大身槍 予州松山住下坂作

予州松山住下坂作

予州松山住下坂作
– Yoshu Matsuyama ju Simosaka –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/nagae/051/00.html

下坂派は室町末期(安土桃山時代)に始まり、江戸時代にかけて新刀を代表する鍛冶集団の一つ。「下坂」とは、この鍛冶集団の発祥の地、現在の近江国坂田郡下坂庄(現在の滋賀県長浜市下坂中・下坂浜)を指します。
下坂派の代表格である初代康継が慶長年間(1596~1615年)のはじめに、一門を引き連れて越前国(現在の福井県)に移住。そこで「徳川家康」の次男「結城秀康」から合力米四十石で雇われ、家老の「本多成重」の庇護を受けました。慶長12年(1607)に康継は、徳川家の御用鍛冶に取り立てられ、下坂鍛冶も棟梁である康継の下で繁栄し、下坂派の刀工が各地に移住して作刀しました。

この大身槍は平三角造で丸留の樋を掻き、茎の長さは約43.4センチ。ケラ首は十角形で、ケラ首の根元幅は18.9ミリ。ケラ首元部分の重ねは19.6ミリ。現在迄茎を切り詰められること無く、その堂々たる存在を現代に残し誇っています。
地鉄は柾目主体で処々杢目が交じり、地沸ついて地景入り、良く練れて詰むも少しく肌立った地鉄は美しく、刃文は直刃調に細かな乱れや互ノ目を交え、刃中には足が入り、互ノ目足も交じえて葉入り、小乱れを成し、砂流や打除風の刃も見られ、鋩子は直ぐに丸く返っています。
特別保存刀剣に認定された下坂在銘の大身槍、是非この機会に御入手下さい。

裸身重量677グラム。

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