吉岡早龍
二十三代(修心流々祖)町井勲

 

 

~講習会講義内容~

修心流居合術兵法は、極小さな動きで相手の軸を制することを得意とする居合術です。居合術と言っても巷に見る居合道場のように、刀の抜き差しばかりを稽古する流派ではありません。鞘に刀が納まっていれば、鞘から刀を抜き放つ所作から始まりますし、既に鞘から刀が抜けている場合は剣術となり、素手の場合は体術となります。傍らに槍や薙刀、弓があればそれを用いますし、手裏剣も使用する言わば日本の古式総合武術です。
修心流居合術兵法修行の中で需要なことは、自分の中心を護ること、相手の中心を捕ることであり、この眼に見えぬ極小の身体捌きと意識の持ち方によって、勝敗は大きく二分されるのです。
近頃では派手なパフォーマンスや素早い抜刀を売りにした、手順が決まった殺陣を古武術と偽る流派や団体が目立ちますが、修心流居合術兵法では一切派手な所作はありません。稽古内容も地味であるため、刀を振り回すことを学びたいと言う方には絶対に不向きですが、合氣道を学ばれている方には、身体本来の使い方を学ぶ上で、とても意義ある講習会であることでしょう。
ただ木刀を振り上げるだけ、ただ木刀を構えるだけ。地味で退屈な稽古の中でこそ、大切な教えを学ぶことができ、様々な業に応用できる基礎を身につけることができます。
講習会では真剣は用いません。居合刀と木刀をご持参下さい。木刀は鞘がついているものが理想的です。
短時間の講習会ですので、この日だけで全ての技術を体得することは絶対にできません。日本古武術の面白さを知っていただき、修心流居合術兵法に御興味を持っていただければそれで結構です。本格的に技術を身につけるためには長い年月が必要です。この講習会を通じて、何かしら参加者の武術に対する意識改革ができれば幸いに存じます。

講習会講義内容

カリキュラム1 ~中心と軸の大切さ、構えの意味を学ぶ~
木刀を用い、二人一組で相手の中心を捕ることを学びます。(45分)
正眼、八双、脇構、下段の基本となる四つの構えの意味と理想とする構え方について学びます。(45分)

カリキュラム2 ~袈裟斬とは? 剣術の基礎を学ぶ~
木刀を用い、二人一組での稽古が中心となります。
左右袈裟斬を三段階にわけて学びます。
左右袈裟打込(30分)
左右袈裟斬込(30分)
左右袈裟斬(30分)

カリキュラム3 ~柔らかく受け、柔らかく動く~
真向の三角受け(30分)
後半は修心流居合術兵法の組居合形七本目『月光』を通じて、力まず柔らかく受けること、柔らかく動くことを学びます。(60分)