東京国立博物館所蔵の国宝『大般若長光』の写しである。
大般若長光は備前長光作の太刀で、室町期としては破格の代価といえる永楽銭で六百貫と評価されたことから、大般若経六百巻に因み、「大般若」の異名を得た。
元、室町将軍義輝所持で、小虎之太刀とも呼ばれていたが、義輝が永禄8年(1565)5月19日、松永久秀と三好三人衆に襲われて敗死した際、三好下野守政生入道謙斎(一説に三好長慶とも)の有に帰した。
後、織田信長の所持となったのは、信長の援助で京都に帰還した将軍義昭を、永禄12年(1569)正月、謙斎ら三好一族が攻撃し、かえって撃破された以後のことのはずである。
信長は元亀元年(1570)6月、姉川合戦の際、徳川家康の来援に謝して、大般若長光を家康に贈った。奥平信昌は父:貞能と共に、元亀元年(1570)6月、江州姉川の戦に徳川家康軍として参戦したが、やがて武田信玄側について、弟の仙丸を人質に出していた。信玄が天正元年(1573)4月急死すると、家康は7月、菅沼正貞の守る長篠城攻撃を始めるとともに、旧臣である奥平信昌と、14歳の長女:亀姫との婚約を条件にして家康方に寝返らせた。弟の仙丸は磔刑になるという悲運に泣いたが、信昌は長篠城主に抜擢されるという好運に恵まれた。
家康は長篠合戦における奥平信昌の長篠城固守の功を賞して、元亀4年(1576)7月、自らの娘の亀姫を信昌に入輿させると共に、遠江(愛知県)の領地の加増、及び大般若長光を信昌に与え奥平家の礎ができた。
大般若長光は、上野国吉井(群馬県多野郡吉井町)、二十万石の藩主:菅沼定利の養子となった信昌の三男:奥平摂津守忠政が継承し、その嫡子:奥平飛騨守忠隆に伝わっていたが、忠隆が25歳で早世し、その子:右宗も4歳で幼死したので菅沼家は断絶した。そのため大般若長光は、忠政の弟:松平下総守忠明が譲り受けることになった。忠明の母は家康の長女でもあるので、家康の養子となり松平の姓を与えられ、晩年には十八万石、播州姫路(兵庫県)の藩主となり、その子孫は武州忍(埼玉県行田市)藩主として明治を迎えた。
その後、大般若長光は大正初年同家を出て、山下汽船の山下亀三郎の手に渡り、大正12年の関東大震災で蔵が倒壊して下敷きになり曲がってしまったが、研師:吉川恒次郎の手によって直された。
大正13年3月、山下家売立の際出品され、一万二千円まで値がついたが親引きとなり、後、伊東巳代治伯爵の手に移り、昭和6年12月14日に重要文化財(旧国宝)に指定された。
伊東伯爵の死後、1939年(昭和14年)に旧帝室博物館(現東京国立博物館)に買い上げられることとなり、その際に提示された買上価格である6万円は話題となった。1941年(昭和16年)、遺族からに正式に帝室博物館に譲渡され、戦後も引き続き東京国立博物館で所蔵されている。1951年(昭和26年)6月9日に文化財保護法に基づく国宝(新国宝)に指定され、現在は国有で東京国立博物館が蔵する。
長船長光は、鎌倉時代の刀工としては比較的に多作であり、数多くの名刀を世に生みだしている。長光の名作中にあっても「大般若長光」と「津田遠江長光」はその筆頭であり双璧と並び称されている。二振ともさながら父:光忠に見紛う堂々たる風格を表し、華やかな丁子主調の乱れが見事であって甲乙つけ難いが、「津田遠江長光」が無類の健全さを持しているものの磨上げられて本来の踏張りのある太刀姿がやや失われているのに対し、「大般若長光」は生ぶ茎で猪首切先の雄渾な太刀姿を保って貫禄十分といわれている。
国宝に指定される刀剣の総数は122振にのぼり、相州正宗が最も多く9振となり、それに次いで長船長光が6振を数えるが、国宝に指定される6振の中でも「大般若長光」「津田遠江長光」「三所権現長光」「谷干城遺愛」の4振が長船長光の代表作であり、「四大長光」「長光四名作」として広く知られている。
(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)
大般若長光の本歌は、刃長73.6センチメートル。反り3.0センチメートル。造り込みは鎬造、庵棟。刀姿は腰反り高く、切先は中切先詰まり猪首となる。地鉄は小板目肌が詰み、地沸細かについて乱映りが立ち、刃文は高低のある丁子乱を主体に大丁子、互の目交じり、足・葉よく入り、ところどころ金筋入り、総体に匂口冴える。帽子は乱れ込んで先は小丸に返る。彫物は表裏に棒樋を丸止めとする。茎は生ぶで、先を僅かに切る。鑢目は勝手下り。目釘孔2つ。佩表に「長光」二字銘がある。
この太刀は、古刀再現第一人者である現代の名工、藤安将平による大般若長光写しの作品。姿や法量を本歌に似せ、掲載写真では肌立って見えるも、肉眼で見るに、地鉄は小板目よく練れて詰み、地沸細かに付いて淡く映り立ち、刃文は匂口明るく冴えた高低ある丁子乱れを主体に、大丁字に互ノ目を交え、刃中には足や葉、金筋が入り、鋩子も本歌同様に乱れ込んで先小丸に返っている。
現代刀匠の多くが、土取りに於いて押形からデッサン方式で刃文構成を人工的に焼くのに対し、将平刀匠は地鉄の練り方、そして自然な土置きによって、自らの技術と炎と水によって大般若長光らしい刃文を焼き上げている。故に刃取り構成を本歌と同じ形状に拘る方の眼から見れば写しとして物足りなさを感じるかもしれませんが、刀剣趣味玄人の方の眼からすれば、大般若長光の影打の太刀か?と識者を唸らせる出来口です。
将平の作品には必ずと言って良い程鍛錬疵が現れますが、本作は殆ど鍛錬疵が無いと言って過言ではない力作!!
当店の写真撮影技術では、本太刀の出来の良さを存分に表現しきれないので、是非とも現物を手にとり、その出来、再現の高さをまじまじと実感頂きたい優品です。
裸身重量700グラム。
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