京都建勲神社船岡大祭での奉納演武

昨日19日、京都にある建勲神社の船岡大祭にて修心流居合術兵法の奉納演武をさせていただきました。

打太刀を務める門弟が渋滞のため30分遅れたり、準備していた畳表を車に積み忘れてしまうなど、色々とアクシデントもありまして、一時はどうなることかと心配しましたが、無事奉納することができたことは何よりでした。

 

奉納演武には遠路より佐藤様御家族や門弟達、そして福島から藤安将平刀匠がお越し下さり、初の建勲神社での奉納演武御指名をお祝いくださいました。ありがとうございます。

 

肝心の演武に関しては、足場が悪い上に、苔に足をとられそうになったりと、板の間や畳の上での演武とはまた違うワイルドな経験を積むことができました。

信長公に対する奉納でしたので、舞台を挟んで後方の参拝者の皆様には、演武が見づらかったかもしれません。

 

来年は私が中心となり、古式砲術の演武を奉納させていただく予定ですので、皆様来年も是非おいで下さい。

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建勲神社鉄砲隊創設創案

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本日、10月19日に開催される船岡大祭での居合奉納の打ち合わせのため、京都建勲神社を訪ねました。
同神社松原宮司様と打ち合わせを済ませたあと、今後も古式砲術演武を続けたいと御相談頂き、不詳ながら私が先頭に立ち、これまで通り建勲神社での古式砲術演武を奉納させていただくべく、音頭をとらせていただくことになりました。

私が所属しているATJ古式砲術流儀保存会は、小谷野隊長が亡くなられた後、経験豊かな隊員が隊を引率されていましたが、皆さんご高齢になられたこともあり、隊としての活動は休眠状態にあります。

建勲神社は織田信長公を御祀りする神社だけに、信長公の印象として強い古式砲術の演武は人気が高く、建勲神社様としては毎年でも砲術演武奉納を行いたい意向です。
そこで、隊員の若返りも計り、新たに建勲神社鉄砲隊を組織したいと思い立ちました。

これまでは各々が様々な甲冑を身に纏っての演武でしたが、新たに隊を結成するにあたっては、皆揃いの鉄砲足軽具足で揃え、勇壮なる織田の鉄砲隊を再現したく存じます。
また、全装備全て個人負担であった鉄砲隊ですが、有志の方が参加しやすいように、具足の購入費や使用する火縄銃等の備品は、後援者を募って鉄砲隊で購入管理し、なるべく自己負担が少なく済むようにと考えております。

火薬と実銃を使用する演武だけに、コスプレや遊び感覚で参加される方はご遠慮願いますが、共に建勲神社の船岡大祭を盛り上げ、古式砲術の伝統や文化を正しく後世に伝え残したいとお考え下さる方がおられましたら、是非ともお声がけ下さい。
新たに組織するからには、本格的な鉄砲隊を作りたいと考えております。※眼鏡やゴム底の地下足袋等の使用を不可とし、当時のいでたちをそのまま再現したいです。

また、上述のように、活動資金を援助下さり、鉄砲隊を影ながら支えて下さる有志の方が居られましたら是非とも宜しくお願い致します。

恐れ入りますが、一人でも多くの有志を募れるよう、このブログ記事の拡散に御協力ください。宜しくお願い致します。

アートアクアリウム スペシャルイベント:「サムライナイト」

28日、東京の日本橋にて

アートアクアリウム スペシャルイベント:「サムライナイト」

が開催され、スペシャルゲストとして私も演武させていただきました。

27日に東京入りする都合上、仮標として使用する畳表は26日の日中に兵庫から発送。
運送途中で水が洩れ、他の荷物に影響が出てはいけないということから、炎天下での畳表水切り作業、暑い時期ということもあり、本番までに畳表の湿り気が足りなくなるのではないかと危惧していたのですが、やはりいつもより乾いており、非常に斬りづらい仮標での演武となりました。

加えて愛刀将平の反りが、度重なる剛速球斬りのために変わってしまっており、全体的に反りが深く、更には物打から先に反りが加わってしまったこともあり、斬撃時、いつもより切先が遅れてしまう現象のにより、更に演武条件は不利な状況にありました。

ガッチリ巻かれた上に渇き気味となった畳表は、試斬台の芯に刺さらず非常に不安定。
こうなると、もう、失敗を恐れた演武とならざるをえません。

案の定一回目の演武では安定しない畳表のため、返し業を敬遠せざるをえず、また、なんとか返し業ができそうな試斬台への刺さり具合状態の畳表を相手に、返し業をするも綺麗には決まらず、心残りたくさんの演武となりました。

二回目の演武で控え室裏で反りに併せた手の内に変更し、畳表の硬さを踏まえて振り方を改善。
その甲斐あって二回目の演武では返し業を悉く決めるも、苦手な右から左への斬上時、畳表の硬さに気をとられ、思わず余計な力が入り、こともあろうか斬り損じを披露してしまうことに…
完璧な演武をこなすことができず、非常に悔しい演武となりましたが、また一つ、二つと学ばせて頂きました。

愛刀将平は藤安刀匠の元へ送り、反りを伏せ、元の姿に直して頂くことにしました。

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控え室にて

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乾燥気味の硬い畳表。芯に最後まで刺さっていない状態からも、その硬さがご想像いただけるはず。また、反りが深くなりすぎたために手元より切先が遅れ、振り遅れ状態になっていることもこの一枚の写真から判ります。

アートアクアリウム スペシャルイベント サムライナイト
計二回の演武を終え、アートアクアリウムの木村様と共に演武した仲間と。

そんな不満な結果の演武とはなりましたが、演武をご覧下さった観客の方には評判が良かったようで、昨夜遅く帰宅し、先ほどPCを立ち上げましたところ、とても嬉しいメールが届いておりました。
大変嬉しく拝読させていただきました。以下に御紹介させていただきます。

メールのタイトル:生きる力をいただきました

本分:昨夜、三越前の演武を見学をさせていただきました者です。
町井先生がご登場される際、まるで仁王像が動き出したかのような気圧を感じました。
目の前で、拝見させていただき、大変眼福にあずかりました。
演武終了後、片付けをされるスタッフの方にお願いして、畳表の一部を戴きました。
スタッフの方が「途中で置いてかないでね」とおっしゃいましたが、とんでもない!
あの町井先生が藤安将平作で斬ったものです。我が家の宝とさせていただきます。
ありがとうございます。

嬉しいメール本当にありがとうございました。

京都建勲神社船岡大祭にて修心流居合術兵法公開奉納演武が行われます

船岡大祭奉納公開演武

建勲神社

建勲神社は、明治2年(1869)、明治天皇の御下命により創建された織田信長公をお祀りする神社です。
明治8年(1875)に別格官幣社に列せられ、京都の船岡山に社地を賜りました。明治13年(1880)、新たに社殿を造営し、御嫡子織田信忠卿を配祀し、明治43年(1910)に山麓から山頂へ社殿を移建し現在に至っています。
船岡山は玄武の小山として平安京造営の際に北の基点になったとされる小高い丘で、緑豊かな建勲神社の境内からは比叡山や大文字山(如意ヶ嶽)など東山三十六峰の眺望も楽しめます。
正式には「たけいさおじんじゃ」といいますが、一般には「けんくんじんじゃ」「けんくんさん」として親しまれています。

船岡大祭 10月19日 11:00~
ご祭神信長公の偉大な功勲を後世に伝えようと永禄11年(1568)の信長公上洛の日を祭日として、ご鎮座当初より盛大に行われている御祭で、地元の西陣各学区を始め各地よりの崇敬者で賑わう。毎年、仕舞『敦盛』や舞楽が奉納されるほか、年によって宝物展示や火縄銃演武の奉納などが行われる。

本日建勲神社様より10月19日に開催される船岡大祭での演武奉納を拝命いたしました。
信長公の御前にて日頃の稽古の賜物を披露させていただきます。
皆様、当日は水曜日と平日ではございますが、是非お足をお運び頂き、修心流居合術兵法の演武をご覧下さい。

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