大板目肌の沸出来! バリバリの相州伝!!

大板目肌の沸出来! バリバリの相州伝!!
無銘
– Mumei –
 
鎬高く、元先の幅開いた美しい体配で鎬高い造り込み。手持ちがランスがとても良く、片手での操作も難無くこなせそうな感を与える。茎はうぶで中央付近に目釘穴が開けられているのは、一時期に太刀拵に納められていたものと思われる。板目肌を学ぶ上で格好の資料と言える大板目肌が見事な地鉄で、よく練れて詰むも粕立った感があり、淡く沸映りも見られる。刃文は匂口明るく冴えた沸本位の見事な互ノ目を焼き上げており、刃縁には砂流や湯走、打除風の刃が見られ、刀剣を少し学んだことがある者なら一目見て相州伝を狙った作品であることに気付く。非常に見応えある一刀なので是非とも保存刀剣鑑定を御受審頂きたい。
 
附属の拵は古い時代物の金具を用いて誂えられた昭和以降のものですが、鞘に目立つ凹みも無く状態が良い。
※製作年代を江戸前期と表記しましたが、鑑定結果によっては江戸後期の新々刀上工作の極めがつくかもしれません。
 
裸身重量707グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1028グラム。

清水住盛粋 ~斬鉄剣! 初代小林康宏門人! 見事な地刃の冴え~

清水住盛粋 ~斬鉄剣! 初代小林康宏門人! 見事な地刃の冴え~
清水住盛粋造 昭和五十三年三月吉日
– Shimizu ju Morikiyo –
 
俗名、熊谷一二。大正7年6月7日生まれ。斬鉄剣の異名で知られる初代小林康宏に学ぶ。初銘は盛粋。後に盛重に改め、静岡県清水市山原に鍛刀場を構え槌を振るいました。
 
この刀は小板目肌良く練れて詰み、地景入り、刃縁柾がかった地鉄は少しく肌立ち精美。匂口明るく冴えた直刃調の刃文に、金筋、砂流、互ノ目足、丁子足等を盛んに交え、先の方は小乱れとなった趣深い見事な出来口を誇る一刀。古研ぎのためヒケが目立ちますが、地刃の観賞には支障なく、初代康宏譲りの地刃の冴えと、利刀としての刃味をお楽しみ頂けます。
 
附属の拵は数寄者によって全て真面目な時代金具を用いて誂えられていますが、経年により鞘の刃方棟方に鞘の糊付けが弱っている箇所が見られますので、居合にお使いになられる場合は、安全を考慮し、鞘を修理されてからお使い下さい。
 
店主 町井勲からの一言。
出来が良い一刀ですから、武用刀としてお使いになられた後は、美術鑑賞用研磨を施して頂き、白鞘に納めて次の時代に伝えて頂きたい。
 
裸身重量835グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,115グラム。

釼龍子正信 ~現存数少ない国不詳の刀工~

釼龍子正信 ~現存数少ない国不詳の刀工~
釼龍子正信造之 元治元年八月日
– Kenryushi Masanobu –
 
釼龍子正信は江戸後期に活躍した刀工ですが、作刀地等は知られておらず、国不詳の刀工として銘鑑にも詳細は記されていません。現存する作品も恐らく少ないものと思われ、貴重な一刀であると言えます。
 
この刀は特筆すべき疵欠点無く、地鉄は杢目肌が良く練れて肌立ち、刃縁柾がかり、中直刃調の刃文は刃縁に小沸が付いて変化が見られ、砂流や金筋、打除等を交え、帽子は直ぐに丸く返り、茎は長く、先に控目釘があけられているところから鑑るに、美観のみならず、実用をも重視した正信の熱意が伝わってくる逸品です。
 
附属の拵の柄は、合戦図で統一され、鐔は細かな透かしが施された南蛮鐔の上手が添えられています。
現代人の居合稽古にも適した二尺三寸八分と好ましい刃長ではございますが、附属する拵の金具等も考慮しますと、武用として用いるには勿体ない一刀です。どうか純然たる観賞用として御愛玩頂ければと思います。
で。
 
裸身重量947グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1217グラム。

高塚正秀による大小刀の御紹介

高塚正秀による大小刀の御紹介
高塚正秀作 為山本節治氏之鍛 昭和五十年一月吉日
– Takatsuka Masahide –
高塚正秀作 為山本節治氏之鍛 昭和五十年二月吉日
– Takatsuka Masahide –
 
高塚正秀は元陸軍受命刀工で、戦前は正次と銘し、昭和16年の新作日本刀展覧会では、第二席(準國工)に指定され、昭和17年の栗山彦三郎氏による現代刀匠の暫定位列表でも、上工の上位、良業物、大関格に指定されるほどの高い評価を得ました。戦後は正秀と改銘し、兵庫県尼崎で長年槌を振るい活躍しました。
 
この大小刀は山本節治なる人物からの註文に応じて鍛えたもので、焼き出し部分を大小共に焼き落としとし、中直刃調の浅い湾れを、匂口明るくふんわりとした感じで焼き上げた作品。地鉄は小杢目が良く練れて詰み精美。帽子は大小共に直ぐに丸く鑑返っています。
 
附属の拵は註文主である山本節治氏の好みによるものでしょう。金具は掟通り大小共に同図柄の大小金具を用い、鞘は黒篠塗で黒を基調とした渋い仕立てになっており、はばきも大小共に同じ仕事の物が添えられています。
 
観賞用として、また、武用刀としてもお楽しみ頂ける正秀の真面目な大小を、お求め易い価格でご提供致しますので、この機会に刀剣趣味人憧れの大小を是非ご入手ください。
 
(大)裸身重量914グラム 鞘を払って1224グラム。
(小)裸身重量534グラム 鞘を払って803グラム。 

一峯 ~二尺五寸八厘強~

一峯 ~二尺五寸八厘強~
一峯
– Ippo –
 
武用研磨で入念な研磨ではないため、現状では地鉄が鮮明には出ておりませんが、小板目肌が確認できます。刃文は匂口明るく冴え、互ノ目乱れが左右に開き、尖りごころの刃を交え、足、葉入り、砂流かかり、帽子は表裏共に乱れ込んで大丸で焼き幅たっぷりと返る。
 
金着はばき装着の二尺六寸近いしっかりとした新刀が驚きの低価格! 長寸の武用刀をお探しの方お急ぎください!!
※低価格での御案内につき、一峯銘に関しましては真贋保障ございません。
 
裸身重量878グラム。  拵に納めて鞘を払った重量グラム。

無銘 ~武辺者による実用重視の拵~

無銘 ~武辺者による実用重視の拵~
無銘
– Mumei –
 
元先の幅尋常に開き、切先延びごころでシルエットが良い。杢目肌、刃縁鎬地柾となり、少しく肌立つ。刃文は匂口明るく冴えた直刃仕立てで、刃縁が地鉄に絡んで多種多様な働きを見せ、砂流、金筋、打除等見所満載。帽子は直ぐに丸く返りの焼幅を広げつつ横手下迄焼き下げる。元々在銘であったようですが、出来の良さ故にか銘を消されたようです。
 
附属の拵は江戸期の時代物で、実用本位の目貫を巻き込んだ片手巻の柄巻が面白く、柄糸は経年劣化にも強い麻糸を用い、上から漆で塗り固めた頑強な造りで、鞘はシンプルなデザインながらも、幅広の鯉口金具や銅金、鐺が装着され、強固な造り込みとなっており、この拵を誂えた先人の、実用と武への拘りが感じられます。鐔は外されていたため、当店にて適当な物を付けました。刀匠鐔等の薄手の鉄鐔をお探し頂き、交換されますと本拵の価値を高めます。
※拵と刀身は後世に合わせられたものと思われ、鞘に刀身を納めると鞘当たりが見られます。
 
店主 町井勲からのご提案。
特筆すべき大きな疵も見られない健全な一刀です。刀身は研磨を施し白鞘を誂えて保存刀剣審査を御受審下さい。武用刀として用いられる場合、模擬刀の拵の転用が可能ですので安価にて拵を誂えることができます。現在附属の拵は質素ながらも実用面を重んじた造り込みで貴重な文化財ですから、継木を作り、保存刀装の鑑定を受けられて保管頂きたく思います。
 
裸身重量698グラム。  拵に納めて鞘を払った重量895グラム。

河合義永作 甲申一月日

河合義永作 甲申一月日
河合義永作 甲申一月日
– Kawai Yoshinaga –
 
この刀は、大東亜戦争終戦の一年前に鍛えらえたもので、二尺三寸四分と、当時の軍刀の定寸より刃長が長いことから、特別な註文に応じて鍛えられたものでしょう。
華やかな丁子乱れを焼き上げた力作ながらも、惜しいことに刀身の中央辺りの刃先に大きな刃絡みが出てしまい、そのため研磨されることなく打卸状態で放置されていたものを、当店が平成18年に登録審査代行も含めて買取させて頂いた品です。
なんとか刀として蘇らせることはできないものかと、慎重に研磨するよう担当研師に依頼したのですが、懸念していた刃絡み部分が外れてしまい、大きな刃毀れとなってしまいました。
焼幅があるので、サーベル指揮刀々身のような細身にすることで刀として再生させることも可能ではありますが、折角の身幅が勿体ないので、素振り用として、または並研磨を施して居合稽古刀として愛玩下さる方にお譲りしたいと思い、現状のままで御案内する次第です。中央から先をお使い頂ければ、畳表や竹の斬り稽古にもご使用頂けますし、刃毀れを我慢さえすれば、美術鑑賞刀としても充分にお楽しみ頂けます。
 
附属の拵は当店にて新調したもので、柄は合わせ物ではなく、この刀のために誂えた真面目な手造りの品で、銀はばきも当店にて新調致しました。
 
裸身重量809グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1080グラム。

國長作

國長作
國長作
– Kuninaga –
 
杢目肌よく練れて少しく肌立ち、刃縁柾がかる。匂口明るい互ノ目乱れを焼き上げ、刃縁砂流かかり、尖りごころの刃を交える。
登録証では無銘になっていますが、仔細に見ると薄っすらと國長作と銘を読み取ることができます。正真銘ならば美濃千手院系の國長かと思われます。是非研磨を施して保存刀剣審査を御受審下さい。
 
鞘は斜線模様に細かな青貝を蒔いた上等な贅を尽くした変り塗りですが、鯉口に下手な補修跡が有り、鞘の姿を損なっておりますので、栗形下迄鮫を巻くか藤巻等の工作を施して鞘の価値を高めて下さい。切羽は素銅地金着。柄は後世の合わせと思われますが、薄手の鐔を装着すればそのままお使い頂けますし、現在附属の柄を下取りに出されることで、追加料金無く新調することが可能です。お気軽にご相談下さい。
 
裸身重量647グラム。  拵に納めて鞘を払った重量785グラム。

備前國住長船七兵衛尉祐定 寛文三年二月吉日

備前國住長船七兵衛尉祐定 寛文三年二月吉日
備前國住長船七兵衛尉祐定 寛文三年二月吉日
– Bizen no kuni ju Osafune Shichibe no jo Sukesada –
 
七兵衛尉祐定は藤四郎祐定の嫡子で、永正祐定と誉れ高き与三左衛門祐定の五代目にあたり、延宝2年(1674)6月に98歳という長寿を全うして他界した、新刀期の備前長船祐定家中興の祖として高名な刀匠で業物としても知られています。
実子には上野大掾祐定がおり、弟には源左衛門尉祐定、宗左衛門尉祐定らがおり、それぞれ別家して棟梁となっています。
七兵衛尉祐定の現存する作品中最古の年紀は元和二年(1616)で、晩年は実子の上野大掾祐定が代作を行っていたと伝わり、同工については、整理、分類について今後さらに研究する必要があると考えられます。
 
この脇指は杢目肌良く練れて詰み、大肌現れ、淡く乱れ映りごころ有り。刃文は匂口極めて明るく冴えた互ノ目乱れ。砂流、金筋入り、尖りごころの刃を交え、先に行くに従って大粒の沸が刃縁に盛んに付いて激しさを増した出来口を誇る秀逸の作。
 
昭和26年3月と、最初期の大名登録刀であることから、大大名である池田家の旧蔵刀であろう。うぶ買い付け刀につき、現状では一部に薄錆が見られるも、地刃の観賞には充分な状態。然るべき研磨を施し、特別保存刀剣同時審査を是非御受審下さい。
 
裸身重量450グラム。
 

薙刀  丹後守藤原照門 於関以南南蛮鉄作之

丹後守藤原照門 於関以南南蛮鉄作之
– Tanba no kami Fujiwara Terukado –
 
照門は美濃伝関七流の善定家に属し、俗名を善定惣右衛門と称す。初銘を兼門と切り、善定家の総領職であった氏房が名古屋に移住すると、その後を継いで関鍛冶の頭領を務めました。
はじめ丹波大掾を任官し、万治2年(1659年)に丹波守を受領すると同時に兼門から照門へ改銘し。江戸時代の関を代表する優工として知られます。
 
この薙刀は杢目肌がよく練れて詰んで地沸付いた精良な地鉄に、匂口明るい互ノ目乱れを焼き、互ノ目丁子を交え、刃縁よく沸付いて大粒の沸が付き、金筋、砂流かかり、迫力ある出来口を示しており、茎の状態も芳しく、流石は特別保存刀剣指定と唸らせる逸品です。また、棟の造り込みが面白く、元は庵棟で途中から平棟となり、先の方で再び庵棟になっているところが興味深い。柄は残念ながら逸失しているものの、保存状態が良い黒叩塗鞘が附属しています。
 
裸身重量566グラム。