無銘(三原正信)

無銘(三原正信) ~特別保存刀剣鑑定書付き~

無銘(三原正信)- Mumei(Mihara Masanobu) –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/854/00.html

鎌倉初期から大和鍛冶が移住したと言われる備後では、隣地備前の影響を受けず大和伝が踏襲され、備後三原派の祖である正家も大和包永のような出来映えを見せています。三原派の中でも古三原に分類される三原正信は、南北朝期永徳(1381)から室町初期明徳(1390)に掛けて活躍しました。その正信の子は三原から鞆(とも)に移り、鞆三原の祖となっています。


本刀は小板目に杢交じり、流れごころを交えて少しく肌立ち、一見単調な直刃に見えるも、仔細に見ると所々で刃中まで沸えて微細な湾れを交え、刃肌に絡んで板目や杢目調に沸が絡み、時代が下がる三原物とは作風を異とした、刃中の働きが豊富に見られる古雅な出来口を示した作品で、二尺三寸を超える長寸であることも非常に好ましい逸品です。


現状では共柄の木はばきですので、はばきを新調し、仕上げ直しを施して重要刀剣審査に挑戦なさってみては如何でしょうか。お得な期間中に是非、本刀をコレクションにお加えください。


裸身重量600グラム。

無銘(古三原) ~鎌倉時代の名刀~

無銘(古三原) ~鎌倉時代の名刀~

無銘(古三原)- Mumei(Ko Mihara) –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/855/00.html

備後国三原派は鎌倉時代後期に興り、以後室町時代末期にかけて大いに繁栄しました。同派の作品は鎌倉時代後期より南北朝時代にかけてのものを古三原と称し、室町時代の作を末三原、または貝三原と称します。

備後国には東寺など、大和中央の社寺の荘園が多い事から、大和との交流があったものと考えられ、作風は大和気質が色濃く現れた柾交じりの地鉄に、直刃を焼いた大和伝の特色が顕著なもので、本国大和より地刃の沸が柔らかく、地鉄はやや白気立った映りが現れるとろが見所。また、備後国は備前・備中の両国に近く、良質の鉄を産出したことでも知られ、鉄味優れた作品が多く残されており、正家や正廣などが著名ですが、在銘作は少なく、最近の研究では鎌倉末期の国分寺助国を始祖とする説もあります。

この刀は、小板目杢交じりの地鉄が柾がかり、棒映りが判然と現れ、匂口締まりごころの直刃は匂口明るく、小さな打除風の刃を交え、刃中や刃縁は細かな変化に富み、広狭数種の金筋が現れ、時代が下がった末三原とは異なる古雅な出来口を誇る名品で、まさに伝家の宝刀とするに相応しい逸品です。

裸身重量647グラム。

肥前國忠吉 小 ~小サ刀拵入り~

肥前國忠吉 小 ~小サ刀拵入り~

肥前國忠吉 小

– Hizen no kuni Tadayoshi -http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/515/00.html

偽銘ですが鍛錬疵は無く、無銘の長脇指とお考え頂ければ、価格的にもお買い得な一刀です。銘を潰せば保存刀剣指定を受けることができる優刀です。小板目肌が良く練れて詰み、匂口明るく冴えた直刃を焼き上げ、刃縁に細かな働きを見せ、金筋や稲妻なども盛んに見られ、更には指表に切られた『小』の文字が意味深で、非常に興味深い作品です。


付属の拵は江戸期の古いものを、大東亜戦争に際して軍刀として持参するために吊鐶を取り付けています。鮫は漆にて黒塗りとし、柄糸には漆がかけられ、強固な実戦向け仕様となっており、切羽も拵製作当時のオリジナルのままで大変好ましく、居合・抜刀用として御所持されたい場合は、吊鐶を外して栗形を再び装着すれば、刃長短めの打刀としてお使い頂け、少年用、または片手斬り稽古用としてお薦めです。勿論観賞用としてもお楽しみ頂ける出来口です。現状でも特に問題はございませんが、本刀の地刃の冴えを存分に御堪能されたい場合は、再研磨をお薦め致します。お気軽に御用命下さい。

※小サ刀とは、殿中に於いて警備護衛を担当する士が、脇指ではなく、打刀として帯刀する長寸の脇指です。


裸身重量595グラム。  拵に納めて鞘を払った重量831グラム。

於江府出雲大掾正光 安政三年十二月日 ~広島浅野家御抱工~

於江府出雲大掾正光 安政三年十二月日

– Oite Koufu Izumodaijou Masamitsu –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/853/00.html


石橋正光は尾張国青木元長の弟子と伝えられ、享和2年(1802)に刀工正長の四男として山県郡高野村(現同郡北広島町)に生まれました。兵七、弘之進とも称し、三人の兄も刀工だったようですが、現存する作品が少なく、詳しい事は不明ですが、技量的には正光が最も秀でていたようで、数多くの優品が遺されています。文政12年(1829)5月に出雲大掾を受領。安政5年(1858)には扶持米取りとなり、広島藩浅野家の御用鍛冶となりました。元治元年(4864)10月には、背景に長州戦争が深く関与していると考えられますが、隣藩である浜田藩から200振もの注文を受け、息子の卯吉、弟子の宮太と共に、翌年7月には納品したと記録にあり、一年もかからず200振の刀を鍛え上げたその仕事の早さには驚嘆させられます。武士の世が終焉を迎え、文明開化の明治に入っても、正光は槌を振るい続け、確認されている最晩年作は明治8年(1875)で、正光この時75歳。翌年には廃刀令が布告され、日本刀を巡る環境の激変を見届けつつ、その3年後の明治12年(1879)に78歳の生涯を閉じました。


この刀は正光56歳時の作品で、身幅広く、重ね厚いごりっとしており、切先が延びて鋭さを感じさせるも、元先の差に開きがあって、どこか優しさと上品さをも感じさせます。杢目肌がよくねれて詰み、地景頻りに入って地沸厚く付き、匂口明るく冴えた小沸本位の直刃を焼き、二重刃風の刃や食い違い風の刃を交え、刃縁に荒沸が豊かに付き、それが地に零れ、更に厚い地沸を形成するなど、単調な直刃に見えるも見所多く、美術鑑賞刀として申し分ない覇気ある出来口で、正光の技量を余すことなく発揮した逸品です。正光の作品には直刃出来のものが多く、銘字は丁寧な楷書体で、本刀の銘からも、彼の几帳面さと実直さが感じられます。出来が良いだけに、与力有る方は更に良い研磨を施し、次世代へ大切に伝え遺して頂きたい名品です。
裸身重量816グラム。

近江守藤原継廣 越前住下坂 ~家宝として申し分ない美術刀剣~

近江守藤原継廣 越前住下坂 ~家宝として申し分ない美術刀剣~
近江守藤原継廣 越前住下坂
– Ouminokami Fujiwara Tsuguhiro Echizen ju Shimosaka –
 
越前国には、美濃関から移住してきた刀工が数多居り、これらを総称して越前関と呼びます。越前新刀はその優れた斬れ味と、実用刀としての優秀さから、旧幕時代以来重用されました。
その中でも康継は家康より中心に三つ葉葵紋を切ることを許された、越前新刀を代表する名工で、本刀はその三代康継の高弟で、利刀として名高く、業物としても知られます。
 
この刀は杢目が良く練れて詰んで肌立った地鉄に、大湾れを匂口明るく焼き上げた作品で、刃縁には地鉄に絡んだ繊細な働きが看取できます。
附属の拵は江戸時代後期頃の作で、保存状態抜群。千段刻みの鞘に、銀造りの一作の金具。画題は秋か初冬でしょうか。笹の落ち葉と、頭には雲間から顔を覗かせる月が巧みに彫られ、鐔は頭金具と鐺金具と同じく、四方を尖らせ、銀で覆輪をかけ、変わり形の小柄笄櫃穴を、表は銀、裏は素銅に埋め、昼夜仕上げとした粋な作品。切羽は四枚で、小切羽には赤銅を着せ、中切羽には菊座刻みを施し、丁寧に金鍍金仕上げがなされています。
 
刀身は既に特別保存刀剣鑑定書が交付されていますが、拵は未だ無鑑ですので、御購入されましたら是非とも特保同時審査にて拵にも鑑定書をお付け頂き、更に本刀の価値を高めてあげて下さい。切羽の一枚に至るまで、すり替えられることなく、当時のまま伝来していることで、美術価値的にも非常に評価が高い逸品です。
 
裸身重量651グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,022グラム。

お値段お手頃! 御守刀や女性の懐剣に最適な一口!!

お値段お手頃! 御守刀や女性の懐剣に最適な一口!!
(菊紋)源菊平
– Minamoto Kikuhira –
 
すっきりとした小振りな冠落造の短刀で、鍛錬疵は一切無く、小板目が良く練れて詰み、匂口明るく冴えた刃を焼きあげています。刃縁には細かな働きが看取され、御守刀としても、観賞用としても申し分ない一振です。
菊平銘に関しましては真贋保証はございません。
 
裸身重量87グラム。

保存刀剣鑑定書付きの末古刀が、たったの!!!!????

保存刀剣鑑定書付きの末古刀が、たったの!!!!????

無銘(末三原)
– Mumei(Suemihara) –
 
備後国三原派は、備前・備中の両国の近くにありながら、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しています。
従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、最近では鎌倉末期の国分寺助国を祖とするという説が有力となっています。
年代で大きく三つに区分し、南北朝より以前を古三原、室町初中期を三原、室町末期を末三原と呼称し、古い時代から評価が高く、現在でも国の指定である重要文化財や重要美術品などに多くの作刀が指定されるなど、斯界で高く評価されています。
貝三原派は、末三原の中で名前に貝を冠した一派の事で、何故貝三原というのかには諸説有り、現在有力な説としては備後国御調郡高調町貝ヶ原という地名に因むという説と銘に「備後國三原住貝○○」と銘に切る事に因むという説の二説が有力で、また、一派の作の中には重要刀剣に指定されている物もあり、作風から見ても技量高き刀工群です。
 
この脇指は、室町後期に流行した長巻き直し風の造り込みで、小板目や杢目に柾がかかり、単調な直刃の作品が数多く見られる同派にしては珍しく、刃中や刃縁に盛んな働きが見られる作品で、細やかな金筋が長く刃縁に現れています。
 
裸身重量306グラム。

お詫びと訂正 ~刀心WEBサイト掲載刀の重ね計測ミス表記~

美術刀剣 刀心WEBサイト掲載刀の中で、一部、元重ねや先重ねの計測が間違っており、貧弱な研ぎ減った刀剣のように誤解を招くご紹介がなされていた刀剣がございました。申し訳ございません。

重ねとは、本来は鎬高さで計測するものだと刀心では考えており、掲載刀は全て鎬で計測しておりますが、数点、間違えて棟の幅で計測されているものがありました。

しっかりと重ねがある刀剣なのに、例えば鎬が高い造り込みの場合、棟の幅を計測してそれを重ねだと表記してしまいますと、元重ね7ミリあるものも、2.5ミリや3ミリと言ったペランペランのものと誤解されてしまいます。

私が早く気付いたのでまだましですが、これに気付かず、今後もスタッフが間違った計測をして掲載し続けていたらと考えると、冷や汗どころではすみません。

先程修正完了致しましたが、疑わしい品々を再計測するだけでも相当な苦労でした。

上記のような記載ミスがございましたので、もし、皆様の中で、ご興味を持って頂きました美術刀剣 刀心WEBサイト掲載刀を、元重ねや先重ねの誤表記をもとに、研ぎ減りが激しいからと諦められた方が居られましたら、どうぞもう一度再計測致しました寸法を御確認の上、御購入を御検討頂ければと思います。

どうぞ宜しくお願い致します。

 

重ねに関する計測ミスが確認された刀剣は以下の通りです。

脇指505 無銘
脇指513 二王
刀842 無銘(冬廣)
刀843 無銘(弥門直勝)
刀851 信國

九八式陸軍刀拵 ~青貝散塗鞘の特注品~

九八式陸軍刀拵 ~青貝散塗鞘の特注品~
信國
– Nobukuni –
 
板目肌肌立ち、細直刃のすぐ上に沸の強い映りが二重刃のように現れた奇異な作品で、昭和26年5月の北海道大名登録刀です。
家伝の刀を軍刀に誂えた物で、余程の上級士族の持ち物だったのでしょう。非常に珍しい青貝散し塗りの特注拵に納められており、大切羽や小切羽も特注で手造りさせたもので、大切羽には他の軍刀には見られない刻み鑢が縁に見られ、小切羽は銀無垢。目釘は象牙で造られています。
元は第二佩鐶が附属した九四式初期型ですが、現在は第二佩鐶が失われており、それだけがとても惜しまれます。
 
※信國銘に関しては真贋保証ございません。珍しい初期型特注軍刀入りの無銘古刀としてお求めください。
 
裸身重量589グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,019グラム。

若瀬式海軍太刀型軍刀拵入りの大磨上古刀

若瀬式海軍太刀型軍刀拵入りの大磨上古刀
無銘
– Mumei –
 
杢目に柾交じりの地鉄に、沸本位の大振りな互ノ目丁子乱れを焼いた作品。刃中まで沸が強い作品は、刃文の写真撮影が難しく、掲載写真ではぼぉっとした不出来の刀に見えるかも知れませんが、実物は迫力に満ち、焼刃も明るくしっかりとしております。
樋先が小鎬に近く、中心先も伏せられている点から、製作年代はかなり上りそうな一刀で、趣ある三ツ棟が時代の古さを感じさせます。
 
附属の海軍太刀型軍刀拵は、特殊形状の石突金具が添えられた、若瀬式の逸品で、金具の黄金色も劣化少なく、製作当時の姿をとどめています。
内外共に価値ある一刀で、現在、保存刀剣審査受審中です。販売価格は現状では応相談。日本美術刀剣保存協会による極めが定まり次第、販売価格を掲示する予定です。
 
 
裸身重量525グラム。  拵に納めて鞘を払った重量955グラム。