近頃の居合道場や流派を見るに、やたらと稽古着に大きく流派名や道場名を刺繍するところをみかけるように思います。
私個人の考えとしては、そう言った刺繍は全く意味がないと思うのです。
例えば正宗の刀を見てください。
在銘はほとんどありません。
一説によると、銘を切らずとも、作風から正宗と判るといった自負からのものだと言われます。
これが正しいか間違いかはさておき、私は修心流居合術兵法の門弟は、所作で修心流居合術兵法の門弟であることがわかるようにしろと教えています。
この考えは今後も変わりません。
そのため、修心流居合術兵法は希望者に氏名以外の刺繍はさせません。
流派名を刺繍できるのは、私の眼から見て流派名を名乗るに恥じない技術の持ち主だけと定めています。
とかく素人や外人騙しには、大きな刺繍が好まれるようですが、私はそう言った刺繍は大嫌いであることをここで念を押して置きます。
袴に限らず、上着にも、やたらと英信流という刺繍をデカデカとしている様は、滑稽であり、ちんどんやにしか私の眼には映りません。
暴走族の特攻服となんら変わりないではありませんか(笑
流派名や道場名は刺繍で語るのではなく、技術で語るものと私は考えます。