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相州住助廣 – Soshu ju Sukehiro –


相州住助廣
– Soshu ju Sukehiro –
 
相州住助廣の初代は相州吉廣門人で、南北朝後期の康暦頃、二代は應永頃、三代は文安頃、四代は文明から明応頃、五代は廣正の子で永正頃と伝えられます。しかしながら経眼する作品は四代あるいは五代のみ。現存する作品数も少ないため希少です。
 
この刀は元先の差が開き、切先延びた豪壮な造り込みで、茎はいかにも相州物らしい舟形。地鉄は小板目がよく練れて詰み、地沸付いて少しく肌立ち精美。刃文は沸本位で湾れ調子に互ノ目を焼き上げ、刃中には砂流や金筋が入り、飛焼風や打除風、湯走風の刃が交じり、鋩子は直ぐに丸く返っており、末相州らしい賑やかな出来口を誇っています。
 
経眼する作品が少なく無鑑のため、代別や銘の真贋については判りかねますが、仮に銘がダメであっても、美術鑑賞刀としての力は強く、ご所持頂くに恥じない出来栄えの良刀です。
 
裸身重量746グラム。
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

伯耆守藤(以下切)(藤原信高) – Hoki no kami (Cutoff below) (Fujiwara Nobutaka) –

伯耆守藤(以下切)(藤原信高) – Hoki no kami (Cutoff below) (Fujiwara Nobutaka) –
 
尾張に於いて高名な伯耆守信高は美濃三阿弥系の刀工で、慶長15年に尾張へ移住して以来、尾張徳川家の藩工として代々仕え幕末まで繁栄しました。
本工信高をはじめ、兼常や氏房など、美濃から尾張へ移住してきた美濃鍛冶を尾張関と称し、信高はその総代を務めています。
 
この刀は磨り上げられた際に藤より下が失われていることもあり、また、歴代の信高はいずれも銘振りが酷似していることから詳細なる代別は難しい。しかしながら反り浅めの体配から察するに、二代か三代辺りかと思われます。
磨上られても尚、元先の差が開き、中切先に結んだ所謂寛文新刀体配で、地鉄は杢目肌よく練れて詰み、刃方棟方柾となった美濃伝鍛え。刃文は匂口締った直刃で物打辺りからは微細に小湾れごころを交え、所々にやや大粒の沸が絡み、鼠足盛んに入る箇所が在り、一見単調な直刃に見えるも、仔細に見ると細やかな刃縁の変化が看守され、鋩子は直ぐに丸く返っています。
 
裸身重量734グラム。
 
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陸軍九八式軍刀拵(鉄鞘) – Type 98 Japanese Army koshirae (Iron saya)-


陸軍九八式軍刀拵(鉄鞘)
– Type 98 Japanese Army koshirae (Iron saya)-
 
継木の刃長67.4センチ。
石突金具と兜金(頭金具)の摩耗具合を見るに、外地に於いても相当働いてきた様子が覗えます。我が国のために命を賭して下さった本軍刀拵の持ち主であった英霊に敬意を評し、50,000円(税別)の上柄巻きを施しました。
石突が摩耗した軍刀拵の柄巻きに高い工作費をかけてどうするんだと言う声もあるやもしれませんが、当店は軍刀類にかける想いが特別です。
柄巻き見本としても独り歩きできる名柄巻きを施した歴史漂う陸軍刀拵。心ある方にお譲りできれば幸いに存じます。
 
 
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無銘 – Mumei - ~お求めやすい低価格で御案内~


無銘
– Mumei –
 
庵棟低く、元先の差が開いた鋭い造り込み。地鉄は小板目杢交じり、指裏には流れ肌が見られる。刃文は匂口明るく冴えた互ノ目乱れで、互ノ目を2つ乃至3つ一組に焼き上げている。帽子は乱れこんで先小丸に返りは気持ち長めとなる。
刀身の一部に鞘擦れによる横ヒケが見られますが、鑑賞には支障ございません。これから刀剣趣味を始められる方や、お守り刀としての短刀をお探しの方に、お求めやすい低価格でご案内致します。
 
裸身重量130グラム。
 
 
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藤原真景 – Fujiwara Sanekage - ~鑑刀日々抄・草薙廼舎押形所載品~


藤原真景
– Fujiwara Sanekage –
 
平造、尋常の短刀で、藤原真景と四字銘がある。真景は越中則重の門人で後に加州に移住しており、他には貞治の年紀のある短刀が現存し、それ等は皆細鏨に銘している。
この短刀はその二代と鑑せられ、初代につぐ上手である。二代在銘の作も極めて少ない。
重要刀剣図譜より。
 
この短刀は頗る健全で板目杢交じりの肌よく練れて黒味を帯び、大肌混じって地景入って肌立ち、刃文は匂口明るく、湾れ調に間延びした大互ノ目を焼き、刃中には砂流や金筋が随所に現れ、刃縁は優しく沸に包まれたと言う表現が相応しく、鋩子は乱れ込み、返りは小さく互ノ目を3つ程交えながら長めに返り、茎は黒くしっとりと、潤いを感じさせ、そこに堂々と大振りの四字銘が力強く切られており、まさに茎千両との言葉に相応しい。棟は庵棟。
本間薫山先生直筆の鞘書も見事であり、『鑑刀日々抄』及び『草薙迺舎押形』にも本刀は所載される程の名品です。
重要刀剣指定書及び重要刀剣図譜には、天光堂光國による一作金具の小さ刀拵が附属していた旨が記載されていますが、どのような経緯があったのか、残念ながら現在は逸散しているものの、附(つけたり)と表記ある重要刀剣指定はあくまで刀身に対しての指定であり、拵の逸散や損壊による亡失にはなんら影響はございません。
※日本美術刀剣保存協会確認済
 
尚、はばきは上貝が金無垢で9.9グラムあり、上貝だけでも53,000円を超える価値があります。はばきにもこれだけ贅を尽くせると言えば、言わずとも某大名家旧蔵品であったことは疑う余地もありません。
※2021.5.26現在の金相場で18金として算出しています。
 
はばき家宝として所持するに相応しい名品をお探しの方、現存数少ないうぶ茎在銘の名短刀を、是非この機会にご入手下さい。
 
裸身重量179グラム。
 
 
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無銘 – Mumei - ~手持ちバランス良い一刀~


無銘
– Mumei –
 
元先の差程好く開き、腰元より上から反り始め、切先延びごころ。地鉄詰んで無地風となり、匂口明るく冴えた湾れ調子の互ノ目乱れを焼き、処々に尖りごころで匂口締まった刃を交え、刃中には小足や刃先に迫らんとする太い足が入り、鋩子は横手で緩やかな互ノ目を一つ焼き込み、直ぐに先大丸に短く返る。
 
附属の拵は指裏の鮫皮が縮み、目釘孔がずれている状態ですが、目釘の脱着には支障無く、鞘の鯉口から栗形辺りまでの刃方に塗りの剥離が見られるも、鞘割れは見られません。気になられる方はお気軽に塗り直しをご用命下さい。柄にがたつき無し。手持ち手元重心でバランス良く、居合等の武用刀としての使い勝手も良さそうな一刀です。鐔鳴りはしますので責金をされると良いでしょう。
※製作年代を江戸末期と表記しておりますが、もう少し下がる可能性もございます。
参考上代 鞘塗り直し…16,500円  責金…11,000円 いずれも税込み。
 
裸身重量696グラム。  拵に納めて鞘を払った重量987グラム。
 
 
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豊州高田住藤原統行 – Hoshu Takada ju Muneyuki - ~新刀高田派の祖! 黒塗網巻変鞘も魅力的~


豊州高田住藤原統行
– Hoshu Takada ju Muneyuki –
 
豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、南北朝時代豊後高田(現在の大分市内で大分郡高田村)を中心として栄えた一派で、建武頃の筑前左文字の門人『友行』を始祖としています。
古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから藤原高田と汎称し、古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用されました。
戦国時代の同派は豊後国の大友宗隣のお抱え工となり、また九州各地の豪族達の需めに応じて美濃国の関鍛冶や備前国の長船鍛冶に匹敵する繁盛をしました。作風は備前・相州に私淑した物や、美濃伝風の三本杉尖り互の目、山城風の腰反り付いた姿の良い作に直刃を焼くなど広範囲で、直刃は刃中に針で突いた様なと形容される葉の働きが特徴的で、新刀期に入ると高田を中心として豊前小倉や豊後中津などで鞴を構えて鍛刀しています。
 
統行は新刀高田物を代表する刀工で俗名を中摩新五郎。戦国大名大友義統より一字を賜り統行と名乗り、新刀高田の祖と呼ばれ、業物としても知られる名工です。
 
この刀は二代辺りの作と鑑せられ、元先の差がさほど開かず、先幅広めで切先延びごころの力強い姿。地鉄はやや黒味を帯び、小板目が詰んで流れ肌が交じり、淡く映りごころがあり、刃文は匂口明るく、締まった直刃を基調に処々小湾れを交え、刃中には足や葉が頻りに入り、古調な雰囲気を漂わせ、帽子は直調に焼きたっぷりと丸く返っています。現状では特別貴重刀剣の認定を受けていますが、特別保存刀剣鑑定を受審する価値ある一刀です。
 
附属の拵はうぶの品ではありませんが、四分一磨地の一作金具で、殊更鞘の仕立てが面白く、網を掛けた上から漆で塗り固めて研ぎ出した蜂の巣模様が印象的。現在このような特注鞘を誂えようと思えば相当な費用が必要でしょう。雰囲気良く拵だけでも独り歩きできる逸品です。柄にガタツキは無くしっかりとしています。
※鐔鳴りが気になる方は責金をなさってください。
 
裸身重量704グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,037グラム。
 
 
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伯州住秀春 慶應三二月 – Hakushu ju Hideharu - ~研磨工作前だからこの価格~


伯州住秀春 慶應三二月
– Hakushu ju Hideharu –
 
伯耆國八橋の刀工である伯州秀春は、本名を藤本和一郎と言い、文政4年8月7日、藤本林蔵の長男として八橋村に生まれました。天保9年17歳の時に汗入郡(現西伯町)の野鍛冶貞島伸吉の所に8年間奉公し、単調な野鍛冶に飽きて刀工を志し、弘化3年25歳の時に江戸に出て、出羽國出身で大慶直胤の門人である山本嘉伝次秀直の弟子となりました。鍛刀修行すること5年、師匠の名前を一字貰い受け『秀春』と命名。彼は帰国の途中、伊勢の神戸山田新町にて3~4年鍛刀しました。『伊勢国山田新町住一雲斎秀春』と銘切られた作品があると伝えられおり、安政4年、郷里八橋村に帰り刀鍛冶を開業。壮年以後の作刀に『尚春』と切ると言われ、『秀春』『尚春』は同一刀工であり、長男は『尚家』と切りその後『直綱』と改名したとも伝えられています。
作風は備前伝をよくし、鍛えは小杢目良く詰み無地風となり、刃紋は、匂の締まった直刃が多く、互の目の乱れ丁子刃等もあります。
また、【秀春】は出来上がった刀を雨石の間に渡し、その上から大石を落として強度試験を行い、折れたり曲がったりするとまた打ち直し、満足できる作品にしか銘切りを行わなかったと言います。
慶応2年八橋城主(池田家の家老)津田元永がこのことを聞き、抱え工となるよう勧めるも聞き入れず、その為八橋から追放され赤崎町の別所尻夫婦岩付近に追放されました。赤貧の中にも作刀に精魂を傾け力作を作ったといい、秀春が鍛える刀は折れず、曲がらず、良く斬れたそうで、原材料には日野産の印賀鋼を用いたそうです。
秀春は明治22年3月1日、69歳にて没し、その墓は八橋の妙覚山法輪寺にあります。廃刀令後は和一と銘し親子仲良く刃物、農具等を作るも、こちらも切れ味が良く、和一鍛冶の刃物は評判が高かったと言います。
 
この刀は緻密に練られた小杢目肌が詰んで美しく、一見単調に見える直刃は、匂口が明るく冴え、刃縁には細かな金筋が多々見られ、刃中には葉や、葉が連続してあたかも雲棚引く様を見せる玄人好みの出来口を示した一刀。
区が送られ、中心尻が切られていることこそ惜しまれるものの、磨り上げても尚腰に帯びていたいと思わせる一刀だったのでしょう。特筆すべき疵欠点は無く、現状は擦れ傷多数で切先先端を欠いているも、帽子の焼も幅広くしっかりとあるので、再研磨後が非常に楽しみな逸品です。
 
銀切羽の新調並びに美術観賞用上研磨予定です。工作未着手の期間のみ表示価格でお譲り致します。工作後は大きく価格も変わりますので、低価格でお求め頂ける工作未着手の今の期間に是非お申し込み下さい。
 
裸身重量770グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,048グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

大磨上無銘の古刀 ~南北朝後期頃迄時代遡りそうな一刀~

大磨上無銘の古刀 ~南北朝後期頃迄時代遡りそうな一刀~
無銘
– Mumei –
 
磨り上げられたことにより、踏ん張りが消えた典型的な大磨上の姿。割と手先が器用な素人によって改正砥が当てられているため、詳細な地刃の出来は現段階では確認できないものの、下の方の地刃が確認できる箇所を見るに、地鉄は杢目で少しく肌立ち、刃文は古九州物等に見られるような匂口深く潤んだ小乱れ。帽子の焼も残っていますので、研ぎ上がりが期待できる古刀です。研磨前の今がチャンス!!
研磨代参考価格 上研磨231,000円(税込)
 
裸身重量610グラム。  拵に納めて鞘を払った重量855グラム。