刀 武蔵守源利重

 

刀 武蔵守源利重

刀 武蔵守源利重

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/548/00.html

 

はじめ武蔵大掾。初代近江守久道門。攝津三田、丹波篠山にても打つ。京西洞院住。

愛媛から買い付けたうぶ出し刀の御紹介です。
小板目肌良く練れて少しく肌立った地鉄には物打辺りに淡く乱れ映りが見られます。匂口は明るく冴え、直ぐに焼き出し、元の方は刃縁沸付いて激しく砂流かかり、先へ行くにしたがって匂口締まりごころに尖りごころや丁子がかった互ノ目を焼いています。

区送りこそ惜しまれるものの、しっかりとしていて状態は良く、附属する九八式軍刀拵には、脱着可能な野戦用革覆が附属。柄の兜金(柄頭金具)には下がり藤紋があしらわれ、鞘は木製鞘に本漆石目塗を施した高級品で、金具番号は全て47番オリジナル。寄せ集めのレストア軍刀拵ではございませんので、軍装趣味の方にも自信を持ってお薦めできる一刀です。
※保存刀剣鑑定書未着につき、日本美術刀剣保存協会より届き次第、お客様へお届け致します。

裸身重量577グラム。 拵に納めて鞘を払った重量975グラム。

刃筋確認

ここのところ物斬りの調子が悪い。

今日はスランプの原因を探るべく、少し畳表を斬ってみた。

原因は解り、スランプは抜け出せたように感じたので、返し業を一本の畳表で何回できるかに挑戦してみた。

まだまだ改善点が見られるように思う。

鞘を掴む相手を無力化する

昨夜(10/30)の本部道場定例稽古より

居合術とは速く刀を抜き差しするだけではありません。ですから抜刀ばかりを稽古していては上達しません。この動画のような動きができるから、自ずと刀が速く抜けるようになるのです。

将平鍛刀場での研磨作業

24日から4日間、福島県にある藤安将平刀匠の鍛刀場で研磨作業に勤しんでおりました。

長男を一週間程将平刀匠に預けており、藤安先生に御迷惑をおかけしてはいないか、その様子を見るためでした。

何かと忙しく、数日も留守にすることは手痛かったのですが、とりあえず藤安先生のお宅でもできる作業をと、今回は砥石と打卸刀身4振を持参。

1日1振を目標に金剛砥120番での下地研磨を開始。

 

10月25日 1振目の下地完成。

20161025-1

20161025-2

20161025-3

10月26日 2振目の下地研磨完成。

20161026-1

20161026-2

20161026-3

10月26日 3振目の下地を開始するも、なかなか思うようにはかどらない。

20161026-4

明けて27日午前3:30頃、ようやく3振目の下地完成。

20161027-2

20161027-3

20161027-4

20161027-5

因みにこちら↓が研磨途中の3振目。上の写真と比較して頂ければ、研磨工程がよくお解かりいただけるかと思います。

20161027-6

更に4振目を手がけ、明けて28日午前5:30頃、ようやく4振目の下地研磨完成。

20161028-1

20161028-2

20161028-3

 

20161027-10

今回の研磨作業で出た砥石の屑。真新しい砥石を持っていったのですが、大きさは三分の二ほどになっていました。

20161028-4

全てのノルマをこなし、28日午前10:00頃、藤安先生のお車を私が運転して、夜10:00兵庫の自宅に到着。

ハードな数日を過ごして帰ってきた私に待っていたのは、鬼のようにたまっているメールと仕事の数々…

当分たまっていた仕事をこなすのに忙しくなりそうです。

金剛砥120番の時点で下地を決める

金剛砥120番での下地研磨

120番の荒い砥石でここまで横手を立てる研師は少ないと思う。
下手すると取り返しがつかなくなるので、大抵の研師は細かい砥石になってから横手を決める。
腕に自信がなければここまではできない。
日本刀研磨は仕上げよりも下地が一番大事‼️

脇指 越前住相模守藤原国綱

脇指 越前住藤原国綱

脇指 越前住相模守藤原國綱

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/338/00.html

 

越前国相模守国綱は家康に仕えた康継によってその名を知られる越前下坂一派の刀匠で初代兼植の門人。俗名を多兵衛尉と云い、江戸での作刀もあり越前新刀の良工として、また、師の兼植と共に業物としても有名です。

下坂派の祖は安土桃山時代の天正頃(1573年頃)の近江の西坂本下坂に住んでいた、「下坂八郎左衛門」と言われ、越前康継の父または兄とされています。 「下坂」を銘する刀工は、江戸時代には江戸のみならず各地に移住してその技術を展開していますが、源流はすべて近江の下坂に発しています。

この脇指は身幅が広く、刃中の出来もなかなかのものですが、残念ながら帽子フクラの部分の匂口が駆け出しており焼刃がありません。
上記のような欠点はございますが、横手より下はしっかりとしておりますし、身幅も広いので、脇指での斬り稽古や武用脇指としてお求め頂ければと思います。
附属する拵の鐔には鉄骨が見られ、花筏の目貫も仕事が良い品ですので、錆を除去し、丹念に手入をされれば良き目貫になることでしょう。
※地刃観賞できますが、指紋痕がございます。

裸身重量396グラム。 拵に納めて鞘を払った重量618グラム。

 

活きた形を身につける ~中伝形 浮雲~

単独で形稽古を行う居合形。
やもすれば単なる踊りになりがちです。
活きた形を身につけるには、形の想定をしっかりと頭に叩き込み、受けを置いて実際に業をかけることが必要となります。

 

例えば英信流で言うなら「浮雲」と呼ばれる形。道場や先生方、また、名を変えた夢想神伝流などを見るに、同じ形なのに同じ形に見えないですよね。

 

それはなぜか?

 

実際に受けを置いての稽古をせず、単独での形稽古ばかりをしていたからだと私は考えています。
同じ業でも、相手の位置や手足の角度によっては確かに業の所作は変わってきますが、想定が同じであれば形が変化するはずがありません。

 

今回の動画の後半では、中伝居合形「浮雲」の稽古風景を御紹介しています。
この動画を通じて修心流居合術兵法(旧称 無双直伝英信流町井派)にご興味を持って頂き、その名を知って頂ければ幸いです。

脇指 丹後守藤原弘幸 ~堀川國廣門の俊英刀工~

脇指 丹後守藤原弘幸 ~堀川國廣門の俊英刀工~

脇指 丹後守藤原弘幸 ~堀川國廣門の俊英刀工~

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/wakizashi/337/00.html

 

堀川國廣の門人で清水の姓を名乗り、初め弘幸と銘しますが、慶長末年に丹後守を受領後には広幸と改めたと伝えられます。作品は刀よりも比較的脇差・短刀が多く、國廣一門の中でも片切刃造りや古色ある彫物、直刃を好んで作刀しており、鑢目が筋違いか大筋違いとなる國廣一門の中で、唯一弘幸だけが“切り”か極浅い“勝手下がり”となります。

この脇指は指表を切刃造りとし、身幅広く豪壮な姿に、師である國廣譲りの板目に杢が交じって柾流れ、肌立ってザングリとした独特の肌合いを示し、鉄色はやや黒味を帯びて地沸が厚く付き、匂口はふんわりとした柔らかい感じで小沸が付き、実に上品で、鑢目は例に洩れず、浅い勝手下がりと、いかにも弘幸らしい出来口の優刀です。

当店にて美術観賞用上研磨を施しました研ぎ上がりホヤホヤの名刀です。御入手されたその瞬間から、堀川國廣譲りである弘幸の出来のほどを、余す事無く堪能頂けます。
12月31日までの期間限定特価と致しまして、消費税、送料全て込み込み150万円ジャストで御案内致しますので、是非ともこの機会をお見逃し無く。
※国外は別途送料が必要です。

裸身重量455グラム。

短刀 無銘(伝 固山義次) ~御守刀に最適~

短刀 無銘(伝 固山義次) ~御守刀に最適~

短刀 無銘(伝 固山義次) ~御守刀に最適~

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/144/00.html

義次は幕末の名工、固山宗次(初代)の次男で、父である宗次晩年期には、その代作を手掛け、彫も上手かったと定評の高い刀工です。

この短刀は柾目鍛え良く練れて詰んで少しく肌立ち、匂口締りたる互ノ目乱れを二つ一組に焼き上げています。指表の帽子は掃き掛け、地に向かって火炎がかった出来口となっています。
附属の拵は同時期に製作された江戸期のもので、小柄櫃に小さな漆の剥落と、指表に刃物傷がある以外は健全です。
御守刀をお探しの方、また、これから刀剣趣味を始められるにあたり、まずは最初の一振りをお探しの方にお薦めです。

裸身重量102グラム。 拵に納めて鞘を払った重量134グラム。

刀 無銘(新刀寿命) ~柄、はばき、切羽、美術観賞用研磨等諸工作済み~

刀 無銘(新刀寿命) ~柄、はばき、切羽、美術観賞用研磨等諸工作済み~

刀 無銘(新刀寿命) ~柄、はばき、切羽、美術観賞用研磨等諸工作済み~

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/547/00.html

 

大和系鍛冶が美濃に移り派生したと伝えられる寿命。幕末まで長く栄えた一派として著名です。刀剣界では“じゅみょう”と呼称されていますが、“としなが”と読むのが正しいようで、現存する作品の中にも“寿命トシナガトヨムベシ”と銘切った作品があったと記憶しております。
寿命と言う名に縁起良さを見出した武士達により、寿命の刀は祝賀の席での指料として、また、武家間での贈答品としても好まれました。※特に贈答には長物が好まれたと言われ、“長い寿命”と験を担いでのことだそうです。

附属する拵は江戸期の本歌で、鞘はまるで昨日今日作ったかのような傷一つ無い完全なる保存状態。柄木に遊びがございましたので、当店々主である町井勲監修の下、親鮫をぐるっと一枚、腹合着せにして黒塗りとし、深緑色の落ち着きある牛裏革諸捻り巻きにて、天正拵風に立鼓をつけて新調致しました。
それだけではございません。実用において堅牢な素銅はばきや素銅切羽も、この一刀のためだけに新調しなおし、更には美術観賞用の研磨も施しましたので、全く手をかけることなく、美術鑑賞刀として、武用刀としてもお楽しみ頂けるまさに実用兼美仕様の一刀で、手持ちバランスも非常に良く、自信をもってお薦め致します。

凹み一つない完品の時代鞘だけに、居合形稽古にこの鞘をお使いになられるのはご遠慮下さい。居合形稽古での使用をお考えの方は、新たに鞘を新調されますようお願い致します。

裸身重量609グラム。 拵に納めて鞘を払った重量894グラム。