脇差 武蔵大掾藤原忠廣 ~言わずと知られる初代忠吉晩年銘、武蔵大掾忠廣の力強い平造の逸品です!~

武蔵大掾藤原忠廣
– Musashi Daijo Fujiwara Tadahiro –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/788/00.html

橋本新左衛門と称した武蔵大掾忠廣は、元亀三年(1572)に生まれました。刀剣趣味人なら誰もが知る初代忠吉同人です。元亀三年(1572)に生まれた彼は、肥前鍋島藩の御抱工として活躍しました。
慶長元年(1596)25歳の時に、主である鍋島勝茂の命で埋忠妙寿に入門して鍛刀の技を学び、慶長三年に帰国。佐賀城下に住して藩の庇護の下、大いに栄えました。
元和十年、再度上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠廣と改め、同時に源姓から藤原姓に替え、寛永九年八月十五日歿したといわれています。
銘字は製作時期によって、五字忠銘、秀岸銘、住人銘、忠廣銘に分かれ、初期は五字忠銘と称され、「肥前國忠吉」の銘が殆どで、秀岸というのは僧侶らしく、この人の書く字を真似て切った癖のある切銘のことを言い、秀岸銘の後は「肥前国住人忠吉作」と切る住人忠吉銘となり、更に 晩年は武蔵大掾を受領し名を忠廣と改め、「武蔵大掾藤原忠廣」と切ります。

この脇指は元先の幅差開かず身幅広く、棟の庵の卸は急で豪壮な印象を与える体配。地鉄は小板目がよく練れて詰み、細かな地景が入って気持ち肌立ちごころ。刃文は匂口明るく冴え、高低差少ない直刃調の浅い湾れに互ノ目を交え、刃中には砂流を見せ、刃縁には小沸が豊かに見られ、鋩子は直ぐに先掃き掛けごころを見せて丸く返っています。
これまで経眼してきた肥前刀を思い返すと、上の出来はピカイチながら、茎が傷んだ物が多いように感じられます。これは素材としている鋼の都合によるものなのか判断しかねるところがありますが、一つの見所と言えるかと考えます。
古研ぎ身ですが鑑賞に一切支障はございません。手をかけること無くお楽しみ頂けますが、高名な初代忠吉且つ出来良い一刀故に、再研磨または化粧直しを施すことで、更なる鑑賞の楽しみを御堪能頂けますので、どうぞお気軽に御相談下さい。

裸身重量340グラム。

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