天心流兵法が発信する誤まった情報を真向から斬る! ~刀は地面に立てるものではない!! 4 ~

昨日より発信し続けている“刀を杖のように立てる所作”についてですが、その後新たなことに気付きました。

遊楽図

若い武士の花見の様子だとして紹介されているこの画に疑問を感じた私は、昨夜色々と調べてみました。

気になったのは以下の点です。

 

・同様の画題の他の画にも、ほぼ同ポーズで刀を杖にもたれかかるような人物が描写されていること。

・それらの人物は士分にしては衣装が派手であること。

 

天心流の主張

ここで紹介されている画の人物も、刀に身体をもたせかけていること、衣装が士分にしては派手で奇抜です。

そこでこれらの画の全体を見てみました。

彦根屏風

天心流が若い侍と紹介していた刀にもたれかかる人物…

士(さむらい)ではなく、かぶきおどりの役者であることが判明。

かぶき踊り

かぶき踊りは、出雲阿国(いずものおくに)が創始したといわれています。

かぶき踊り出雲阿国とされる刀を担ぐ人物。

 

かぶき踊り

こちらも刀を杖のようにしてもたれかかっています。

かぶき踊り

拡大した画像を見ると、唇に紅を塗っており、男装したかぶき踊り役者であることが判りますし、この画のように刀を杖にもたれかかるポーズは、かぶき踊り演目の一場面であることを窺い知ることができます。

天心流が発信したこれらの画に関する見解は完全に誤りであり、士分の者が、刀を杖のように立てることが当たり前の所作であったと言うのも大きな間違いであると断定できます。

また、刀を杖のように立てる所作について、天心流が発信した見解と情報は、“大小二刀を持っている=武士” との誤まった先入観によって、天心流が勝手に作り上げた虚構である証明と言えるでしょう。

 

また、昨日知人から大変有力な情報を頂きました。

つい最近、幕末の写真について解説するテレビ番組があったそうで、一枚の写真撮影に要する露出時間が2分程必要であったこと。改良されたカメラと撮影技法においても、20~30秒程露出時間が必要であったため、カメラマンは士に対し、身体のブレを抑えるべく、刀を杖のようにするポーズをとらせたのではないかと推測されるというもの。

 

更にこれに対して補足しますと、坂本龍馬の有名なこの一枚も…

もたれかかる坂本龍馬

気取って格好をつけるために台にもたれかかっているのではなく、ピンボケを防止するために台にもたれるようなポーズをとったのではないかと推測されるのだそうです。

 

刀を杖のように立てる所作は、士の時代には無かったと考えるのが妥当と結論付けて良いのではないでしょうか。

また、天心流兵法は江戸初期から伝わる流派で、様々な所作や作法が伝わっているとする割には、江戸時代には存在しなかったであろう所作を、江戸時代から存在したと主張している時点で大きな矛盾があり、江戸柳生を名乗るその伝系にも必然的に大きな疑問符をつけざるを得なくなります。

天心流兵法が発信する誤まった情報を真向から斬る! ~刀は地面に立てるものではない!! 3 ~

車のバンパーは、衝突の際に車本体や搭乗者を守るためにあります。

しかし、だからと言って無駄にバンパーを擦る人、当てる人は居ない。刀の鐺や石突金具も同じです。

現代人がバンパーを擦っただけで滅入るのと同じく、士達は鞘や鐺に傷がついたら滅入っていたはずです。

 

私が今から20年程前に、共に居合を修業していた友人とこのような会話をしたことがあります。

 

私「甲冑って高いやん? 新調した甲冑着て戦出てさぁ、相手に切り込まれたりして兜や鎧に傷がついたらどう思う?」

友人「そりゃぁ許されへんなぁ。弁償しろって思うし、弁償してもらえない戦の場やったら、絶対こいつ殺したる!って思うなぁ。」

 

人間なんてそんなものです。

 

秀吉が戦国時代までは単なる武器でしかなかった刀剣に、美術的な価値を認めさせた頃から、刀はただの刃物ではなくなりました。

士分の象徴であり、武士の魂にまで昇華したのです。

 

あなたが頑張って貯めたお金、もしくはローンを組んで最高級のベンツを買ったとしましょう。

バンパーは障害物に当っても車本体を守るためにある物だから…

バンパーは傷ついて当然のものだから…

そう言いながら笑ってバンパーを擦れますか?

 

刀も全く同じです。

今の時代の安価なカシュー塗とは違うのです。

本漆で鞘塗りを依頼したことがある人なら解るでしょう。

安いところに頼んでも、鞘塗りだけで10万円程が消えて行きます。

 

それだけのお金をかけた鞘に、自ら傷をつけるようなことをするでしょうか?

湯水のように使えるお金を持っている人は論外ですが、一般人の感覚ではできないものです。

 

重ねて言います。

刀も車のバンパーと同じです。

uS63 AMG longv

天心流兵法が発信する誤まった情報を真向から斬る! ~刀は地面に立てるものではない!! 2 ~

先のブログ記事を掲載した後、天心流兵法を名乗る団体が、いつものように後出しジャンケンの如く、言い訳記事をブログやツイッターで発信するであろうことは予測していました。

案の定必死になって刀を立てていたり、杖にしているような古画を引用して自分達の主張を正当化しようとしています。

天心流の主張

必死になってネット検索している姿が目に浮かびますが、その努力をもっと別の方向に使えば良いのにと思うばかりです。

間違いを認める勇気も必要。そうしなければ人は成長できません。

 

三枚掲げたうちの下二枚は、刀を杖のように立てているのではありません。更に補足しますと鐺を傷めぬ場であることが想像できます。

例えば二枚目の絵なら、店先の板の間もしくは畳の上でのこと。無論鐺は痛みにくい場所です。

三枚目は莚の上と推測され、こちらも刀を杖のようにしている画ではなく、周囲に第三者が詰めて居るため、刀を踏まれたり、跨がれたりしないように立てているだけの画です。

問題なのは一枚目の彦根屏風の一部分を抜粋したもの。

これは明らかに刀を杖のようにしてもたれかかっていますが、花見の酒宴の席を描いたものであることを忘れてはいけません。また、この人物のいでたちにも注目すべきであり、派手な服装からしてかぶき者と言われる小姓の可能性が考えられます。

解り易く言えば、中学校や高校の校則で定められた制服とは異なる変形学生服で登校するヤンキーです。

天心流が言い訳として発信した情報では、校則違反の変形学生服をまとった生徒のみを指して、「これがこの学校の制服です! 古画でも証明されています!」と言っているようなものだと思います。

もう一つ付け加えますと、抜粋された画だけを見ると、屋外で刀を杖にしているように見えますが、屏風の全景をご覧下さい。

彦根屏風

画では省略されているものの、これは屋外ではなく屋内を描いたものであることが履物を履いていないことからも解ります。

つまり、刀の鐺は痛みにくい場であり、ましてや酒宴の席でのことですから、サラリーマンが酔った勢いでネクタイを鉢巻のように頭に結んだ状態を描いたようなものではないでしょうか。

 

天心流兵法なる団体の言い分には矛盾が多々見られ、あくまで自分達が発した情報が正しいものだとしてごまかそうとしていますが、人に教える立場の人間は、間違いを繕うのではなく、間違いを間違いだと認め、是正すること、改善することこそ絶対的に必要なことだと私は考えます。

間違ったものであってもそのまま受け継ぐのが伝統だと天心流兵法の鍬海氏はネット上で書いていますが、そんな伝統ならさっさと消滅した方が後世のためではないでしょうか。

 

こんな格言もあります。

伝統とは革新の連続である

と…

 

情報と言うものは発信する側によって意図的に操作できるものであることを忘れないで下さい。

抜粋された写真や記事は、全景全文を目にするべきです。

さすれば自ずと真実と答えは見えてきます。

間違った情報、操作された情報に惑わされないで下さい。

 

真実を見抜く眼を養いましょう。