昨今、刀剣乱舞なるゲームがきっかけで、女性の間にも刀ブームが起きています。
多くの人が日本刀に興味を持ってくださることに関しては、とても嬉しいことと喜んでおります。
しかしながら、にわか知識の勉強会や試斬体験会に趣く方々を見ると、個人的に困惑するばかりです。
この記事を読まれてご気分を害する方もおられるでしょうが、敢えて書かせていただきます。
ちゃんと道場に通って技術を磨き、それから試斬稽古をされるのと、興味本位で刀(真剣)でポーズを作ったり、振り回したり、果ては素人相手の試斬体験会に趣くのとでは、刀剣に対する精神的な心構えが全く異なります。
また、やたらめったら本数を切ったり、太物を切ったり、そういった切ることばかりにやっけになっている流派、道場、各種団体におかれましても、刀剣に対する精神性が欠如していると言わざるをえません。
ズバリ申し上げます。
安易に試斬体験会に趣く方々は、愛刀家ではありません。刀剣を虐待しているだけのナルシストです。
そのような方々は日本刀が好きなのではなく、刀を構え、振り回し、切っている自分に酔っているだけです。
これは私個人の見解ばかりではなく、実際に精神分析、精神鑑定の分野から、専門家が指摘しています。
江戸時代、罪人の死体を用いて競われた日本刀の切味。その延長で日本刀は真っ二つに裁断するものと、間違った認識がはびこっており、刀剣を扱うことを生業にしている方々は、昨今の刀剣ブームに乗じて金儲けをしてやろうという邪な心根のもとでしか動いておりません。
素人相手に付け焼刃な試斬体験をさせ、刀を振る己に酔うナルシスト心を煽り、日本刀を美術品としてではなく、単なる刃物扱いとして販売する。はたまた自らが営む道場に誘い会員数を増やす。いずれも蓋を開けてみればそこには営利を目論んだものばかりです。
高価な日本刀を手にさせてくれる。たった数千円で刀で畳表を切らせてくれる。なんて親切な人達だ。
その程度にしか思っていないのでしょう。そこに群がる人達は。
人間誰しも雲霞食べて生きているわけではありませんので、それなりに利益を得なければならないのはしかたないこと。しかし、私は一愛刀家としてそれらの行為に警鐘を鳴らします。
過去のブログ記事で、素人が畳表に切り込んだ時に生じる刀への負担については記述しておりますが、再度写真を掲載します。
これらの写真は肉眼では気付けない一瞬を捉えたものです。
わかりますか?
刀にこれほどの衝撃と負担がかかっているのです。
こうしたことが何度も行われると、刀は金属疲労を起こし、いずれ折れてしまいます。
安易に試斬体験に趣く人達が、何の自覚もなく、こうして刀を虐待しているのです。
無銘の安い刀だから… と貸し出されているその刀、鑑定書がついていないだけで、実は大名刀の大磨上無銘物かもしれません。
まだまだ名刀は巷に埋もれています。作者銘がない物、大銘が切られた刀(超有名な作者銘が入った刀のこと)だから、どうせ偽物だろう。そう思い込んで使われている刀の中に、とんでもない名刀が紛れている可能性は否定できません。
それらの命を縮め、奪おうとする行為をされていることを自覚されてください。本当に刀のことが好きなのなら…
以前ブログにも記述しましたが、このように素人に使いまわされる刀を見ると、私は“愛する女性が輪姦されているようにしか受け取れない”のです。
極端な喩えになりますが、試斬体験に趣く刀剣女子、刀女子の皆さん、刀を貴女に、試斬体験する人を性欲むき出しの男達に置き換えて考えてみて下さい。
「この女、どんな抱き心地がするんだろうな? みんなで味わってみようぜ。」
抵抗することも許されず、乱暴に扱われ、心も身体にも傷がつきませんか??
貴女方が遊び半分で試斬に使った刀も、同じように傷ついているはずです。
言葉を発することができないだけに余計に可哀想です。
それから、日本刀の正しい使い方と言うのは、あのように畳表や竹を真っ二つに切るものではないのです。
それはしっかりと古流の剣術や居合を修練されれば理解できることですが、刀はサッと動脈を切るだけの使い方が正しい使い方なのです。
今現在、日本国内には約300万振の刀剣が残されていると言われています。他の国に比べると圧倒的に刀剣の数が多いのです。
何故だかわかりますか??
それは、古の武士や侍達が、大切に大切に遺して来たからに他なりません。
剣術の稽古には木刀や竹刀を用い、真剣の使用を控えていたからなのです。
そのような古の人々の想いすら、貴方達は踏みにじっている。
早くそのことに気付いて下さい。
試斬を体験したいのであれば、ちゃんと道場に入って修業して、実力をつけてからにしましょう。
試斬体験から道場に入るのではなく、道場に入ってから試斬。道順を違えないで下さい。
何よりも刀が大好きでやまない、一愛刀家からのお願いです。
ピンバック: Homepage
Asking questions are truly pleasant thing if you are not understanding something entirely,
except this article gives good understanding yet.
たしかに素人が試斬するという行為は、一生懸命に鍛錬されている方からすると「聖域に土足で踏み込まれた」気分になるかもしれません。
しかしながら、忙しい社会人や日本で本格的に練習することが困難な海外旅行客でも「本当の刀とはどんなものなのだろう」という興味や関心を持ってくれる機会を与えてくれるのは間違いないと思います。
機会を与え「本物の刀ってこんなにすごいんだ、もっと練習したい!」と感じてもらうことで、いちから鍛錬を始める人だって必ずいるはずです。
修行をして真剣で斬るか、真剣に魅了されて修行をはじめるか。
いずれにしても、刀が好きな気持ちは両者とも変わらないと思います。
私自身、刀を題材に創作活動をしている者ですが、時間の都合上、なかなか本格的に修行をすることができません。
しかし、よりリアリティな作品を作るために一度試斬はさせていただきました。
結果的に自分がイメージした刀と全然違うこと、また生半可な憧れの気持ちで入門することはできない、と考えさせられました。
「修行をしなければ真剣は持つな」という考えは少し古いのではと思います。
刀を知る機会すら与えられなければ、修行する人間も増えることはないでしょうし。
生半可な気持ちで入門する人間をふるいにかける意味でも、試斬体験は修行する側にとって「見極め」の機会になるのではないでしょうか。
そして、その刀自身は、実際にどう思っているのでしょうか。
素人には触られたくないのでしょうか。
それともいろんな人に刀の魅力を知ってほしいのでしょうか。
どちらもわかりませんよね。
営利目的で門下生を増やしている!と目くじらをたてられていますが、「よそはよそ、うちはうち」という感情の割りきり、懐の深さ、心の広さを持つことは修行の中には含まれていませんでしょうか。
たしかに刀のことを思えば、修行してから真剣を持つのが筋だと思います。
しかし、試斬よりも刀を気軽に売るほうに問題があるのではないかと個人的に思います。
お金持ちだって真剣を購入します。
その人達は修行もせずに「かっこいいから」という理由で買う人もいるでしょう。
ろくに手入れの方法もわからないので、高価な名刀を錆びさせるリスクが高いでしょうし、素人の数回の試斬に比べてしまえば、名刀が虐待されることは歴然ではないでしょうか。
それこそあなたの愛すべき刀が奴隷のように売り買いされているのです。
確かに刀は大事に扱うべきです。
その反面、興味本位に刀を持ちたい人もいるでしょう。
しかし、試斬する人間すべてが「刀を乱暴に扱いたい」とは思っていないはずです。
素人の試斬=興味本位で乱暴に扱われる
というイメージは少し食い違いがあるのではないかと思い、コメントさせていただきました。
大変失礼いたしました。
貴重なご意見ありがとうございます。
刀は気易く試し斬りするものではない。と言うのは江戸時代に実際に掲げられた高札でも証明されています。
昔の人ですらそのように考え、刀と言う物を大切にしてきたのに、現代人の勝手な解釈、勝手な都合で、刀は物を斬るための道具と位置づけて、文化だとか伝統だと嘯かれて使われるのは大間違いだと考えます。
あなた様はご自身が書かれたように感じられたのでしょうが、今巷にはびこる試斬体験商売を御覧になられて何も思わないのでしょうか?
刀はどう思っているのかわからないと仰いますが、刀は主を守るために使い潰されてこそ本望であって、色んな人に廻し使われ曲げられ、刃毀れをきたし、壊れていくことは望んでいないはずですし、作り手もまたそのようには望んでいないはずです。
古い考えが墨守されてきたからこそ、これだけの膨大な数の日本刀が今も残っているのです。
あなた様のご意見はどうも現代人による身勝手な解釈ばかりに私は受け取れます。試斬体験はけして修行する側にとっての見極めの機会などにはなりません。
よそはよそ、うちはうちと感情を云々と書かれていますが、心の広さと刀剣保護のために警鐘を鳴らすのとは根底からその目的と意味が違います。
そして売り手に責任転嫁しようとする。勿論中には心無い商売をされる方もおられるでしょうが、基本的にお譲りした刀剣を大切に愛でて欲しいという気持ちで、私達全国刀剣商業協同組合の組合員は商売しています。
刀をぞんざいに扱うようなことをする人が育っている現代に問題があり、それを助長させているのは他ならぬ試斬体験で、日本刀は竹や畳表を斬ってストレス解消する道具と誤解を招くことを広めている守銭奴達です。
忙しい社会人、時間の都合上なかなか本格的に修行をすることができなかった。これはただの言い訳です。私はどんなに忙しくとも、自分が望む技術を習得するためには、時に仕事、時に家族との団欒の時間を犠牲にしてまで遠方の先生方を訪ねました。
ようするにあなた様はあまちゃんなのだと思います。本気で取り組みたければ時間なんてものはどうにでもなります。
稽古時間が合わないようなら、先生に頭を下げて相談し、個人的に稽古をつけてもらうことだってできるはずです。事実、私は2時間1万円等を支払って個人的に稽古をつけてもらいました。
ようはやる気の問題でしょう。とても理想的なことを書いておられるように一見見えますが、ただの言い訳を並べるあまちゃんだと思います。ご気分を害するでしょうが、あなた様自身が気付かれていないことをはっきりと述べさせて頂きました。
Everyone loves it when individuals come together and share thoughts.
Great blog, keep it up! http://wikileakage.com/User:GabrielleKlem3