刀 無銘(三原正信)

刀 無銘(三原正信)

刀 無銘(三原正信)

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/583/00.html

 

鎌倉初期から大和鍛冶が移住したと言われる備後では、隣地備前の影響を受けず大和伝が踏襲され、備後三原派の祖である正家も大和包永のような出来映えを見せています。
三原派の中でも古三原に分類される三原正信は、南北朝期永徳(1381)から室町初期明徳(1390)に掛けて活躍しました。その正信の子は三原から鞆(とも)に移り、鞆三原の祖となっています。

本刀は板目に杢交じりのよく練れた地鉄に地景が入り、匂口明るく冴えた直刃は大和気質で解れ風の刃を交え、帽子掃き掛けて長く返りを焼いた古三原らしい出来口を示しています。

附属の素銅はばきは金もしくは銀着せであったものが、経年の劣化により剥離したもので、昭和26年の大名登録刀であることからも、伝来の良さを窺い知ることができる逸品です。上白鞘新調済み。

裸身重量557グラム。

脇指 備州住宗久

脇指 備州住宗久

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/347/00.html

備後三原一派の宗久は、永正頃と天正頃に同銘が二名確認されています。
備後国三原派は、備前・備中の両国に近いが、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しています。 従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、最近では鎌倉末期の国分寺助国を祖とするという説が有力となっています。 三原派は、年代で大きく三つに分かれ、南北朝より以前を古三原、室町初中期を三原、室町末期を末三原と呼称しています。 また、三原派は古い時代から評価が高く、現在でも国の指定である重要文化財や重要美術品などに多くの作刀が指定されるなど、斯界で高く評価されています。 貝三原派は、末三原の中で名前に貝を冠した一派の事で、何故貝三原というのかには諸説有り、現在有力な説としては備後国御調郡高調町貝ヶ原という地名に因むという説と銘に「備後國三原住貝○○」と銘に切る事に因むという説の二説が有力で、また、一派の作の中には重要刀剣に指定されている物もあり、作風から見ても技量高き刀工群です。

この脇指は緻密に練られた杢目肌が顕著に肌立ち、匂口明るく冴えた直刃を焼いており、一見単調に見える焼刃には、砂流が頻りにかかり、解れ刃を交えるなど、三原一派が大和伝を遵守していたことを大きく頷かせる出来口であり、宗久の高き技量を誇るうぶ出しの優品です。
※現状登録証紛失状態につき、登録証再交付の後に納品致します。委託品。

裸身重量355グラム。