河内守國助 – Kawachi no kami Kunisuke –


河内守國助
– Kawachi no kami Kunisuke –
 
元先の幅差開き、切先やや延びたスラリとした体配。地鉄は杢目で大杢目交じり、地景入って肌立つ。刃文は匂口明るく冴えた互ノ目を焼き上げ、概ね互ノ目を2つ一山に刃取り構成しており、刃中には金筋、稲妻、砂流が顕著に現れ、鋩子は直ぐ調に激しく掃き掛け丸く返る。
國助銘に関しては首肯できかねるため、無銘刀としてお求め下さい。銘消しご希望の方はお気軽に当店にご用命下さい。銘を消せば保存刀剣の鑑定が付きます。
手持ちバランスが非常に良く、片手操作も楽々とこなすことができる居合稽古にはうってつけの一刀です。
 
店主町井勲監修の下、銀牡丹祐乗はばきと簡易武用拵を新調致しました。柄と刀身との芯合わせ等妥協すること無く製作しておりますので、安心して居合等の武用刀としてお使い頂けます。写真には写っておりませんが、真新しい黒の下緒をおつけ致します。
※製作年代を江戸前期と表記しましたが、もう少し下がる可能性もございます。現状では錆等がございます。研磨ご希望の方、120,000円(税込)にて承りますのでお気軽にご用命下さい。
 
裸身重量702グラム。  拵に納めて鞘を払った重量929グラム。
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

土州住関田勝弘 天保十年二月日 – Doshu ju Sekita Katsuhiro –


土州住関田勝弘 天保十年二月日
– Doshu ju Sekita Katsuhiro –
 
勝廣は江戸後期に活躍した土佐山内家の御用鍛冶。筑前の鍛冶「左行秀」を土佐に招き、土佐定住と藩工への斡旋を行ったことで知られます。行秀も勝廣の鍛冶場を使用して作刀しており、勝廣の死後、その後を継ぎ行秀が土佐藩工となっています。本作は『天保の大飢饉』の時の作品で、この後の8月には土佐藩内に倹約令が出ました。食べるものが無く、大変な時代に作られた刀ですが、生きるために一生懸命鍛えたため、優れた作品も多く、「天保打ち」として全国的に高い評価を受けています。
勝廣の現存する有銘作は少なく、 知られる作品としては高知城歴史博物館に脇指が一口、小刀が数点のみ収蔵されているのみ。
 
この刀は刀身に比して茎が長く、茎にも反りが高く付き、元先の幅差が程好く開き、地鉄は小板目よく練れて詰み新々刀然としており、地沸付いて淡く映りごころ在り。刃文は中直刃基調に所々に湾れや節を交え、匂口はあ明るく冴えて締まるも刃方に向かって煙込み、表裏元の方には一際強い大粒の沸が付き、鋩子は表裏直ぐ調に弛みごころを見せ、丸く返っています。
現状、ヒケや擦れ傷がついており、研ぎ上がりに比べると些か見劣りするかもしれませんが、特筆すべき疵欠点無く、しかも現存数少ない作品ですので、資料的価値も高い一刀です。余力ある方は是非とも研磨、白鞘の諸工作を施し、美しい状態で次の時代に引き継いで頂きたく思います。
 
附属の陸軍九八式刀拵はアルミ鞘で、柄気に用いられている鮫皮はセルロイド製。通番号は全て2362で揃った完品です。長く職業軍人が用いていたため、金具の桜花葉の摩耗が見られます。鞘尻の石突金物の螺子が欠落していますが、当店にて修復可能ですのでお気軽にご相談下さい。柄糸にやや傷みが見られるので、柄糸巻き直しご希望の方もお気軽に当店にご用命下さい。
 
裸身重量544グラム。  拵に納めて鞘を払った重量924グラム。
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

新藤二郎源義國 享保三年二月日 – Shindo Jiro Minamoto Yoshikuni –


新藤二郎源義國 享保三年二月日
– Shindo Jiro Minamoto Yoshikuni –
 
江戸時代になって漸く藩政が落着きを見せてきた延宝頃、時の藩主南部重信は、諸職人を京都、甲府、江戸等から招聘して文化の高揚に尽力しました。南部藩で初めて刀匠を召抱えたのもこの時期で、新藤國義をもって嚆矢としています。
國義は京信國の流れをひく筑前福岡の信國吉貞の子、孫四郎吉助の次男として生まれ、江戸に出て鍛刀中、延宝の末年頃、藩主重信に見出され五十駄の俸禄で召し抱えられました。以後、幕末期の八代義國まで約二百年間に渡り新藤家は南部藩第一の刀匠の家柄として主導的役割を果たしました。
國義は天和元年(一六八一年)に居を盛岡に移し、下小路で鍛刀に従事。延宝頃と天和・貞享頃及び元禄十年頃とで銘の切り方に三種の違いが見られます。元禄十一年十二月一日に歿し法名は「剣山刃公信士」と言い、東顕寺に葬られ、以後、東顕寺は新藤一派の菩提寺として代々の刀匠が葬られています。
 
二代新藤義國は國義の長男で治郎兵衛を襲名しており、元禄十二年正月に家督をついでいます。宝永五年(1708年)二月二十八日の「御側諸職人御支配覚帳」に「一、五拾駄(弐拾駄御切米・三拾駄拾人御扶持)下小路 新藤治郎兵衛」とあるのが、二代義國のことであり、享保十五年(一七三〇年)六月二十日に歿しました。
法名は「夢相常説信士」言い、遺作は非常に少なく、銘は「新藤源義國」と切ります。六代、八代の義國も同じく「新藤源義國」と銘を切りますが、鏨の使い方にそれぞれ特色があります。
 
この刀は現存数少ない二代義國の豪壮なる一振で、身幅重ね共に一般的な同時代の刀に比して頑丈であり、元先の差が程好く開き、切先やや延びごころ。これだけ豪壮であればさぞ重いであろうと思われるが、手元重心で身幅と重ねの割に軽く感じられ、義國の技量の高さを感じます。庵は割と高く、鎬幅は狭い造り込みで、地鉄は小板目肌杢交じって柾流れ、よく練れて詰んで精美。刃文は匂口明るく冴えた互ノ目乱れに互ノ目丁字を交えて焼き上げており、刃縁を沸が包み込み、焼頭を縁取った様な独特の刃を見せ、乱れの谷には太い足が頻りに入り、微細なる砂流も刃中に看守される。鋩子は横手下で互ノ目を焼き込み、直ぐに先丸く尋常に返る。
古研ぎながら地刃の鑑賞には支障ございませんが、現存作品少なく、更には頗る出来が良い一刀だけに、余力ある方は是非とも上研磨を施して頂き、本刀の良さを更に引き出してお楽しみ頂きたく思います。
 
裸身重量943グラム。
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

鐔2点追加しました!

相州住助廣 – Soshu ju Sukehiro –


相州住助廣
– Soshu ju Sukehiro –
 
相州住助廣の初代は相州吉廣門人で、南北朝後期の康暦頃、二代は應永頃、三代は文安頃、四代は文明から明応頃、五代は廣正の子で永正頃と伝えられます。しかしながら経眼する作品は四代あるいは五代のみ。現存する作品数も少ないため希少です。
 
この刀は元先の差が開き、切先延びた豪壮な造り込みで、茎はいかにも相州物らしい舟形。地鉄は小板目がよく練れて詰み、地沸付いて少しく肌立ち精美。刃文は沸本位で湾れ調子に互ノ目を焼き上げ、刃中には砂流や金筋が入り、飛焼風や打除風、湯走風の刃が交じり、鋩子は直ぐに丸く返っており、末相州らしい賑やかな出来口を誇っています。
 
経眼する作品が少なく無鑑のため、代別や銘の真贋については判りかねますが、仮に銘がダメであっても、美術鑑賞刀としての力は強く、ご所持頂くに恥じない出来栄えの良刀です。
 
裸身重量746グラム。
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

伯耆守藤(以下切)(藤原信高) – Hoki no kami (Cutoff below) (Fujiwara Nobutaka) –

伯耆守藤(以下切)(藤原信高) – Hoki no kami (Cutoff below) (Fujiwara Nobutaka) –
 
尾張に於いて高名な伯耆守信高は美濃三阿弥系の刀工で、慶長15年に尾張へ移住して以来、尾張徳川家の藩工として代々仕え幕末まで繁栄しました。
本工信高をはじめ、兼常や氏房など、美濃から尾張へ移住してきた美濃鍛冶を尾張関と称し、信高はその総代を務めています。
 
この刀は磨り上げられた際に藤より下が失われていることもあり、また、歴代の信高はいずれも銘振りが酷似していることから詳細なる代別は難しい。しかしながら反り浅めの体配から察するに、二代か三代辺りかと思われます。
磨上られても尚、元先の差が開き、中切先に結んだ所謂寛文新刀体配で、地鉄は杢目肌よく練れて詰み、刃方棟方柾となった美濃伝鍛え。刃文は匂口締った直刃で物打辺りからは微細に小湾れごころを交え、所々にやや大粒の沸が絡み、鼠足盛んに入る箇所が在り、一見単調な直刃に見えるも、仔細に見ると細やかな刃縁の変化が看守され、鋩子は直ぐに丸く返っています。
 
裸身重量734グラム。
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

陸軍九八式軍刀拵(鉄鞘) – Type 98 Japanese Army koshirae (Iron saya)-


陸軍九八式軍刀拵(鉄鞘)
– Type 98 Japanese Army koshirae (Iron saya)-
 
継木の刃長67.4センチ。
石突金具と兜金(頭金具)の摩耗具合を見るに、外地に於いても相当働いてきた様子が覗えます。我が国のために命を賭して下さった本軍刀拵の持ち主であった英霊に敬意を評し、50,000円(税別)の上柄巻きを施しました。
石突が摩耗した軍刀拵の柄巻きに高い工作費をかけてどうするんだと言う声もあるやもしれませんが、当店は軍刀類にかける想いが特別です。
柄巻き見本としても独り歩きできる名柄巻きを施した歴史漂う陸軍刀拵。心ある方にお譲りできれば幸いに存じます。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘 – Mumei - ~お求めやすい低価格で御案内~


無銘
– Mumei –
 
庵棟低く、元先の差が開いた鋭い造り込み。地鉄は小板目杢交じり、指裏には流れ肌が見られる。刃文は匂口明るく冴えた互ノ目乱れで、互ノ目を2つ乃至3つ一組に焼き上げている。帽子は乱れこんで先小丸に返りは気持ち長めとなる。
刀身の一部に鞘擦れによる横ヒケが見られますが、鑑賞には支障ございません。これから刀剣趣味を始められる方や、お守り刀としての短刀をお探しの方に、お求めやすい低価格でご案内致します。
 
裸身重量130グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

藤原真景 – Fujiwara Sanekage - ~鑑刀日々抄・草薙廼舎押形所載品~


藤原真景
– Fujiwara Sanekage –
 
平造、尋常の短刀で、藤原真景と四字銘がある。真景は越中則重の門人で後に加州に移住しており、他には貞治の年紀のある短刀が現存し、それ等は皆細鏨に銘している。
この短刀はその二代と鑑せられ、初代につぐ上手である。二代在銘の作も極めて少ない。
重要刀剣図譜より。
 
この短刀は頗る健全で板目杢交じりの肌よく練れて黒味を帯び、大肌混じって地景入って肌立ち、刃文は匂口明るく、湾れ調に間延びした大互ノ目を焼き、刃中には砂流や金筋が随所に現れ、刃縁は優しく沸に包まれたと言う表現が相応しく、鋩子は乱れ込み、返りは小さく互ノ目を3つ程交えながら長めに返り、茎は黒くしっとりと、潤いを感じさせ、そこに堂々と大振りの四字銘が力強く切られており、まさに茎千両との言葉に相応しい。棟は庵棟。
本間薫山先生直筆の鞘書も見事であり、『鑑刀日々抄』及び『草薙迺舎押形』にも本刀は所載される程の名品です。
重要刀剣指定書及び重要刀剣図譜には、天光堂光國による一作金具の小さ刀拵が附属していた旨が記載されていますが、どのような経緯があったのか、残念ながら現在は逸散しているものの、附(つけたり)と表記ある重要刀剣指定はあくまで刀身に対しての指定であり、拵の逸散や損壊による亡失にはなんら影響はございません。
※日本美術刀剣保存協会確認済
 
尚、はばきは上貝が金無垢で9.9グラムあり、上貝だけでも53,000円を超える価値があります。はばきにもこれだけ贅を尽くせると言えば、言わずとも某大名家旧蔵品であったことは疑う余地もありません。
※2021.5.26現在の金相場で18金として算出しています。
 
はばき家宝として所持するに相応しい名品をお探しの方、現存数少ないうぶ茎在銘の名短刀を、是非この機会にご入手下さい。
 
裸身重量179グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘 – Mumei - ~手持ちバランス良い一刀~


無銘
– Mumei –
 
元先の差程好く開き、腰元より上から反り始め、切先延びごころ。地鉄詰んで無地風となり、匂口明るく冴えた湾れ調子の互ノ目乱れを焼き、処々に尖りごころで匂口締まった刃を交え、刃中には小足や刃先に迫らんとする太い足が入り、鋩子は横手で緩やかな互ノ目を一つ焼き込み、直ぐに先大丸に短く返る。
 
附属の拵は指裏の鮫皮が縮み、目釘孔がずれている状態ですが、目釘の脱着には支障無く、鞘の鯉口から栗形辺りまでの刃方に塗りの剥離が見られるも、鞘割れは見られません。気になられる方はお気軽に塗り直しをご用命下さい。柄にがたつき無し。手持ち手元重心でバランス良く、居合等の武用刀としての使い勝手も良さそうな一刀です。鐔鳴りはしますので責金をされると良いでしょう。
※製作年代を江戸末期と表記しておりますが、もう少し下がる可能性もございます。
参考上代 鞘塗り直し…16,500円  責金…11,000円 いずれも税込み。
 
裸身重量696グラム。  拵に納めて鞘を払った重量987グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。