脇指 山城守藤原國清(初代) ~堀川國廣門~
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初代山城守国清は松平忠昌公の抱え工で名を吉右衛門と言い、三代島田助宗の子として信州松本で生まれました。 初銘は助宗。後に上洛して堀川国広門下に入り、銘を国清へと改めています。
師である國廣没後は越後高田の松平忠昌に仕え、更に忠昌が越前福井に転封の際には、主君に従って同地に移ったと伝えられています。寛永四年山城大掾を受領。菊紋を切ることを許され、翌年に山城守へと転じ、慶安二年に六十歳で没しています。
国清銘は数代の継承が見られますが、中でも初代が上手で位高く、二代国清は初代の子で、作刀は初代同様に直刃の作が多く、肥前刀さながらの作風を示したものがあります。また、一般的に初代作には「一」の字を使用しているものはなく、二代以降の作に「一」の字を切っていますが、初・二代を明確に区分する事は現時点では難しく、今後の研究課題となっています。
※当店ではこの作品を初代の作と考えております。
この脇指は見幅広く、切先が延びた慶長新刀の名残を感じさせる体配で、師である國廣を思わせるザングリとした地鉄に、匂口明るい直刃を巧みに焼いています。一見単調なる直刃に見えるも、仔細に見ると鼠足が豊かに入り、刃に変化が見られます。
現状古研ぎですが、地刃の観賞には差し支えございません。願わくば然るべき上研磨を施し、特別保存刀剣鑑定を御受審下さい。
裸身重量441グラム。