鐔に見る匠の技と美意識

松に鶴図透鐔
松に鶴と言えばわが国では縁起の良い図柄として知られています。繊細な鏨使いは見事で、透かしの構図も抜群。この鐔を拵に掛け、祝いの席に赴く士の姿が思い浮かびます。

続いては家紋を画題とした鐔のご紹介です。
丸に揚羽蝶紋透鐔
しっとりと潤いある鉄に揚羽蝶紋が透かし彫りされています。我が家の家紋は一番古い時代には揚羽蝶を用い、続いて丸に片喰紋、丸に剣片喰紋を用いてきました。私は好んで揚羽蝶紋を用いていますが、この鐔は妻に商品の仕入れと言いつつ、実は自分の刀の拵に掛けたいと言う思いから手に入れたものです(笑

丸に抱き茗荷紋透鐔
一見鉄地かと思いきや、素銅もしくは山銅製です。丸に抱き茗荷紋を透かし彫りにした鐔ですが、切羽台が他の鐔に比べるとかなり小さい。茗荷紋も常に見る一般的なものに比べると上部の形が異なるので、少し特殊な抱き茗荷紋と言えます。

こうした家紋を画題とした刀装具は、格式高い士が己の家格を誇示せんとして用いたのかもしれません。
私もいつか揚羽蝶紋をふんだんに散らした豪華な拵を自分のために造りたいと願ってやみません。

則光 ~拵新調済み~

則光
則光
– Norimitsu –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/721/00.html

戦乱の世に鍛えられた所謂数打物と呼ばれる刀剣は、実用に支障がない鍛錬疵は問題無しとして納品されたと言います。
この刀もそういった戦乱期に鍛えられた実用目的の一振で、埋鉄や小疵が点在し、鎬地には撓えが多数見られ、杢目柾流れの地鉄は肌立って一部淡く映りごころもあり、刃文は砂流顕著にかかった互ノ目乱れを焼いています。

付属の拵は店主 町井勲監修の下新調しました武用拵で、気が利いた現代金具を用いるも、お求め易い低価格を実現すべく、鮫は親粒がない歯切れを短冊に張り既製品の鞘を転用するなどしてコスト削減に成功しました。
素銅切羽は既製品ではなく、職方による真面目な手造りの品で、手頃な価格がらも、目立たぬ箇所でしっかりと職人の技を活かしたものになっています。
※末備前は自身銘の他様々な銘切師によって銘切られていたため、本刀則光銘に関しては真贋保証はございません。

裸身重量750グラム。  拵に納めて鞘を払った重量979グラム。

無銘 ~乱れまくりの覇気溢れる一刀 町井勲監修による研磨・拵新調済み~

無銘 ~乱れまくりの覇気溢れる一刀 町井勲監修による研磨・拵新調済み~
無銘
– Mumei –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/720/00.html

反り程よい上品な姿。小板目肌柾流れの肌立った地鉄に、互ノ目や互ノ目丁子が暴れに暴れ、大きな飛焼を随所に配して皆焼風となり、砂流や金筋顕著に現れた作品。
その独特なる暴れた刃文故に、古くは相州貞宗として伝来してきた一刀で、兵庫県下の旧家よりまとめて刀剣類を買い受けた際には『相模國鎌倉住貞宗作』と銘が入っていました。出来が面白い作品なので、保存刀剣審査等で本来の流派・作者に極められるよう、当店にて銘を消して無銘に致しました。

古い白鞘に納まり、薄錆に包まれていた本刀を、美術鑑賞用の差し込み研磨を施し、銀はばきと拵を店主 町井勲監修の下で新調致。
拵下地は本刀のためだけに職方が丹精込めて造り上げたもので、廉価な既製品合わせ鞘の代用ではありません。金具はデザイン性の良い波金具の三所を用い、波(水)に縁ある図柄として、魚(鯉)図目貫と橋に水車図透鐔にて統一性を持たせ、柄は親鮫による腹合着(一枚巻き)で、柄巻きは薄茶色の裏革にて巻きあげました。
表記価格だけを見るとお高く感じられるかもしれませんが、個人で同じ諸工作を施すことを考えれば絶対にお買い得です。
店主 町井勲監修の実用兼美の本格的な拵と、研ぎ上がったばかりの派手な地刃をご堪能下さい。
※白鞘に納められる際には古い方のはばきを装着してください。古い白鞘ですので刀身は拵の方に納めたまま保管されることをお勧め致します。

裸身重量603グラム。  拵に納めて鞘を払った重量839グラム。

武州住安家 ~本歌武蔵拵付き~

武州住安家 ~本歌武蔵拵付き~
武州住安家
– Bushu ju Yasuie –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/719/00.html

安家は武蔵國下原一派の刀工で、武蔵太郎安貞の門人と伝えられています。彼に関する詳細は不明で、今後の研究が待たれます。

この刀は寛文時代の時世に倣い、元先の差が開いて反り浅目の当時流行した姿ながら、腰元より少し上で反りが強く、切先延びた鋭い体配で、小板目肌が柾がかった地鉄には、淡く沸乱れ映りが立ち、匂口明るい互ノ目丁子乱れを焼いて、互ノ目を数分割するかの如く丁子足が入り、所々に荒沸がついた覇気ある出来口です。
付属する拵は柄頭が鋭く尖った所謂武蔵拵と呼ばれる様式で、細かく唐草が彫刻された縁頭は共に金色に輝き絢爛。鐔は南蛮透かしの上手が付き、柄糸は経年劣化に伴って巻き替えられていますが、切羽の一枚もすり替えられることなく、製作された当時の姿のまま伝世されていることは非常に貴重であり、笄が失われていることが惜しまれます。
寛永17年、宮本武蔵が細川忠利に招かれ客分として熊本に移ったことにより、細川藩士がこぞって武蔵門下に入ったと『武公伝』の中で武蔵直弟子であった士水(山本源五左衛門)が伝えており、本刀は細川家縁者または細川藩上士の指料であったものと思われます。

当店在庫の笄に九曜紋笄(京金工/保存刀装具鑑定書付き18万円)がございますが、元々この拵に付属していたものではないかと思わせる程ぴったりと納まり雰囲気も良いので、共にご購入されて、晩年、肥後細川家に身を寄せた宮本武蔵を偲んでみては如何でしょうか?※笄を装着した参考写真をご参照下さい。

裸身重量729グラム。  拵に納めて鞘を払った重量986グラム。

刃文が二重三重と重なった奇抜な短刀

奇抜な刃文の短刀
無銘
– Mumei –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/161/00.html
ややフクラが枯れた姿に重ね厚目の頑丈な体配。小板目肌が詰んで無地風となり、地沸厚くつく。焼き出しに沿って棒映りが立ち、先に行くに従い強く沸づいて匂口が広い互ノ目を形成する。刃文は焼刃明るく冴え、焼き出し部は特に匂口が締り、足よく入り、総体に刃文が二重、三重と重なったある種奇抜な出来口です。
白鞘には骨を使って合口拵風に仕上げられており、そのまま塗りをかければすぐに合口拵が出来上がる状態。お好みによって栗形や返角を付けるなど、貴方好みの拵にしあげてみるのも一興です。

裸身重量241グラム。  柄とはばきをつけた重量296グラム。

大和守國行眞鍛作之 ~石川県昭和26年登録大名刀~

大和守國行眞鍛作之
大和守國行眞鍛作之
– Yamatonokami Kuniyuki –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/407/00.html

豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降、藤原姓を銘切るようになってからは、藤原高田と汎称します。
古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用されました。
藤原高田の中でも、とりわけ大和守藤原國行は名工として名高く、時代は江戸の虎鉄や大坂の助廣、真改と同時代の寛文頃(1661年)の業物として著名であり、刃文は当時、肥前刀として一世風靡した近江大掾忠廣の如き匂口の深い直刃を明るく焼き上げることから、國行をはじめとした豊後刀の多くが、肥前刀の偽物に改竄された悲しき歴史もあるほどです。

本刀は昭和26年石川県登録であることから察するに、前田家が旧蔵していたものと思われ、小疵があるも大名刀に相応しく地刃の出来は頗る良く、杢目柾流れでよく練られた地鉄には地沸が付いて地景が入り、明るく冴えた直刃を巧みに焼き上げ、帽子は上品にすぐに丸く、先細かに掃き掛けながら丸く返り、なるほど肥前刀として数多の豊後刀が改竄されるだけある技量の高さを感じさせます。
姿は寛文新刀然たる反り浅目で元先の差がやや開き、重ねは元先共に厚目で頑丈な造り込み。実用刀として定評あった豊後刀の気質を現在に伝える、まさに実用兼備の利刀です。

現状では手入れを知らぬ遺族によって、長年手入れを怠われたがために生じた油染みと若干の小錆が見られますが、大切に伝世してきた様子は研磨や工作からもひしひしと感じられ、特に研磨に関しては下地も良く、仕上げも丁寧になされた上研磨がかけられています。
現状のままでも地刃の御鑑賞に支障はございませんが、出来良い脇指だけに、再び上研磨を施し、保存刀剣鑑定も御受審頂いて、美しい姿で後世に残し伝えて頂きたく、研磨代金を考慮した低価格で御紹介致します。
つきましては安価だからと言う理由からこの脇指をお求めになり、無謀な試斬や武術使用を目的とされる方からのお申し込みは、固くお断りさせていただきますので悪しからず御了承ください。
本気でこの脇指を愛で、健全な姿で次の時代に伝えてくださる心あるお客様からのお申し込みをお待ち致しております。

裸身重量593グラム。

刀の弱点 ~平や棟で攻撃を受けると、折れる確立はかなり高い~



まずはこれらの動画をご覧頂きたい。
上は棟から。下は平から渾身の一撃を受けた日本刀です。

どのように刀が折れたのかをキャプチャー画像で確認してみましょう。

棟からの斬撃

平からの斬撃

日本刀と言えば、「折れず曲がらずよく切れる。」と言うある種都市伝説化した強靭さが世界的に広まっていますが、実は非常に脆い武器でもあるのです。
上で紹介した実験の共通点にお気づきでしょうか?
真っ二つに折れていないということです。
棟からの斬撃では三つに。
平からの斬撃では四つに日本刀が折れているのが確認できますね。

実は刀剣研磨を行うに当り、少しでも研ぎ減らさぬよう、曲がりを直してから研磨します。※曲がったまま研磨する研師も稀にみかけますが…
矯木では部分的に曲がりを矯正することが困難なため、殆どの場合は鎚で鎬地を叩いて曲がりを直すのですが、この作業の際に稀に刀が折れてしまうことがあります。
私が実見したものですと、叩いた箇所から折れるのではなく、叩いた箇所の前後で折れました。
鎚で叩いた振動で違う場所から折れるというわけです。
勿論個体差がある日本刀ですので、折れにくい刀、折れ易い刀はありますが、刀剣の構造上の観点から言えば、平や棟で大きな衝撃を受けると、限りなく折れる確立が高いのです。

近頃では日本刀は鉄をも容易く裁断できると信じ込んでしまった素人や、生半可な腕と知識しか持ち合わせない武術修業者によって、鋼材への斬撃がちらほらと行われています…

刀は鉄を斬るための道具に非ず。
また、竹や畳表を斬るための道具でも非ず。

強靭さを誇る名刀であっても、使い手次第では簡単に折れてしまい、物体を裁断することはできません。

刀は己の心を映し出す鏡であり、己の悪しき心を斬るための神器だと私は考えています。

刃先で斬るつもりであっても、刃筋を立てることができない未熟な者が切り込むと、刃先ではなく、平から畳表や竹を叩くことになり、場合によっては刀が折れてしまいます。
どうか無謀な試し切りや試斬会はお控えくださいますようお願い致します。

未熟な者による試斬は大変危険です。自分が怪我をするだけではなく、他人の生命をも奪いかねないということを忘れないで下さい。
下にご紹介する稽古中の事故動画もご参考に。

誠(以下切 誠定) ~江戸前期の備前の刀工~

誠(以下切 誠定) ~江戸前期の備前の刀工~
誠(以下切 誠定)
– Aki(Akisada) –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tachi/058/00.html

大きく磨り上げられ、中心尻に“誠”と読める一字のみが残っています。小疵はあるも刃中に欠点は無く、僅かに元先の差があり、反り程よく総体的に優しい感じの体配で切先はやや延びごころ。鎬が高く、佩表腰元に二本樋。裏に腰樋に添え樋を丈比べのように丸留めにした手の込んだ造り込みから、凡刀ではないことが窺い知れます。
地鉄は杢目がよく練れて地景入り、小沸本位の直刃を焼き、解れごころの刃を交えた古調な刃文です。
銘鑑を紐解くに、江戸前期の寛文頃に、名を安藤徳兵衛と称し、刀工銘を誠定(あきさだ)と名乗る刀匠が一名見られました。本刀はこの工の作であろうと思われます。是非保存刀剣鑑定を御受審下さい。
※現登録証では種別が刀、銘文が無銘になっておりますので、内容訂正の手続きを行ってからの納品となります。

裸身重量554グラム。

無銘(兼春) ~大業物!!~

無銘(兼春) ~大業物!!~無銘(兼春)
– Mumei(Kaneharu) –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/406/00.html

同地同銘工が室町中期から江戸中期の元禄まで栄えた兼春。中でも最も名高いのは三阿弥派で兼行の子である四郎兼春で、利刀として当時から定評は高く、様々な様(ためし)を行って位付けが行われた江戸時代に於いては、大業物として兼春の名は轟きました。

この脇指は長寸であった打刀を大きく磨り上げて刃長を二尺に仕立て直したもので、太平の世であった江戸時代、上士の指料に多くこの寸法のものが見受けられます。
出来口としては美濃伝らしく、刃縁と鎬地に柾目が強く現れた杢目肌で、地鉄はよく練れており、地景入る。特に大杢目に絡む地景が興味深く、刃文は互ノ目乱れで匂口深く、刃中よく沸え、長い足が頻りに入り、刃中は柾目が顕著に現れて砂流を形成するなど、賑やかにして大業物たる刃味の鋭さを感じさせます。
現状では一部に薄錆も見受けられますが、地刃の御鑑賞には支障ございません。
※尺計算しますと二尺を僅かに切っているため、脇指として御紹介しておりますが、登録証と認定書上では刀と記載されております。

裸身重量572グラム。

長州住清次 ~地刃冴えた昭和の名工~

長州住清次 ~地刃冴えた昭和の名工~
長州住清次
– Choshu ju Kiyotsugu –
http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/405/00.html

本刀の作者である清次は、長門国二王の系統で、京伊賀守金道の門人となった二王清次の流れを汲む刀工と考えられます。時は大東亜戦争の頃、高級士官の需めに応じて槌を振るった腕の良い良工で、戦後の作品を見かけないところをみると、終戦と同時に廃業したものと考えられます。

この刀は柾気が強い板目肌が良く練れて地沸付き、地景も入り、匂口明るく冴えた丁子刃を見事に焼き上げた作品で、刃縁には繊細な砂流が随所に見られ、足よく入り、所々に丁子の焼き頭が飛んで蟹の爪の如き刃を交えています。帽子は詰まりごころで元先の差が開き、重ねの厚い体配は、鎌倉中期の猪首切先の太刀を、昭和に求められた刀姿と融合させたと表現しても良いでしょう。地刃の出来優れた昭和の名工の傑作を、是非この機会に御入手下さい。
※本刀は寸法上では脇指となっていますが、刀として鍛えられたものです。

裸身重量670グラム。