清心子長寿作之(花押) 昭和四十八年初春 ~徳島県重要無形文化財保持者、長寿最高傑作~

清心子長寿作之(花押) 昭和四十八年初春

清心子長寿作之(花押) 昭和四十八年初春

– Seishinshi Nagatoshi –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/857/00.html

本名、小島為一。明治34年に生まれ、徳島県小松市で槌を振るった長寿は、刃味の良さから大阪陸軍造幣廠受命刀工として、大東亜戦争時には陸軍将校用に利刀を鍛え、昭和49年には徳島県重要無形文化財保持者の認定を受けた昭和の名工です。


巷には居合・武用に鍛えられた長寿の作品をまま見ることができますが、本刀は特に思い入れが感じられる作品で、前者の作品とは根底から出来が異なります。二尺五寸五分を超える長寸でありながら、鍛錬疵は見られず、小板目肌柾交じり、刃寄りは特に柾強く、焼刃は匂口明るく冴え渡り、蛙子丁子風の互ノ目乱れを焼き高く華やかに焼き上げ、刃中には随所に砂流や、長く続く強い金筋も顕著に見られ、刃中よく沸づき、足・葉・蛇の目も多々看取でき、まさに美術刀剣の肩書きに相応しい最高の出来栄えを示しています。附属する拵の状態も良好で、青貝散塗鞘に赤紫色の柄巻きが、本刀の華やかな出来を更に引き立て、昭和の名工、長寿の技量の高さを存分にお楽しみ頂ける名作です。


裸身重量1,019グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,312グラム。

加州清光 ~刀剣乱舞で人気の刀。沖田総司の愛刀としても知られる一刀~

加州清光 ~刀剣乱舞で人気の刀。沖田総司の愛刀としても知られる一刀~

清光(加州)

– Kiyomitsu(Kashu) –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/856/00.html

新選組一番隊隊長の沖田総司及び同隊士大石鍬次郎の愛刀として知られる加州清光。名鑑によると明応から安政頃まで同銘が数人確認されています。新刀期における清光は、寛文頃の長兵衛清光・元禄頃の長右衛門清光が著名であり、以下同銘数代が継承されています。

これらの作風は匂本位の直刃を多く焼いていますが、稀に直刃調の湾れ乱れや尖りごころのある互の目乱れなども見られます。清光はその銘の切り方に由来し、十二月清光などとも呼称されますが、本刀の銘は十二月にはなっていないものの、数代続く清光のいずれかの作と鑑せられ、小板目よく練れて杢交じり、鎬地は柾目が特に強く現れており、刃文は典型作とも言うべき直刃を焼きあげ、指裏は特に地鉄に沸が厚く付き、極太の湯走状の沸映りが鮮明に立っています。

区送りされているのが惜しまれますが、やや細身で手持ち軽く、バランスがとても良い刀で、本刀なら片手で易々と扱えそうな感があります。棟に打ち傷が一箇所あります。本刀が歩んできた歴史に思いを馳せてみるのもまた一興です。


裸身重量562グラム。

氏重 ~身幅広く重ね厚い名脇指~

氏重 ~身幅広く重ね厚い名脇指~

氏重

– Ujishige –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/516/00.html

身幅広く、重ね厚く、切先延びた豪壮な造り込み。氏重と言えば海部や高田、島田や尾張、播州、伊勢と、古刀から新々刀期まで複数名確認されているものの、本刀の作者である氏重は新刀期の作であることは認められるものの、そのいずれの流派に属する者かは定かではありません。


杢目肌柾流れ、良く練れて詰み、少しく肌立ち、匂口明るく冴えた刃文を焼きあげ、元は緩やかに、先に行くに従って刃縁よく沸付き、沸本位の複雑な互ノ目丁子となり、刃中には足や砂流が見られ、縦横無尽に変化に富んだ見応えある作品です。出来が良いだけに上研磨を施し、末長く愛でて頂きたいと言う思いから、研磨代を考慮したお求め易い低価格にて御案内致します。この機会に覇気溢れる出来口の名脇指をコレクションにお加えください。


裸身重量624グラム。

肥前國忠吉 小 ~小サ刀拵入り~

肥前國忠吉 小 ~小サ刀拵入り~

肥前國忠吉 小

– Hizen no kuni Tadayoshi -http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/515/00.html

偽銘ですが鍛錬疵は無く、無銘の長脇指とお考え頂ければ、価格的にもお買い得な一刀です。銘を潰せば保存刀剣指定を受けることができる優刀です。小板目肌が良く練れて詰み、匂口明るく冴えた直刃を焼き上げ、刃縁に細かな働きを見せ、金筋や稲妻なども盛んに見られ、更には指表に切られた『小』の文字が意味深で、非常に興味深い作品です。


付属の拵は江戸期の古いものを、大東亜戦争に際して軍刀として持参するために吊鐶を取り付けています。鮫は漆にて黒塗りとし、柄糸には漆がかけられ、強固な実戦向け仕様となっており、切羽も拵製作当時のオリジナルのままで大変好ましく、居合・抜刀用として御所持されたい場合は、吊鐶を外して栗形を再び装着すれば、刃長短めの打刀としてお使い頂け、少年用、または片手斬り稽古用としてお薦めです。勿論観賞用としてもお楽しみ頂ける出来口です。現状でも特に問題はございませんが、本刀の地刃の冴えを存分に御堪能されたい場合は、再研磨をお薦め致します。お気軽に御用命下さい。

※小サ刀とは、殿中に於いて警備護衛を担当する士が、脇指ではなく、打刀として帯刀する長寸の脇指です。


裸身重量595グラム。  拵に納めて鞘を払った重量831グラム。

於江府出雲大掾正光 安政三年十二月日 ~広島浅野家御抱工~

於江府出雲大掾正光 安政三年十二月日

– Oite Koufu Izumodaijou Masamitsu –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/853/00.html


石橋正光は尾張国青木元長の弟子と伝えられ、享和2年(1802)に刀工正長の四男として山県郡高野村(現同郡北広島町)に生まれました。兵七、弘之進とも称し、三人の兄も刀工だったようですが、現存する作品が少なく、詳しい事は不明ですが、技量的には正光が最も秀でていたようで、数多くの優品が遺されています。文政12年(1829)5月に出雲大掾を受領。安政5年(1858)には扶持米取りとなり、広島藩浅野家の御用鍛冶となりました。元治元年(4864)10月には、背景に長州戦争が深く関与していると考えられますが、隣藩である浜田藩から200振もの注文を受け、息子の卯吉、弟子の宮太と共に、翌年7月には納品したと記録にあり、一年もかからず200振の刀を鍛え上げたその仕事の早さには驚嘆させられます。武士の世が終焉を迎え、文明開化の明治に入っても、正光は槌を振るい続け、確認されている最晩年作は明治8年(1875)で、正光この時75歳。翌年には廃刀令が布告され、日本刀を巡る環境の激変を見届けつつ、その3年後の明治12年(1879)に78歳の生涯を閉じました。


この刀は正光56歳時の作品で、身幅広く、重ね厚いごりっとしており、切先が延びて鋭さを感じさせるも、元先の差に開きがあって、どこか優しさと上品さをも感じさせます。杢目肌がよくねれて詰み、地景頻りに入って地沸厚く付き、匂口明るく冴えた小沸本位の直刃を焼き、二重刃風の刃や食い違い風の刃を交え、刃縁に荒沸が豊かに付き、それが地に零れ、更に厚い地沸を形成するなど、単調な直刃に見えるも見所多く、美術鑑賞刀として申し分ない覇気ある出来口で、正光の技量を余すことなく発揮した逸品です。正光の作品には直刃出来のものが多く、銘字は丁寧な楷書体で、本刀の銘からも、彼の几帳面さと実直さが感じられます。出来が良いだけに、与力有る方は更に良い研磨を施し、次世代へ大切に伝え遺して頂きたい名品です。
裸身重量816グラム。

近江守藤原継廣 越前住下坂 ~家宝として申し分ない美術刀剣~

近江守藤原継廣 越前住下坂 ~家宝として申し分ない美術刀剣~
近江守藤原継廣 越前住下坂
– Ouminokami Fujiwara Tsuguhiro Echizen ju Shimosaka –
 
越前国には、美濃関から移住してきた刀工が数多居り、これらを総称して越前関と呼びます。越前新刀はその優れた斬れ味と、実用刀としての優秀さから、旧幕時代以来重用されました。
その中でも康継は家康より中心に三つ葉葵紋を切ることを許された、越前新刀を代表する名工で、本刀はその三代康継の高弟で、利刀として名高く、業物としても知られます。
 
この刀は杢目が良く練れて詰んで肌立った地鉄に、大湾れを匂口明るく焼き上げた作品で、刃縁には地鉄に絡んだ繊細な働きが看取できます。
附属の拵は江戸時代後期頃の作で、保存状態抜群。千段刻みの鞘に、銀造りの一作の金具。画題は秋か初冬でしょうか。笹の落ち葉と、頭には雲間から顔を覗かせる月が巧みに彫られ、鐔は頭金具と鐺金具と同じく、四方を尖らせ、銀で覆輪をかけ、変わり形の小柄笄櫃穴を、表は銀、裏は素銅に埋め、昼夜仕上げとした粋な作品。切羽は四枚で、小切羽には赤銅を着せ、中切羽には菊座刻みを施し、丁寧に金鍍金仕上げがなされています。
 
刀身は既に特別保存刀剣鑑定書が交付されていますが、拵は未だ無鑑ですので、御購入されましたら是非とも特保同時審査にて拵にも鑑定書をお付け頂き、更に本刀の価値を高めてあげて下さい。切羽の一枚に至るまで、すり替えられることなく、当時のまま伝来していることで、美術価値的にも非常に評価が高い逸品です。
 
裸身重量651グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,022グラム。

お値段お手頃! 御守刀や女性の懐剣に最適な一口!!

お値段お手頃! 御守刀や女性の懐剣に最適な一口!!
(菊紋)源菊平
– Minamoto Kikuhira –
 
すっきりとした小振りな冠落造の短刀で、鍛錬疵は一切無く、小板目が良く練れて詰み、匂口明るく冴えた刃を焼きあげています。刃縁には細かな働きが看取され、御守刀としても、観賞用としても申し分ない一振です。
菊平銘に関しましては真贋保証はございません。
 
裸身重量87グラム。

保存刀剣鑑定書付きの末古刀が、たったの!!!!????

保存刀剣鑑定書付きの末古刀が、たったの!!!!????

無銘(末三原)
– Mumei(Suemihara) –
 
備後国三原派は、備前・備中の両国の近くにありながら、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しています。
従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、最近では鎌倉末期の国分寺助国を祖とするという説が有力となっています。
年代で大きく三つに区分し、南北朝より以前を古三原、室町初中期を三原、室町末期を末三原と呼称し、古い時代から評価が高く、現在でも国の指定である重要文化財や重要美術品などに多くの作刀が指定されるなど、斯界で高く評価されています。
貝三原派は、末三原の中で名前に貝を冠した一派の事で、何故貝三原というのかには諸説有り、現在有力な説としては備後国御調郡高調町貝ヶ原という地名に因むという説と銘に「備後國三原住貝○○」と銘に切る事に因むという説の二説が有力で、また、一派の作の中には重要刀剣に指定されている物もあり、作風から見ても技量高き刀工群です。
 
この脇指は、室町後期に流行した長巻き直し風の造り込みで、小板目や杢目に柾がかかり、単調な直刃の作品が数多く見られる同派にしては珍しく、刃中や刃縁に盛んな働きが見られる作品で、細やかな金筋が長く刃縁に現れています。
 
裸身重量306グラム。

お詫びと訂正 ~刀心WEBサイト掲載刀の重ね計測ミス表記~

美術刀剣 刀心WEBサイト掲載刀の中で、一部、元重ねや先重ねの計測が間違っており、貧弱な研ぎ減った刀剣のように誤解を招くご紹介がなされていた刀剣がございました。申し訳ございません。

重ねとは、本来は鎬高さで計測するものだと刀心では考えており、掲載刀は全て鎬で計測しておりますが、数点、間違えて棟の幅で計測されているものがありました。

しっかりと重ねがある刀剣なのに、例えば鎬が高い造り込みの場合、棟の幅を計測してそれを重ねだと表記してしまいますと、元重ね7ミリあるものも、2.5ミリや3ミリと言ったペランペランのものと誤解されてしまいます。

私が早く気付いたのでまだましですが、これに気付かず、今後もスタッフが間違った計測をして掲載し続けていたらと考えると、冷や汗どころではすみません。

先程修正完了致しましたが、疑わしい品々を再計測するだけでも相当な苦労でした。

上記のような記載ミスがございましたので、もし、皆様の中で、ご興味を持って頂きました美術刀剣 刀心WEBサイト掲載刀を、元重ねや先重ねの誤表記をもとに、研ぎ減りが激しいからと諦められた方が居られましたら、どうぞもう一度再計測致しました寸法を御確認の上、御購入を御検討頂ければと思います。

どうぞ宜しくお願い致します。

 

重ねに関する計測ミスが確認された刀剣は以下の通りです。

脇指505 無銘
脇指513 二王
刀842 無銘(冬廣)
刀843 無銘(弥門直勝)
刀851 信國

九八式陸軍刀拵 ~青貝散塗鞘の特注品~

九八式陸軍刀拵 ~青貝散塗鞘の特注品~
信國
– Nobukuni –
 
板目肌肌立ち、細直刃のすぐ上に沸の強い映りが二重刃のように現れた奇異な作品で、昭和26年5月の北海道大名登録刀です。
家伝の刀を軍刀に誂えた物で、余程の上級士族の持ち物だったのでしょう。非常に珍しい青貝散し塗りの特注拵に納められており、大切羽や小切羽も特注で手造りさせたもので、大切羽には他の軍刀には見られない刻み鑢が縁に見られ、小切羽は銀無垢。目釘は象牙で造られています。
元は第二佩鐶が附属した九四式初期型ですが、現在は第二佩鐶が失われており、それだけがとても惜しまれます。
 
※信國銘に関しては真贋保証ございません。珍しい初期型特注軍刀入りの無銘古刀としてお求めください。
 
裸身重量589グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,019グラム。