無銘(伝 二王) ~鎌倉時代の名短刀~

無銘(伝 二王) ~鎌倉時代の名短刀~
無銘(伝 二王)
– Mumei(Den Niou) –
 
周防国二王派は、保延頃の清真、または清平を祖として始まると伝えていますが、確実な遺作は確認されておらず、今日では清綱を事実上の祖としています。
清綱の現存する作例では「文永二年三月 清綱」と書き下し銘のある太刀が厳島神社に存在し、次いで建武二年紀の「防州玖珂庄清綱」銘の短刀が知られ、以後同銘は室町時代まで連綿と続いています。
周防国には東大寺などの寺領が多く存在し、二王派の作風に大和色が強いのは、大和本国との交流によるものと考えられており、二王の名の由来については諸説あるものの、周防国の仁王堂が火事に遭った時、仁王像を繋いでいた鎖を清綱の太刀で断ち切って、仁王像を救い出したことに由来するとされるものが通説となっています。
 
この短刀は三ツ棟で細身の鋭い造り込みが印象的であり、元の方は匂口ふわりと柔らかい感じの細直刃で、物打辺りからはぐんと焼き幅を広げ匂口一際明るく冴え、小さな金筋を交え、指裏返り部分には沸筋が食い下がるなど、古調で見所ある作風を示しています。
鎌倉時代から今日まで生き続けて来た歴史浪漫溢れるこの一刀。お求め易い価格にて御案内致しますので、是非この機会にお求め下さい。
 
裸身重量116グラム。

防州清忠 ~室町中期の片手打ち体配~

防州清忠 ~室町中期の片手打ち体配~

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/353/00.html

 

二王一派、清忠の作。清忠同銘が複数いる中、防州清忠と銘切る清忠は、銘鑑を紐解くに室町中期文明頃に一人、天正頃に一人確認できます。

室町時代中期の片手打ちの寸短い打刀として鍛えられたもので、疵気こそありますが、地鉄自体は非常に良く練られた杢目鍛えに淡く映りごころが現れ、明るく冴えた直刃は匂口が締まり、地鉄に影響されることなく、真っ直ぐに焼き上げられた完成度の高いものに仕上がっています。清忠の作品は少ないため希少。室町中期を代表する体配を留めるこの脇指は、日本刀の時代変遷を学ぶ上に於いても非常に良い資料です。

4月末日までの期間限定特別価格をお見逃し無く!

裸身重量494グラム。

無銘(二王/小笠原長旨)

無銘(二王/小笠原長旨)無銘(二王/小笠原長旨)

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/553/00.html

 

 

伊豆国阿部伊勢守正勝の臣、小笠原藤九郎の子である長旨は、後に浪人して江戸の上野池之端に住し、鐙などの武具を作っていましたが、鍛刀も学んで刀匠としても名をあげました。
長旨の師については明らかではなく、大和系の鍛冶とも仙台国包系の鍛冶ともいわれ、江戸新刀系の鍛冶とは異なり、古雅な作風を見せます。

切れ味の評価も高く、新刀上々作にして業物に列していますが、その遺作は少なく、古刀を彷彿とさせる出来口だけに、銘を改竄されて古刀に化かされた作品も少なくないのではと推測されます。

杢目肌良く練れて詰み、地沸付いた美しい地鉄に上品な直刃を焼いた本刀は、日本美術刀剣保存協会旧認定書では、鎌倉期の二王と極められ、近年の保存刀剣鑑定においては、時代を大きく下げられ、小笠原長旨に極め変えされましたが、これは刃区に焼き出しと受け取ることができる部分があったからと推測されます。

長旨の作に、古刀の磨上中心を思わせる中心形状のものがあり、また、刃区の際で焼き出しと鑑てとれる部分があるため、長旨の極めになったものと思われますが、いずれの極めにせよ、刀の出来と拵の良さには目を見張るものがあり、二尺一寸程の短い寸法や総体格式の高さから、大名の蔵刀であったことは容易に想像される名品で、鯉口内部には鞘師の銘が刻まれています。

裸身重量552グラム。拵に納めて鞘を払った重量859グラム。