吉光 将平作(薬研藤四郎写) ~薬研藤四郎写しの影打~

吉光 将平作(薬研藤四郎写)
– Yosimitsu Masahira saku (Yagentosirou) –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/182/00.html

薬研藤四郎との号の由来は、「切れ味は抜群だが主人の腹は切らない」と言う伝説から名づけられました。
これは明応2年(1493年)の明応の政変の際、河内正覚寺城を包囲された畠山政長が、我が子尚順を逃した後、吉光の短刀で自害しようとしたところ、何度やっても腹に刺さらず、腹を立てた政長が投げつけたところ、付近にあった薬研の表裏を貫いて突き刺さったことに由来します。結局、政長は、家来の丹下備後守の差料である信国を用い、腹を十文字に掻き切って果てたと言われています。

今回ご紹介致します薬研藤四郎写しは、古刀再現の第一人者として、また、優れた利刀を鍛える名工としてその名を知られる、藤安将平刀匠の手によるもので、本年(平成30年)7月1日に京都の建勲神社に奉納された薬研藤四郎写の影打の一口です。
淡く映り立つ地鉄、本歌吉光に迫る匂口の出来、家宝として申し分ない名短刀を、是非この機会にお求めください。

作者、藤安将平プロフィール
藤安将平刀匠は昭和二十一年福島県伊達郡生まれ。昭和41年長野県坂城町の刀匠、故人間国宝、宮入行平師に入門。
昭和50年福島県立子山に鍛刀場を開設して独立。以後作刀の研究修練を重ね日本美術刀剣保存協会優秀賞3回、奨励賞6回、努力賞7回を受賞。平成2年には日本美術刀剣保存協会会長賞受賞。同14年日本美術刀剣保存協会寒山賞を受賞。

尾張熱田神宮、奈良護国神社など多くの神社で奉納鍛錬を行い、平成20年には、704年、佐備大麻呂の作剣以来、およそ千三百年ぶりに常陸鹿島神宮において日本刀奉納鍛錬を行う。

昭和59年秋には伊勢神宮第61回式年遷宮、御神宝太刀謹作奉仕の大役も担い、 先の震災で大きな被害を受けた福島県南相馬の御刀神社復興支援にも大きく尽力され、御神宝となる直刀を謹作奉仕し、直近では福岡の宮地嶽古墳出土大直刀の復元鍛錬など、現代日本刀匠屈指の作刀技術を持っている。

平安、鎌倉時代の古刀剣再現への強い想いを持ち、長年研究修練に取り組み、国宝、重要文化財やそれに類する刀剣類、全国の砂鉄や鉄文化の知識見識も豊富で、太刀、刀、短刀、脇差、薙刀、古代直刀など、どれを手掛けても正確で美しい刀姿を創り上げる。
地鉄、焼刃の手際も鮮やかで幅広い製作能力を誇り、中心鑢や銘文といった中心仕立ても現代刀匠随一で、師である行平没後、師の実子である宮入小左衛門行平(宮入恵)を預かり、弟子として鍛刀修業を積ませた経緯からも、師の信任が厚く、その技量の高さを物語っている。

近年は奈良正倉院収蔵の直刀、手鉾のなど奈良時代の刀剣類の研究、復元制作にも取り組んでおり、上記の御刀神社奉納直刀の焼刃などは神域に入られたと言っても過言ではない。

刀心店主、町井勲(修心流居合術兵法創流者、居合に関するギネス記録を6つ保持している)が最も信頼を寄せる現代屈指の刀匠としても知られ、将平刀はテレビ番組内で町井の手によって、鉄パイプ、鉄板切断など日本刀の本分である利刀(折れず曲がらずよく切れるの三事)としての能力も非常に高いことが証明されている。
また弓、弓道にも深い造詣を持ち京都の御弓師柴田勘三郎氏とも長年に亘る親交があり、地元福島では弓術の指導にもあたっている。

非常に高い技量を持ち、人間国宝や無鑑査に認定されるべき人物だが、表の世界に出るのを拒み、今尚福島県立子山で黙々と作刀研究に勤しむ生粋の職人肌刀匠である。

更なる詳細はこちらをご覧下さい。

裸身重量195グラム。

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