江藤新平、島義勇が愛した肥前刀 幕末肥前三名工の一人“吉包”

江藤新平、島義勇が愛した肥前刀 幕末肥前三名工の一人“吉包”

江藤新平、島義勇が愛した肥前刀 幕末肥前三名工の一人“吉包”

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/586/00.html

 

吉包は九代忠吉、吉宗と共に、幕末に活躍した肥前の名工で、佐賀七賢人に数えられ、佐賀の乱の首謀者でもある江藤新平島義勇両名の蔵刀も手がけました。
九代忠吉や吉包、吉宗らの存在は広く一般に知られることなく、その現存する作品も極めて少ないところから、八代忠吉の影となり、代作を担っていたものと推測され、彼らの技量が高かったからこそ、八代忠吉が、初代、二代、三代と並び称されるに至った事は容易に想像されることであります。それだけの高き技量を持ちながらも、幕末から明治、そして廃刀令と言う時代の波に翻弄され、刀鍛冶として存分に活躍する機会に恵まれず、その名を知られることもないまま、近年まで高く評価されることがなかった不遇の名匠で、それ故にこの吉包の刀は、幕末の肥前三名工(九代忠吉・吉包・吉宗)の貴重な資料としての価値高く、入手困難なる隠れた名刀です。 地刃晴れ晴れと冴えたその出来口は、師である八代忠吉を卓越したもので、上代の作にも引けをとりません。心境としては売りに出さず、独り密かにこの刀の出来を、生涯に渡って独占したい思いに駆られます。昭和63年の遅い登録ではあるものの、当店所蔵の九代忠吉と拵の様式が酷似している点から鑑みて、この刀も鍋島家に縁ある家やかなりの上士の所有であったものと推測されます。

薄っすらと錆に包まれ、風化してボロボロの柄巻きの状態で発見された本刀ですが、当店にて日本美術刀剣保存協会主催研磨コンクール入賞研師による上研磨を施し、白鞘、継木、正絹柄巻き等の諸工作を全て行いました。
数少ない幕末肥前三名工の一人、今尚中心が光っている極めて保存状態が良い、吉包の刀を是非この機会に御入手下さい。

裸身重量651グラム。  拵に納めて鞘を払った重量984グラム。