無銘(伝 越前伯耆守汎隆) ~手持ちバランス良く、居合稽古に適した一刀~

無銘(伝 越前伯耆守汎隆) ~手持ちバランス良く、居合稽古に適した一刀~
無銘(伝 越前伯耆守汎隆)
– Mumei (Den Echizen Hoki no kami Hirotaka) –
 
汎隆は越前下坂一派を代表する刀工で、越前兼法の流れを汲む道本兼植(かねたね)の門人。伯耆守藤原汎隆、越前住伯耆守汎隆、伯耆大掾汎隆などと銘を切ります。
作品は切れ味に定評が有り、業物として名高く、下坂派の中でもかなりの人気工であったと伝えられ、現在でも「ぼんりゅう」「ぼんたか」と親しみを込められた愛称で呼ばれています。
 
この刀は反り浅く、元崎の幅差が開いた所謂寛文新刀体配で、杢目が緻密に練られ、地景入り、刃文は直刃基調に所々互ノ目足や互ノ目が入り、金筋、砂流かかり、帽子は直ぐに先丸く返っています。
長らく居合稽古に使用されていたためか、横手付近にヒケが見られますが、手元重心でバランスが良く、片手でも楽々と操作できます。
現状では柄にガタツキがあります。5,500円(税込)にてガタ直しお受け致します。
 
裸身重量607グラム。  拵に納めて鞘を払った重量893グラム。

光興作 崎山氏所持 皇紀二千六百年二月十六日 (柴田果)

光興作 崎山氏所持 皇紀二千六百年二月十六日 (柴田果)
– Mitsuoki(Shibata Ka) –
 
 
本名、柴田政太郎。明治17年、秋田県雄勝郡西馬音内(現、羽後町西馬音内)に生まれました。生家は代々続く素封家で、父の柴田養助氏は30年間羽後町長を務めています。
14歳頃から篆刻(印章の製作)を始める。長じて果の号を用い、その作品は犬養毅や張学良(張作霖の長男)らに愛用されるほどであり、犬養は「わが筆硯のあるところ果氏の印なかるべからず」とまで賞賛したと言います。
本間順治(薫山)先生とも交友があり、本間順治先生使用の「薫山」印、及び「本間順治」印はいずれも柴田によるものだと言います。
多芸多彩の人で知られ、一芸三年と称し剣道四段、柔道三段、秋田喜多流謡曲の重鎮であり、太鼓、書、俳句(俳号 紫陽花)などで活躍。発明家としての面も持っており、割り箸製造機の他30点に上る特許を取得。また秋田県儀も一期務めました。
思想家安岡正篤の影響を受けて尊敬しており、安岡が政太郎のことを「秋田の地に莽々蒼々の漢あり、これを木鶏と名づく」と雑誌に書いたことから木鶏を号にしました。
 
祖父柴田多助氏の刀剣収集の趣味に惹かれて早くから鍛刀を行い、戦前戦中を代表する刀工となる。 古文献をあたり鎌倉時代ごろに絶えたとされる鍛刀法を復活させたとされ、作刀では短刀が多く、刀は少ない。 昭和9年(1934年)の帝展に2位入選を果たす。帝展出品時には無名であったにも関わらず非常に出来が良かったために、左文字の作に自分の銘を切った盗作であるとまで言われ、かえって名前が知れ渡りました。
翌年には新作日本刀共進会展で、出品五百点中の特別最優等賞を受賞。その後も、総理大臣賞、特別賞、陸軍大臣賞など数々の受賞を果たし、皇室へ献上刀を納めるなどの栄誉を得、昭和12年(1937年)1月には大日本刀匠協会より「国工」の称号を授与されました。
昭和17年(1942年)に栗原彦三郎が定めた現代刀匠の暫定位列表「聖代刀匠位列表」でも、最高位である「神品の列」に入っており、昭和21年(1946年)には勅令第三〇〇号銃砲等所持禁止令」による第一回刀剣審査委員も務めました。
戦中には陸軍受命刀工も努め、「果」とも銘切りました。長男の柴田清太郎氏も刀匠として知られ、「昊(こう)」の銘を切ります。
 
名物「小夜左文字」を所持していたことで知られ、愛するあまり自らの茶室に「小夜左庵」の庵号をつけている。
彼が最も愛していたのが名物小夜左文字の短刀で、これによって小夜左庵と号していた。そして、これに並ぶものに古備前正恒、粟田口国吉(小夜左庵国吉)の太刀があり、三口ともに重文です。(本間順治「懐かしい人々」)
昭和28年(1953年)3月12日没。
 
この短刀は、日本の実業家、大同海運社長、大日海運会長を務め、愛刀家としても数多の名刀を所有していた崎山好春氏の注文によって鍛えられたもので、この度初めて崎山家から世に出る、崎山好春氏旧蔵の名品の一振です。
※東京都知事を努めた石原慎太郎、俳優石原裕次郎兄弟の実父石原潔の前妻である勝子は、崎山好春氏の妻の姪にあたります。
 
平造りで棟を三ツ棟とし、姿態頗る良く上品で、平肉豊かに付き、地鉄は小板目肌がよく練れて詰み、地沸ついて精美であり、細かな地景が鉄の奥に、さも水底に見える砂紋の如く見られ、刃文は匂口明るく直刃を焼き上げ、刃中には金筋が見られ、刃縁は地鉄に絡んだ微細且つ豊かな働きが顕著に見られ、帽子は直ぐに丸く返っています。
 
崎山家より出ました本刀は、長らく手入れが不十分であった為、やや曇った状態でしたが、この度当店にて上研磨を施しました。研ぎ上がったばかりの地刃の冴えを存分にお楽しみ頂けます。
 
裸身重量145グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘

無銘
– Mumei –
 
 
明治時代後半から昭和前期にかけて造られた短刀です。軍人の懐剣として、また、婦女子の護身用として愛用されました。
現状では素人による耐水ペーパー研ぎによって地鉄は不明。刃文は刃区より上から焼き出し、匂口深い湾れを焼き上げています。
お求め易い低価格でご案内致しますので、刀剣趣味初心者の方や、お子様の御守刀をお探しの方、是非御検討下さい。
研磨ご希望の方は50,000円より承ります。
 
裸身重量52グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

於播州手柄山麓氏繁以瀑(以下切) 寛保甲子二月吉日

於播州手柄山麓氏繁以瀑(以下切) 寛保甲子二月吉日
– Oite Banshu Tegarasanroku Ujishige Motte sarashi –
 
 
「手柄山氏繁」は、播磨国(現在の兵庫県)の手柄山(現在の姫路市西南にある小山)で槌を振るった刀工です。武士に於いて手柄を立てるということは、この上ない誉れであることから、氏繁の銘に見られる手柄山の銘は、縁起が良く、立身を目指す士にとって人気が高かったと言われています。
初祖は「氏重」で、大和大掾を受領して3代まで続きましたが、藩命により「氏繁」と改名。その後、四代氏繁(正繁)は別家を樹立しました。その四代氏繁(正繁)の作刀は、新撰組「永倉新八」の愛刀として有名です。
 
本刀は年紀から初代氏繁と鑑せられる太刀で、身幅細めで元先の幅差がさほど開かず、切先大きく延びて豪壮な姿を誇っており、地鉄は小板目肌よく練れて詰むも所々肌が立ち、地沸付き、刃文は匂口明るく冴えた互ノ目を、三つ乃至四つ一組に焼き上げ、刃縁には大粒の沸が絡み、乱れの谷には砂流が見られ、帽子は直ぐ調に気持ち乱れごころを交えて先丸く長く焼き下げています。
磨り上げられていることが惜しまれますが、銘文にあります『瀑』は『さらし』と読み、本刀は『以瀑鍛(もってさらしぎたえ)』と銘切られていたものを推測されます。尚、瀑鍛えとはどのような鍛法なのか明確には知られていませんが、細川正義が「鍛えては水に浸けを繰り返す」と記していることから、そのような鍛法を指すものと考えられています。
 
付属する拵には現岡山県の備前藩主池田池の所謂備前蝶があしらわれており、柄前には鮫を着せず、鞘同様の変わり塗りが施され、そこに黒糸にて平巻きに仕上げられています。鞘には経年に伴う小さな凹みは見られるものの、致命的な傷や凹みは見られず、保存状態は良好。
鞘を払って構え見ると、手元重心でバランスが非常に良く、質実剛健な一刀であることがすぐにお判りいただけることでしょう。
内外共に特別保存刀剣審査の御受審をお薦め致します。柄の巻き直し無償にて承ります。お気軽に御用命下さい。
 
裸身重量701グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,018グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘

無銘
– Mumei –
 
 
元先の幅差頃好く開き、反り優雅に付き、指表には珠追龍、裏には梵字と蓮華を配置良く、巧みな鏨使いにて彫り上げています。地鉄はよく詰んで地沸が微塵に付き、チリチリと細かな地景が入り、刃文は小湾れ調子に互ノ目を二つ一組に焼き上げ、帽子は直ぐに先大丸に短く返る。
 
附属の拵は柄頭が龍頭形となった厳めしい衛府太刀拵で、鞘には唐草と三つ葉葵紋が蒔絵されているが、徳川家伝来品というわけではなく、明治以降、刀剣関係の仕事需要が減ったため、海外の富裕層向けに造られた真面目な品で、床の間飾りとしては申し分無く、刀身の彫刻も見事。
※佩表の俵鋲が一つ欠損していますが、修復可能です。
 
錆身であったものを当店にてしっかりとした研磨を施しました。指裏物打辺りの平地の錆は、刀身が痩せるのを惜しみ、敢えて残して仕上げておりますが、ご希望であれば錆を取りきることも可能です。※要別途研磨料金
写真には写っておりませんが、立派な古い桐箱が附属しています。
 
裸身重量グラム628。  拵に納めて鞘を払った重量1,282グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘


無銘
– Mumei –
 
 
元先の幅差程好く開き、刃長の割に身幅が広く、重ね厚い豪壮な造り込み。地鉄は小板目肌よく練れて詰んで少しく肌立ち、地景入る。刃文は匂口明るく、小湾れに直刃調の刃取りに互ノ目で、刃中には互ノ目足盛んに入り、横手下で大きく互ノ目を一つ焼き、帽子は直ぐに先丸く返る。
元は在銘であったものですが、如何なる理由からか銘が潰され無銘にされています。地刃の出来は頗る良く、表裏の刀樋も丁寧に掻かれていて好感を持てます。柄巻きは堅牢なる革巻きで、柄にはがたつきがなくしっかりとしており、鞘を払って構えてみると、手元重心で非常にバランスが良く、扱い良さを感じさせます。
美術鑑賞刀としても女性や少年用の武用刀としても、存分にお楽しみいただけるお薦めの一刀です。
 
裸身重量770グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,081グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

備州長船祐定作 永正十三年十二月日


備州長船祐定作 永正十三年十二月日
– Bishu Osafune Sukesada –
 
 
元先の幅差開き、切先延び、鋭さを感じさせる太刀と刀の併用姿。元よりややから反りが深く付いているため、手元重心となり、非常に扱いやすい手持ちバランス。地鉄は杢目肌柾流れて肌立ち、地景入り、映り立ち、刃文は匂口柔らかい感じの中直刃で緩みが無く、刃中に金筋を伴い、帽子は直ぐに丸く返る。
 
付属の拵は、縁頭と鐔を扇図で揃えており、いかにも日本刀と言わんばかりの美しい反り姿を誇っている。柄にがたつきはなく、切羽もオリジナルのままであることが非常に好ましい。
 
裸身重量584グラム。  拵に納めて鞘を払った重量861グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘

無銘
– Mumei –
 
 
元先の幅差開き、腰元より上で強く沿った、太刀と刀の併用姿が美しく、地鉄は地鉄は杢目肌よく練れて肌立ちごころに地景入り、刃文は匂口明るめで互ノ目に互ノ目丁字を交え、刃中に足入り、刃縁所々にやや大粒の沸が絡み、金筋や細かな砂流が見られ、鋩子は直ぐに丸く返る。
 
付属する拵には特別貴重刀剣認定書が付随しており、栗形より下の棟方には、大小指して用いられた痕跡が、漆の剥げから見られる。現状では柄に若干の遊びが見られますが、容易に修繕可能ですので、ご希望の方は柄の調整を御依頼下さい。※5,500円(税込)
鞘を払って構えた際のバランスの良さは、実戦期に鍛えられた一刀ならでは。美しい反り姿も相まって、床の間飾りとしても映える一刀です。
※切先先端と物打に、意図して観察しなければ判らない程度の目立たぬ極小の刃当て在り。
 
裸身重量691グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,014グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

立子山住人将平謹作(花押) 令和元年五月一日


立子山住人将平謹作(花押) 令和元年五月一日
– Tatsugoyama junin Masahira –
 
 
藤安将平刀匠は昭和21年福島県伊達郡生まれ。昭和41年長野県坂城町の刀匠、故人間国宝、宮入行平師に入門。
昭和50年福島県立子山に鍛刀場を開設して独立。以後作刀の研究修練を重ね日本美術刀剣保存協会優秀賞3回、奨励賞6回、努力賞7回を受賞。平成2年には日本美術刀剣保存協会会長賞受賞。同14年日本美術刀剣保存協会寒山賞を受賞。
 
尾張熱田神宮、奈良護国神社など多くの神社で奉納鍛錬を行い、平成20年には、704年、佐備大麻呂の作剣以来、およそ千三百年ぶりに常陸鹿島神宮において日本刀奉納鍛錬を行う。
 
昭和59年秋には伊勢神宮第61回式年遷宮、御神宝太刀謹作奉仕の大役も担い、先の震災で大きな被害を受けた福島県南相馬の御刀神社復興支援にも大きく尽力され、御神宝となる直刀を謹作奉仕し、直近では福岡の宮地嶽古墳出土大直刀の復元鍛錬など、現代日本刀匠屈指の作刀技術を持っている。
 
平安、鎌倉時代の古刀剣再現への強い想いを持ち、長年研究修練に取り組み、国宝、重要文化財やそれに類する刀剣類、全国の砂鉄や鉄文化の知識見識も豊富で、太刀、刀、短刀、脇指、薙刀、古代直刀など、どれを手掛けても正確で美しい刀姿を造り上げる。地鉄、焼刃の手際も鮮やかで幅広い製作能力を誇り、中心鑢や銘文といった中心仕立ても現代刀匠随一で、師である行平没後、師の実子である宮入小左衛門行平(宮入恵)を預かり、弟子として鍛刀修業を積ませた経緯からも、師の信任が厚く、その技量の高さを物語っている。
 
近年は奈良正倉院収蔵の直刀、手鉾のなど奈良時代の刀剣類の研究、名物鶴丸國永や薬研藤四郎の復元製作にも取り組まれ、上記の御刀神社奉納直刀の焼刃などは神域に入られたと言っても過言ではない。
 
古刀再現の第一人者として、また、鉄をも裁断する利刀を鍛えることでもその名が高い名工藤安将平。当店々主である町井勲とタッグを組み、真の実用兼美の名刀造りに今も勤しんでいます。
 
 
この脇指は古い時代物の拵に合わせ、令和元年に鍛えられました。元先の幅差上品に開き、切先やや延びごころ。小板目肌柾流れの地鉄は少しく肌立って地景入り、刃文は匂口明るく冴え、湾れ調子に互ノ目を焼き、丁字交じり、足、葉頻りに入り、横手辺りで湾れ込み、先直ぐに丸く返る。古刀再現を目標とする将平刀匠だけあって、地刃の出来は現代刀には見えぬ出来栄え。まさに宝刀、家宝として相応しい一刀です。
 
付属の拵は先述の通り江戸期の時代物で、竹に虎図の小柄袋には、一般的によく経眼される方刃の小刀ではなく、諸刃剣形の一風珍しい穂先が装着されています。
 
裸身重量298グラム。  拵に納めて鞘を払った重量545グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

肥前國河内大掾(以下切)(藤原正廣)

肥前國河内大掾(以下切)(藤原正廣)
– Hizen no kuni Kawachi Daijo (cutted below)(Fujiwara Masahiro) –
 
 
河内大掾正廣は、信吉の子で初銘を正永と言い、寛永二年に正廣に改銘しました。一節では寛永五年に河内大掾を受領したと伝えるものもありますが、寛永十六年紀の物迄は「肥前國佐賀住正廣」或いは「肥前國正廣」等と銘しており、寛永十八年八月紀の作刀より「河内大掾」を冠した物がみられるようになることから、近年では寛永十八年頃に受領した可能性が高いとする説が有力です。寛文五年に五十九歳で没したと言われており、その間、年紀作は寛永から寛文にかけて僅かながら見受けられます。彼は傍肥前の中でも最も技量が優れており、初代忠吉歿後は二代忠廣を助け、良き協力者として大いに活躍したと考えられています。作風は乱れた刃を好んで焼き、丁字に互ノ目、小湾れ等交じる作柄が多く経眼されます。
 
この刀は元先の幅差が程好く開いた上品な姿で、地鉄は小板目がよく練れて詰み、地沸が微塵に厚く付き、地景が細かに入って精良。刃文は丁字に互ノ目丁字や互ノ目、一部に珠状の飛焼を交え、足が長く入り、匂口が深く、砂流、金筋かかり、鋩子は乱れ込んで先丸く返り、初代正廣の傑出の出来口を誇り、昭和26年香川県大名登録刀3桁台であることから、伝来の良さも窺える名品です。
 
付属の拵は目貫以外は全て時代物の本歌が用いられているものの、全体的に仕立てが悪く、本刀にはそぐわないため、余力有る方は、本刀に相応しい拵を新調して頂きたいものです。
 
刀身の出来もさることながら、手持ちバランスも非常に良く、武器としても扱いやすい作品を手掛けた正廣の技量の高さが窺えます。
指裏の刃中の小さな疵及び磨り上げがされていなければ、確実に重要刀剣指定を受ける傑出の出来口です。
 
裸身重量753グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,087グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。