長男、次男、三男までは本歌甲冑と陣太刀や弓、鉄砲などを飾って端午の節句を祝っていたのですが、子供の数が増え、四男以降になると、甲冑を出して飾るのも億劫になり、また、店内には常に五領の甲冑を飾っていることもあって、本格的なお祝いをすることがなくなっていました。
ましてや妻にしてみれば甲冑を部屋に飾るのは、なんだか怖い… という女性ならではの反応も…
そうして長らく行われていなかった町井家の端午の節句が、数年振りに蘇ったと言う今回のお話。
妻に頼み込んでようやく「5月中だけね。」と、床の間に甲冑を飾る許可を得たのが一昨日のことでした。
実は六年前、松代藩真田家臣、神戸家の子孫の方から、直接家伝の甲冑一式をお譲り頂きまして、いつかは飾りたいと夢見ていたのです。因みにご子孫の方、お子様がおられなかったため、私にお譲り下さった次第です。
骨董市場に出たことがない家伝の甲冑ですから、巷で見かける各部寄せ集めや、三具がすりかえられたものではなく、完全なオリジナル。これ、今の時代には本当に貴重なのです。
業者が集う交換会(競り市)を覗いたことがある人ならご存知でしょうが、一式揃った甲冑が、売り手の都合によって躊躇無くバラ売りされています。これは兜や面頬だけを収集する数寄者にも原因があります。
骨董市でもたまに見かけますが、「胴は要らんねん。場所とるし飾る場所ないからなぁ。兜だけ売ってくれへんか?」と交渉する人が結構多いのです。
また、一式揃っているものに対しては付加価値をつけるべきところが、何故か骨董の世界でも家電のセット売りの如く逆に安く販売されているのも、甲冑がバラされてしまう要因の一つ…
そうした現在ですから、尚のことこの神戸家の具足は貴重であり、私は売却することなく、町井家の家宝として後世まで遺し伝えたいと考えている次第です。
さて、この甲冑への想いを熱く語ってしまいましたが、節句祝いに話を戻します。
神戸家の具足は一荷櫃と呼ばれる二個一組の鎧櫃に納まっています。
まずはバランスよく床の間の中央に二つ並べて行きます。写真は鎧櫃を置くための台で、こうした付属品もしっかりと残っていることは非常に好ましいですね。
鎧櫃から各部を取り出し、梱包を解いていきます。
籠手に施された繊細な仕事。鎖の編み込みも丁寧。何よりも鉄味が良い。ただならぬ甲冑であることが籠手を見るだけで判ります。
飾り付けの準備をしていると、三男が「お父さん、面頬つけていい?」と言ってきたので、記念に一枚パチリ!
鎧櫃に同梱されていた采配も添え、甲冑飾り完了!!
しかし、最後の最後にとんでもないミスが発覚。
鶴首と呼ばれる前立を兜の祓立に装着するための金具を、鎧櫃の中に残したままでした(愕然
折角飾り付けたのに、鎧櫃の蓋を開けるためにだけにまた飾りつけし直し…
悪魔が囁きました。
「このままでいいじゃない?」
と(笑
台所から割箸を持ち出し、適当な大きさに加工して、即席鶴首(鶴首状ではないが)を造って前立を装着。
そのため前立が本来の位置より2~3センチ上になってしまいました…
が、まぁ、そういうミスもあるということで…
では、以降劇的ビフォーアフター口調でお読み下さい。
♪BGM
なんということでしょう。
掛軸しかかかっていなかった床の間が匠の手によって荘厳な空間へと変貌を遂げました。
赤備えで名を馳せた真田家。その家臣である神戸家の甲冑も、胴を赤の萎革包としています。
甲冑を気持ち悪がっていた町井さんの奥様も、この甲冑が織り成す荘厳な空気に、きっと考えを改めてくれるに違いありません。
兜の祓立には、匠自ら割箸を削って造った鶴首モドキが…
一気に華やかになった町井家の和室。来年からは、毎年子供達が甲冑に眼を輝かせる節句が送られることでしょう。
弓も飾ろうと思いきや、将平刀匠に二張とも預けていることに気付いた町井さん。
せめて太刀だけでも飾ろうと思うも、家伝の太刀はショーケースの中、どうしたものかと思っているところへ、新たな匠(うぶ出し骨董商)が飾るに相応しい糸巻陣太刀をタイミング良く売りにやってきました。これには町井さんも大喜び。欲しい金額に気風良く2万円つけてお買い上げ。
早速店内(美術刀剣 刀心)から太刀を飾るに相応しい金梨地塗牡丹蒔絵の太刀掛を持ち出し、神戸家甲冑の左脇へ。
そして厳かに陣太刀を立て掛けました。
♪BGM
なんということでしょう
太刀を掛けたとたん、まるで昼間のように和室がパッと明るくなったではありませんか。
※実際には甲冑を飾りつけた夜から日が変わり、五月五日のお昼になっただけです(笑
采配は右側に置いた方がいいんじゃないの? と言った野暮なことは言ってはいけません。
こうして匠による立派な飾りつけで和室が豪華になったところで、町井さんの六男さんが戻ってきました。
「うわぁ めっちゃかっこいい!!」
立派な甲冑と陣太刀の飾り付けに六男さんも大喜びです。
こうして四男以降、長年催されることがなかった町井家の端午の節句も、無事再開されることになりました。
さて、このまま放置しておいて、六月になっても甲冑をそのまま床の間に飾り続けてやろう…
などと匠(町井)が目論んでいることは奥様には内緒です。