渓流詩人さんに何があったのか?

詳しくは渓流詩人さんのブログに詳細が記されています。
連絡
http://blog.goo.ne.jp/kelu-cafe/e/8a828bc4d1f2a05f27e59fa01fa24714

分派が流派名を名乗った時点で分派とは言えない。
それはもう別物なのだと私は考える。

それをとかく分派分派とサブタイトルのように使いまわし、挙句の果てには流派名自体に付け加えるのは如何なものか?

新興流派は新興流派で宜しいではないですか。

名を語るのではなく業を磨けば宜しいではないですか。

私はそう思います。

とある流派に関して、歴史的な観点からの指摘をされていた渓流詩人さんの警鐘記事が削除されるのは、とても大きな損失だと感じます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です