陸奥白川住固山宗俊 文久三年八月日

陸奥白川住固山宗俊 文久三年八月日
– Mutsu Shirakawa ju Koyama Munetoshi –
 
 
江戸時代後期、幕末の名工、固山宗次の一族、宗俊の堂々たる作品です。宗俊はその名が示す通り、幕末の名工、固山宗次の一族で、奥州白川に住して槌を振るいました。
銘鑑によると奥州白川に同名で二代おり、本作はその年紀より二代宗俊の作と鑑せられます。
宗俊の通称は「伊三郎」で、「白龍子」と号していました。作刀していた期間は、1854~1868年(嘉永7年~慶応年間)であったと考えられています。明治の廃刀令等、時の流れに影響され、刀剣鍛錬を断念せざるを得なくなったことは非常に惜しまれ、明治21年に53歳で亡くなった都合もあって、現存作は少なく、いずれの作品も貴重な遺作と言えます。
作風は、茎の仕立や銘振りなど、全てが宗次の刀に似ており、小板目がよく詰んだ綺麗な地鉄に、刃文は互の目丁子を焼き、やや小沸が付くのが特徴です。
 
この刀は元先の幅差が頃好く開き、切先やや延びごころ。反りやや浅目で茎は長く、重ね厚く頑丈な造り込み。地鉄は固山宗次によく似て小板目肌よく練れて地沸が付き、地景細かに入って精美なることこの上無し。刃文は互の目で焼き出し、明るく冴え、匂口は締りごころながらもふわりとした柔らかさを感じさせ、刃中には足が頻りに入り、帽子は横手で互ノ目を焼き込み、焼きたっぷりと、直ぐに先丸く返る。
堂々たる剛刀でありながら、全体のバランスが頗る優れて美しく、地刃共に一点の破綻もなく焼き上げているその技量の高さには、流石に幕末の名工、宗次一族の卓尾を飾る刀工であると畏敬の念を感じさせ、これだけの重ね厚い剛刀でありながら、手元重心で扱い良さを感じずには居られない。当に宗俊の高い技術力を余すところなく示した名品中の名品。茎の状態も茎千両の言葉に相応しい抜群の状態を保っています。
 
附属の拵は保存状態が頗る良く、大きな鐺と蜘蛛の巣を題材にした金具が眼を惹くと共に印象深く、切羽一枚に至るまですり替えられること無く、本刀と共に伝来してきた逸品です。
 
裸身重量1,013グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,420グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です