昨日より発信し続けている“刀を杖のように立てる所作”についてですが、その後新たなことに気付きました。
若い武士の花見の様子だとして紹介されているこの画に疑問を感じた私は、昨夜色々と調べてみました。
気になったのは以下の点です。
・同様の画題の他の画にも、ほぼ同ポーズで刀を杖にもたれかかるような人物が描写されていること。
・それらの人物は士分にしては衣装が派手であること。
ここで紹介されている画の人物も、刀に身体をもたせかけていること、衣装が士分にしては派手で奇抜です。
そこでこれらの画の全体を見てみました。
天心流が若い侍と紹介していた刀にもたれかかる人物…
士(さむらい)ではなく、かぶきおどりの役者であることが判明。
かぶき踊りは、出雲阿国(いずものおくに)が創始したといわれています。
こちらも刀を杖のようにしてもたれかかっています。
拡大した画像を見ると、唇に紅を塗っており、男装したかぶき踊り役者であることが判りますし、この画のように刀を杖にもたれかかるポーズは、かぶき踊り演目の一場面であることを窺い知ることができます。
天心流が発信したこれらの画に関する見解は完全に誤りであり、士分の者が、刀を杖のように立てることが当たり前の所作であったと言うのも大きな間違いであると断定できます。
また、刀を杖のように立てる所作について、天心流が発信した見解と情報は、“大小二刀を持っている=武士” との誤まった先入観によって、天心流が勝手に作り上げた虚構である証明と言えるでしょう。
また、昨日知人から大変有力な情報を頂きました。
つい最近、幕末の写真について解説するテレビ番組があったそうで、一枚の写真撮影に要する露出時間が2分程必要であったこと。改良されたカメラと撮影技法においても、20~30秒程露出時間が必要であったため、カメラマンは士に対し、身体のブレを抑えるべく、刀を杖のようにするポーズをとらせたのではないかと推測されるというもの。
更にこれに対して補足しますと、坂本龍馬の有名なこの一枚も…
気取って格好をつけるために台にもたれかかっているのではなく、ピンボケを防止するために台にもたれるようなポーズをとったのではないかと推測されるのだそうです。
刀を杖のように立てる所作は、士の時代には無かったと考えるのが妥当と結論付けて良いのではないでしょうか。
また、天心流兵法は江戸初期から伝わる流派で、様々な所作や作法が伝わっているとする割には、江戸時代には存在しなかったであろう所作を、江戸時代から存在したと主張している時点で大きな矛盾があり、江戸柳生を名乗るその伝系にも必然的に大きな疑問符をつけざるを得なくなります。