天心流兵法の鍬海氏が、ブログで下に紹介する画像を指し、あくまで自説の杖太刀なる所作が当然のように昔からあったと、とんでもない情報を拡散している。
この一例だけを挙げて杖太刀なる所作があたりまえのようにあったとするのは大変危険な発想であることを皆様には覚えていただきたいのです。
私も閑ではないので仔細には書き綴れませんが、ご興味ある方は十二神将について自身で検索してみてください。
抜き身の剣を地に立てているものは殆どありませんし、上に紹介した画像の立像が手にする剣は、後補っぽく感じられます。
後補であれば当然のことながら後世の人の思い込み、勘違い、調査不足も含まれます。
例えば同じ十二神将立像でも、下に紹介するものを見ると…
手にしているのは三鈷柄付剣であり、切先は地につけずに宙に浮いています。
常識的に考えてみて下さい。
敵を突くのに必要不可欠なる切先を、わざわざ地に着けて切先先端が傷むような所作をするでしょうか?
また、剣は日本刀に比べて刃長は短いもの。仏教がインドから中国を経て日本に渡ったことは皆様もご存知のはずですが、中国の遺物に見る剣を見ても、刃長は日本刀ほど長くはありません。そういった事実から見ても、今回ご紹介した立像としては、後者の方が自然であると私には思われ、剣を杖にしていると言うよりは、三国志等の中国を題材にした映画やドラマの中に見られる、剣を握ったままの礼に似ているようにも思えます。
更に詳しいことは仏像や仏教の研究者にお任せするとして、私は己が発信した情報に過ちがある可能性を示唆されても、頑なに的外れの資料を出して、さも正論のように言い訳を発信する天心流兵法の姿が好きにはなれません。
十二神将の構図が杖太刀であるとする天心流兵法が流す情報を信じるか信じないかはあなた次第。