無銘 ~反り高く優雅な姿の一刀~

無銘 ~剃り高く優雅な一振~

無銘
– Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1529/00.html

兵庫県下の旧家よりうぶ出しの一刀をご紹介致します。
反り深く、元先の幅差開いて切先やや延びる。地鉄は小板目柾流れ粕立つ。刃文は湾れ調子に互ノ目や尖り互ノ目を交え、刃縁には大粒の沸が絡み、刃中足入り、砂流かかり、鋩子は表裏共に直ぐ調に先丸く返る。
製作年代は古くも見えるが、茎を見るに銘を朽ちさせ、敢えて銘を消した痕跡が見られるので、無難なところで室町後期から江戸前期と鑑たい。とにかく踏ん張りついて反り深い姿は優雅で、武器であることを忘れさせます。
当店にて然るべき諸工作(白鞘慎重・上研磨・銀はばき新調)を施しました。鑑定書を付けて出世させ、後世に伝え遺して頂きたい一刀です。

裸身重量735グラム。

短刀 池田一光作 大正五年五月吉日 ~誉れ高き靖国刀匠の一人、靖光の前銘作!沸映り立つ地鉄!~

池田一光作 大正五年五月吉日
– Ikeda Kazumitsu –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/293/00.html

本刀の作者である一光は、本名を池田修治といい、明治12年11月2日に山形県に生まれました。祖父に水心子正秀門の池田一秀入道竜軒、父に池田一光がおり、初銘を父と同じく「一光」と銘し、「羽州庄内住池田一光作 昭和二年正月日」と銘切られた作品があります。
昭和8年12月15日、先手の阿部靖繁(繁雄)、村上靖延(円策)と共に(財)日本刀鍛錬会に入会し、荒木貞夫陸軍大臣より刀匠銘「靖光」を授名し、主任刀匠として第三鍛冶場を任せられました。
昭和14年10月4日に停年するも、その後も指導にあたりながら少数を作刀し、昭和15年末に退会して帰郷し、昭和16年1月に没しています。
(財)日本刀鍛錬会での造刀数:約1100口。鍛錬会開設時より主任刀匠として参加し、宮口靖広、梶山靖徳と並ぶ「靖国刀匠」の代表的刀工であり、弟子に阿部靖繁、村上靖延、八鍬靖武などがいます。

※「靖国刀匠」とは、昭和8年7月に当時の陸軍大臣:荒木貞夫が有事に際した軍刀整備の為に組織した刀工集団 『財団法人 日本刀鍛錬会』に所属する刀匠達の通称で、彼らが鍛えた刀剣は「靖国刀」と呼称され、その名は日本刀鍛錬会が靖国神社境内に置かれたことに由来しています。
創設には後に主事となった海軍大佐:倉田七郎らが尽力し、草創期の主任刀匠として宮口靖広、梶山靖徳、池田靖光などがいます。鍛錬会では、主として通常の軍刀の製作や陸海軍大学校の成績優秀な卒業生に贈られた御下賜刀(所謂恩賜の軍刀)などの製作を行っており、終戦により同会が解散するまでに約8100振の刀を製作したと言われています。現在でも鍛錬所の建物は靖国神社境内に残っていますが、内部は改装されて茶室になっています。

この短刀は平造、庵棟で、地鉄は小板目杢交じり、よく練れて地景入り、沸映り立ち、指表フクラ下の棟寄りには、特に強い湯走とも受け取ることができる沸映りが現れており、独特な景色を見せています。刃文は匂口明るく冴えた直刃で、匂口は締り、表裏刃区辺りにはやや大粒の沸が見られ、湯走風の刃を交え、鋩子は直ぐに先丸く短く返っています。

裸身重量98グラム。

各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

刀 豊後住藤原行光 ~よく練れた地鉄が美しい豊後藤原高田派の名工!特別保存刀剣鑑定を御受審下さい!!~

豊後住藤原行光

豊後住藤原行光
– Bungo ju Fujiwara Yukimitsu –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1527/00.html

平安時代から続く豊後鍛冶は、九州に於いては薩摩に並んで古くから作刀が盛んで、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄え、特に室町期から江戸初期に掛けて最盛を迎えました。
古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。
古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用されました。

本刀の作者である行光は、行平の末裔と伝え、勘右衛門行光の子。主に元禄から享保頃にかけて活躍し、後に熊本に移住しました。
反り浅目で切先やや延び元先の幅差目立っては開かず、地鉄は小板目よく練れて詰み、地景入り、地沸ついて精美で、所々肌が立ち、刃文は匂口ふわりとした感じの直刃仕立てで浅い湾れや互ノ目を交え、刃中には葉が入り、鋩子は直ぐに先丸く、返りは長く焼き下げています。
特筆すべき鍛錬疵が無く、特別保存刀剣鑑定もゆうに合格するものと思われます。お客様の手で出世させて末永く御愛蔵下さい。

裸身重量720グラム。

刀 無銘 ~出来良い備前小反り派~

無銘

無銘
– Mumei –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/katana/1528/00.html

大磨上ながらも元先の幅差開いて切先やや延びる。反りが深かったものと見え、茎で反りを抑えられている。地鉄は杢目がよく練れて詰み、淡く映り立ち、刃文は小湾れに互ノ目や丁字風の刃を交え、足、葉入り、湯走や飛焼を交え、鋩子は表裏共に直ぐ調に先丸く返るも、裏は相当長い沸筋を食い下げ丸く返っています。
なかなか見応えある出来口で、備前の小反り派の作品かと鑑せられ、指表の横手下辺りの棟角には誉疵が在り、実戦を潜り抜けた浪漫溢れる優刀です、実に惜しいかな刀身の中央に刃切があります。

刃切ある刀は折れ易く価値が無いと誤認されるようになったのは、江戸中期も後半になってからのことで、刀剣学者である鎌田魚妙(かまたなたえ)が唱えだしたことと言われています。
現代における引っ張り強度実験に於いても、よほど大きな刃切で無い限り、刃切有る箇所から折損することはなく、鎌田魚妙の無知な見解が今尚刀剣界では引き継がれ、「刃切=無価値」とのレッテルを拭うことができず、数多の名刀が刃切があることを理由に切断廃棄されたり、埋鉄の材料等にされています。
そう言う意味では鎌田魚妙程罪な人は居ないと言って過言ではありません。今の時代、正しく刃切を認識し、刃切有る刀の地位名誉回復を今後の刀剣界に期待したいものです。

つきましては刃切の言葉に惑わされず、この御刀の真の価値を見て愛でて下さる方にお譲りしたく思います。安価で御紹介するも、試斬にお使いになられる目的の方への販売は硬くお断りさせていただきます。

※刃切有る刀が実用に際しても問題が無い証拠として、前田利家の愛刀“丈木”が挙げられます。 丈木と号がつけられたこの太刀は、享保名物帳にもその名を連ねる名刀で、以下のように記載されています。
『丈木 太刀なるべし 松平加賀守殿 高倉宮の御内、長谷部信連の子孫より出る、北国にて箸にする木を丈木と云ふ、背中に立に負ひ行くなり其内の者を切るに、丈木ともに切り留る故の名なり、長氏気短き仁にて家来を呵りながら釜の鏆なり、爐(いろり)の縁にてきざまれ奇妙に切れるものなり、刄切七つあり利常卿御秘蔵の御差料なり』
前田利家が大坂の秀頼公に有事ある時には、この丈木を以て家康を討つと話した逸話が残っていることからも、古の武将達は刃切を気にしなかった様子が窺えます。

裸身重量698グラム。

NHK 歴史探偵 ~国宝と東博150年~  10月19日放送です

歴史探偵

歴史探偵

 

放送日時:10月19日(水)22:00~22:45(NHK総合)

・再放送:10月30日(日)18:45~19:30(BSプレミアム)

・NHKワールドプレミアム(海外放送):本放送と同時間

・NHKプラス:本放送時インターネット同時配信。本放送直後から7日間見逃し配信。

・NHKオンデマンド:放送翌日から1年間ネット配信。(有料のサービスです)

 

是非御覧下さい。

鐔8点追加しました!

本日鐔8点UPしてます!
お好みの物があればお気軽にお問い合わせください(^O^)/
下記URLからすぐご覧いただけますし、見るだけでも楽しいと思うので是非見てみて下さい(^^♪

時速160キロ 剛速球居合斬り ~バント式トリック切りと本物の居合抜付の違いを知って下さい~

ここ最近、『爺さんが160キロのボールを斬ります』と題した動画が話題を呼んでいます。
そもそも剛速球の居合斬りは、今から15年程前にフジテレビさんの番組(ザ・ベストハウス1・2・3)の企画により、世界でも私が初めての成功者となったもので、その後どんどんエスカレートし、時速500キロ、時速840キロ、時速1,440キロ(マッハ1.17)と、飛来するボールの速度も上がるばかりか、立ち位置が9メートル、6メートルと縮まり、更には時速350キロで発射される6ミリBB弾まで、刀を鞘に納めた状態からの抜付(居合斬り)で私は斬ってきましたが、常日頃から発信しているように、私は日本刀の保存愛護を訴えていますので、出演するに値する価値ある番組、企画でしかこうした物を斬りません。

これまでの異物試斬に関しても勿論自ら望んで斬った物ではなく、あくまでテレビ番組での企画であり、それ相応のギャラを頂戴し、プロとしてテレビマンの期待、撮りたい画に応えてきただけです。
ところが近頃では名を売りたがる達人気取りの爺さんが、御自身の本文である空手やキックボクシングではなく、刀ブームに乗っかってとでも言いましょうか、居合の真似事を自慢気にネットにアップしており、時が流れたが故に私の剛速球居合斬りを知らない人達が、その爺さんが初の快挙を成し遂げたかのように称賛し、動画を拡散させています。

この爺さんとは昨年TBSの特番『再現できたら100万円 神業チャレンジ』という番組を通じて一悶着ありまして、何を勘違いしたのか、居合では私に並んだようなそぶりで、とんでもない間違った居合情報を拡散しています。
当初TBSさんから上記特番への出演オファーが来たものの、一種の遊びとも言える感覚で刀を使うことや、演者(タレントさんなどの出演者)さん達に私の自前の刀を貸して欲しい。居合の指導もして欲しいという欲張り且つ失礼極まりない内容で、ギャラはたったの3万円~5万円とのことでした。

素人が付け焼き刃な居合の真似事をすれば大きな事故にも繋がり、今後刀にかかわる収録に規制がかけられる不安も生まれます。
更には素人が刀を抜き差しすれば、鞘は削れ、刀身に曲がりや刃毀れもきたす恐れもあります。

また、これまで私を起用して下さった各局の番組では、タレントへの居合、試斬の指導の報酬として数百万円頂戴してきました。そのように私の腕を買って下さり、高額な報酬を支払って下さった局や番組、企業様を差し置いて、たった3~5万円で仕事を受けるなど、私の立場上からもできるはずがありません。

よって昨年放送されたTBSの特番『再現できたら100万円 神業チャレンジ』への出演及び協力はお断りしたわけですが、低予算で番組を作りたいという製作スタッフは、ろくなリサーチをすることもなく、たまたま当時バズっていた達人気取りの爺さんの地面まで切ってしまう下手な孟宗竹試斬動画に辿り着き、彼に連絡をとって私が断った仕事を彼に依頼したのでした。
達人気取りの爺さんが仕事を受けたことは、とある筋から既に聞き及んでいたため、果たしてどのような内容で放送されるのか、番組が放送されるのを待ったわけですが、見て驚愕…

確かに居合の抜付風に時速160キロのボールをジモンディの高岸さんが成功させたような感じで放送されましたが、再現できたら100万円、神業チャレンジという番組のタイトルとは全く異なり、私の居合斬りの再現とは程遠いもので、立ち位置、距離(ピッチングマシンから9メートル)等全てが神業チャレンジの目標として紹介された私の動画とは異なっていましたし、それに関しては一切番組内で説明もなされず、ましてや動画の使用許可を打診しておきながら、番組は私の名前すらテロップには挙げないという礼を欠いた演出で、更には達人気取り爺さんによる間違った認識と解説がなされ、私の剛速球居合斬りは芸人さんでもできる芸当だと広く世間に誤解を与えたのでした。

当然ながら番組制作側に猛烈な抗議を行い、達人気取りの爺さん(以下鈴木氏とします)にも番組制作側を通じて、あれは私の豪速球居合斬りの再現ではないのだから、ボール斬りに関しては動画の掲載も含め自粛するよう伝えましたが、当の本人は、彼の本文である空手やキックボクシングでは目立つことができないからか、その後もずっと下手な試斬動画と居合の真似事動画をアップし続け、上述の通り彼による160キロのボール居合風斬りもバズってしまいました。

また改めて検証動画などを制作の上、皆様には詳しく説明しますが、時速160キロもあれば、野球の軟球は刀の刃先に当たっただけで2つに切れてくれます。
ピッチングマシンから発射されると同時に大きく前に出した鞘を引き、刀が抜けたら手首を返してチョンとボールに刀の刃を当てる…

鈴木氏が自慢気にアップした動画は居合斬りとは到底異なるもので、対人及び試斬に用いる畳表を相手には大して深くも切り込めないお粗末なものです。
一方私の居合斬り(抜付)は一刀のもとに対人及び畳表を両断することができるだけの斬撃力高く初動を読ませない本物の居合の技術を駆使しています。

飛来するボールに刃先を当てればそれだけで良い鈴木氏のボール斬りは、ピッチングマシンの動きに合わせ、まさに彼の横を通過するボールに刃を当てているだけ。でも居合のことを知らない素人の方は、ボールを斬るまでの繊細な体捌きには注目せず、ボールが切れたことにしか眼がいきません。
長年居合に人生を捧げてきた私にとって、こんなトリック居合風切りと私の技術が同一視されることがどれだけ悔しいことか、鈴木氏を称賛する方々には解るはずもありません。

私は自分の横を通過するボールは斬っていません。
自分の前を通過するボールを斬っているのです。

どういうことかと言いますと、ピッチングマシンに対して前に向く鈴木氏。私はと言うとピッチングマシンに対して斜めに立っているわけです。※下図参照

ボール斬りの立ち位置

鈴木氏のボール斬りと私の剛速球居合斬り動画を比較すれば一目瞭然ですが、先述の通り鈴木氏はピッチングマシンからボールが出ると同時に鞘を引き始めているのに対し、私は己の間合に合わせて刀を鞘引きではなく、身体の軸を使って抜いています。

剛速球居合斬り


立ち位置9メートル、ボールは時速161キロ、発射されても刀はまだ鞘から完全には抜けていません。

鈴木勇悦によるバントトリック居合風切り


ピッチングマシンからの立ち位置18メートル、時速160キロのボール切りですが、ボールが発射されると同時に大きく出した鞘を引いて刀を抜こうとしています。居合の技術が拙いので、刀身は鞘に引っかかって撓んでいるのが確認できます。

 

鈴木氏によって私の居合の技術が、鈴木氏同様に単にボールに刃を当てただけだと誤解されたことに関しては、絶対に看過できませんし、私の技術と鈴木氏の技術が同じだとされるのは心外でしかありません。
居合の可能性をこれまで身を張って証明してきました。とても危険な収録も実はありまして、実際に高速飛来物によって怪我も負わされたこともあります。
長年培ってきた技術を、鈴木氏のバントトリック法とは絶対に同一視されたくないですし、町井と同じことが自分にもできると勘違い甚だしい鈴木氏には開いた口が塞がりません。鈴木氏と私とでは手法からして異なることを説明しても本人は認めようともせず、昨年は下写真のような挑発もされました。

鈴木氏による挑発

鈴木勇悦による挑発


世に出ない名人達人の一人が自分だと言わんばかり… 私のことをインチキペテン師呼ばわり…

己の名誉を守るために声をあげ、やっていることが違うと発言しても、心無い人々はこのような言葉を私に投げるのです。

心無い人のコメント

鈴木氏によるバント式トリック居合風ボール斬りについて、このブログを眼にされた方々に知って頂きたい。
私個人の名誉もさることながら、このようなトリック技法で達人気取りする者を世に出してはいけない。鈴木氏のような人物を素人の方々が達人気取りさせているのです。
居合は鞘引きで行うものではありません。今現在、居合は鞘の内という言葉の真意を理解できず、大きく前に出した鞘を左手で引いて抜刀するものと誤解されています。鈴木氏はテレビ出演の際に堂々と速さの秘訣は鞘引きだと発言しましたが、鞘引き抜刀は遅れをとり、素速い抜刀はできませんし、斬撃力もありません。

皆さんよくよく思い出してみて下さい。

私がテレビに登場し、剛速球を斬る姿を晒してから、方々で鞘を大きく前に出す個人、道場、流派が増えたことに気づきませんか?
以前から発信していますが、私は鞘を大きく前に出しているようで出してはいませんし、出しているように見えるあの構えは、実は私の本当の居合の構えではなく、体捌きを盗まれないためにテレビ向けに行っている言わば偽りの構えです。
それなのに見る眼がない者達が、鞘を大きく前に出しているように見える私の姿だけを見てそれを真似、左手で鞘を引いて抜刀すると勘違いしているのです。

件の鈴木氏には上述の通り番組を通じても再三忠告していますが、上に掲げたような挑発と、未だ無作法極まりなく下手な試斬動画で世の人々の注目を集めようとしています。日本の古武術の将来を思えば、鈴木氏のような人物は表に出ず、ひっそりと彼を持ち上げるイエスマンだけを集めて仲間内で楽しんでいてくれれば問題もないのですが、とにかく承認欲求が強く、目立ちたい気持ちが強いので、これからも刀をぞんざいに扱う酷い動画をアップし続け、間違った居合概念を広め続けることでしょう。鈴木氏のような人物は日本古武術界の害でしかなく、彼の言動に危機感を持たぬ居合、武道修練者が多いことにこそ、私は警鐘を鳴らしたいと考えています。

今宵の記事を読まれ、少しでも居合、日本の古武術界に危険を感じて下さる賛同者の方は、是非ともこのブログ記事を一人でも多くの方の眼に止まるよう、拡散のお手伝いを頂けますと幸いに存じます。

京都ぶらり歴史探訪 「京の名刀めぐり〜髭切 膝丸 薬研 一期〜」 10月12日20時放送

いよいよ明日放送です。( 10月12日(水)夜8時〜)

「京の名刀めぐり〜髭切 膝丸 薬研 一期〜」

是非御覧ください。

刀 南紀住龍神太郎源貞行鍛之 需依中原信夫氏昭和四十八癸丑歳正月吉日 ~斬れ味に定評ある龍神太郎貞行!手持ちバランス良く扱い易そうな一刀です!~

南紀住龍神太郎源貞行鍛之 需依中原信夫氏昭和四十八癸丑歳正月吉日
– Nanki ju Ryujin Taro Minamoto Sadayuki –
 
龍神太郎源貞行(初代龍神太郎)。俗名は安達貞楠。明治42年生まれ。平成8年没。全日本刀匠会々員。入選等の受賞多数。 師は人間国宝月山貞一刀匠と兄弟々子の大阪川野貞心刀匠の二人。
和歌山県では県会議長就任者に貞行の刀が議会から贈呈されており、貞行の刀を所有することは名誉なことでありました。
貞行は戦時中は旧陸軍受名刀匠として紀南日本刀鍛錬研磨道場鍛錬部主任となり、軍刀を100余振鍛え、自ら国産の砂鉄を自家製鋼していたことや、数多の実用刀作刀経験から、地鉄の鍛えと切れ味の良さには定評がある人気の刀工でした。
 
この刀は元先の幅差開いて切先やや延び、小板目柾交じりの地鉄はよく練れて肌立ち、地沸付いて地景入り、刃文は細かな互ノ目に丁字を交え、匂口明るく、刃中よく沸え、足盛んに入り、尖りごころの刃を交え、刃中には長い金筋や細かな砂流が見られ、刃縁には小さな打除や飛焼も見られる。鋩子は直ぐ調に先丸く返っています。
実用刀として数多の軍刀を手掛けた経験が活きているのでしょう。ガッチリとした造り込みであるにもかかわらず、手にした時のバランスは良く、手元重心で扱い勝手の良さを感じさせます。現状では古研ぎ身につき、目立たぬ程度の小錆等はございます。
 
附属の拵ですが、柄に極々僅かなガタツキと、鐔鳴りが見られます。これらの調整工作をご希望の方はお気軽にご相談下さい。
 
裸身重量809グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,082グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

備前國住長船清光 永禄十年八月日

備前國住長船清光 永禄十年八月日

備前國住長船清光 永禄十年八月日
– Bizen no kuni ju Osafune Kiyomitsu –
https://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/292/00.html

室町時代後期の備前長船の刀工、及びその作刀を総称して末備前と呼称します。中でも清光を名乗る刀工は数多く、五郎左衛門尉・孫右衛門尉・与三左衛門尉・彦兵衛尉・孫兵衛尉などの俗名を冠する刀工の存在が確認されており、祐定、勝光、忠光と共に末備前を代表する刀工の一人として著名で、比較的直刃の作刀が多く残されています。

この短刀は元幅の差頃好く、フクラ気持ち落とした造り込みで、棟は庵棟。地鉄は杢目よく練れて細かな地景入り、淡く映り立ち、刃文は直刃調子の極浅い湾れで、刃縁には細かな変化が見られ、砂流かかり、鋩子は焼きたっぷりと先丸く返っています。
指裏の鍛錬疵こそ惜しまれますが、修復研磨によって目立たなくすることが可能。裏年紀も切られているので、修復研磨を行えば、特別保存刀剣鑑定もゆうに合格するものと思われます。
現状古研ぎにて、フクラ部分に目立たぬ極小の刃毀れが4カ所あります。※部分研磨可能です。

裸身重量175グラム。  拵に納めて鞘を払った重量240グラム。