肥後同田貫宗廣 弘化四年九月日 – Higo Doudanuki Munehiro –

肥後同田貫宗廣 弘化四年九月日 - Higo Doudanuki Munehiro -

肥後同田貫宗廣 弘化四年九月日
– Higo Doudanuki Munehiro –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tachi/061/00.html

同田貫は九州肥後国菊池の同田貫(地名)を本拠地に、永禄頃から活躍した肥後刀工の一群で延寿派の末流と伝えられています。本刀の作者である宗廣は、肥後同田貫一派の末尾を飾る良工で、本名を小山太郎と云いました。彼は同田貫有宗、肥後細川家の六千石重臣とともに江戸の水心子正秀に学び、刻銘は、肥後同田貫宗廣、肥後同田貫宗廣作、肥後同田貫上野介拾代嫡孫延寿太郎宗廣作、肥後同田貫小山延寿太郎藤原宗廣作、肥後同田貫延寿宗廣、小山延寿太郎藤原宗廣などと切り、天保元年から明治四年までの作品が経眼されます。
新々刀期の同田貫は、身幅広く重ね尋常。切先伸び心で反り程良く、鍛えは小板目または杢目肌。主に備前伝の丁子乱れ刃を焼き、中には兼元を範とした作品も見られ、この御刀も掟通りの作品ですが、通常に見る粗雑な雰囲気の同田貫とは一味違った品格を備え、姿、地鉄共に良く、匂口明るく冴えた華やかな腰開きの互ノ目に互ノ目丁子を交えた会心の出来口を示しており、新々刀同田貫の代表作と言えます。
尚、胴田貫の由来は、田んぼに死体を横たえて胴を切ると、胴を貫(ぬ)けて下の田んぼまで切り裂く、から来ており、旧幕臣にして直心影流の継承者である榊原鍵吉が、明治天皇の御前で兜を割った際にも同田貫の刀が使われました。また、時代劇では『子連れ狼』の主人公、拝一刀の愛刀として、『破れ傘刀舟悪人狩り』でも、主人公である蘭学医・叶刀舟の愛刀。『三匹が斬る!』においても、主人公の一人である千石こと久慈慎之介の愛刀として登場し、正宗や村正と並んで馴染み深い刀として大変人気があります。

付属の拵は、素銅地を基調に象嵌が施された一作金具の半太刀風の肥後拵で、切羽の一枚に至るまですり替えられることなく伝来してきた完全なオリジナル。鞘は経年による塗りの剥離などが見られるも、黒石目塗りに雨龍を闇蒔絵にした、手が込んだ一級品で、肥後細川家の上士の指料であったことが窺われます。※鞘塗り補修痕在り。

当店にて上白鞘と継木を新調し、美術鑑賞用上研磨を施しました。研ぎ上がったばかりの澄んだ地刃を存分にご堪能下さい。宗廣の太刀は非常に稀有で貴重です。
※本刀の分類は、体配や銘の切り方から鑑て太刀ですが、現日本美術刀剣保存協会の鑑定基準では、新々刀は太刀であっても鑑定書上は刀と表記する傾向にあります。

裸身重量685グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,004グラム。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です