これが本物の瀧落だ! ガチで鞘を握る敵を翻弄する超絶テクニック! 失伝していた業を町井勲が完全再現! 英信流修行者必見!

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居合の達人気取りの藁斬り抜刀斎が、人気ユーチューバー「フィッシャーズ」とのコラボ動画の中で、瀧落(たきおとし)と呼ばれる形を披露。

シルク氏に「本気で掴んでみていいですか?」とガチで鞘を握られるや、それを振りほどくことができないものだからごまかして逃げました…
あんなものを英信流の居合だと世界中に配信されるのは、真摯に英信流の居合術を研鑽してきた町井勲にとって、看過できない一大事!!
ということで、町井勲と修心館主席指導員である柳原健一の二名が、ガチで鞘を握る敵に対し、本物の業(わざ)で対処する!!
尚、この動画は修心流居合術兵法の限られた門弟のみに配信される通信講座動画から、一般公開してもさしつかえない範疇を再編集したものであり、編集していない元動画は、この深い術理を解りやすく解説しています。

藁斬り抜刀斎とフィッシャーズとのコラボ動画はこちら

https://www.youtube.com/watch?v=j1INYv8nZMg&t=313s
問題のシーンは 5:01 から!
居合の形齧ってます程度の人と、本物の居合術との違い、とくとその眼で見極めよ!!

 

※英信流の瀧落は完全に失伝しており、岩田憲一氏をはじめ、名だたる著名人がその著書の中で「敵が我が鞘を握らんとする気を察し…」などと言葉を濁している。何故なら本気で鞘を握る相手の手を振りほどくことが、誰一人として出来なかったからです。

居合形

私は英信流を修行してきた身ですので、英信流以外の流派については疎いです。

以下、私が英信流をベースとした居合を研鑽してきた感想を述べていきます。

人それぞれ考え方や受け捉え方は異なるものですから、私の意見を押し付けるつもりはありませんが、同じ英信流系の居合を研鑽されている方に、何かしら刺激になれば幸いと考えております。

 

英信流には様々な形がございます。

正座から始まるもの。立膝から始まるもの。立ったままから始まるものなど色々です。

形にはそれぞれ想定というものがありますが、私が19歳から現在まで修行と研鑽を重ねてきた結果言えること。

それは、居合形の想定は後付けであるということです。

 

形を演武する動画をアップしますと必ずと言って良い程目にするのが、

「刀を指したまま正座するなんてありえない。」

と言う言葉なのですが、まず、その既成概念を払拭しなければ居合は語れないものと思います。

 

正座したまま帯刀はありえるのです。

 

居合は主に身辺警護の士が嗜むものとお考えください。

武家屋敷には武者隠しと称する小部屋があったりします。

この遺構を今に伝えている建物も現存しており、山口県の萩で見ることができます。

襖で仕切られた部屋と部屋の間に畳一畳ほどの幅の小さな部屋があるのです。これが武者隠しの間。来客があれば警護の士はここで帯刀したまま坐しているのです。襖の向こうに異変を感じればすぐさま対応できるように。

 

また、一尺七寸や八寸と言った長脇指が納められた拵で、小サ刀拵と呼ばれる形式があるのを御存知でしょうか?

通常大小刀の脇指の鞘尻は丸となっていますが、小サ刀はその名の通り、寸法こそ二尺を切る脇指でありますが、事実上は刀として帯刀されました。故に鞘尻の形状は刀と同じく一文字切になっています。

大刀を帯びたまま正座する姿は見かけることがなくても、脇指を指したまま正座する姿は時代劇でもよく見かけますよね。

居合形で長物を抜き差しする技術を身に付けたものが、短寸の刀を扱えばどうでしょうか? 抜刀は更に速く、難なくできることでしょう。

以上のことからも刀を帯刀したまま正座するということは、士の時代には日常茶飯事であったと言えます。

 

そもそも居合とはなんでしょうか?

書いて字の如く居合ったところから始まるものが居合だと私は考えております。

刀を鞘から抜いて「さぁ立ち合え!」とするのが立合なら、その逆が居合。

腰に刀を帯びているからと言って刀に固執する必要はなく、手元に茶碗があればそれを相手に投げつける。長物よりも短物が有利と思えば脇指や短刀で応じる。長押の槍や薙刀を手に取る時間があればそれを持って応じる。素手の方が手っ取り早いと思えば素手で応じる。それが居合ではないでしょうか。

それなのに居合や剣術に興味を示す素人の方は、腰に帯びている刀に固執し過ぎなのです。だから形演武を見ても、実戦向けではないなどと発言されるのではないでしょうか。

 

居合形の想定は後付けと最初に記載しましたが、これはまさにその通りだと近頃は更に実感するようになりました。

居合形(英信流)は想定された位置の相手を斬り伏すものではなく、その想定に沿って演武をする中で、身体操作を学ぶものだと実感しています。

 

例えば正座の形にあります介錯と呼ばれる形は、介錯人が介錯するための形ではなく、手裏剣(棒手裏剣)を打つ所作と術理を学ぶためのもの。

中伝立膝の浮雲と呼ばれる形は、合氣道で言うところの一教裏を学ぶためのもの。颪と呼ばれる形は合氣道で言うところの二教の術理を学ぶためのもの。奥居合の袖摺返と呼ばれる形はこの二教を更に小さく、実用的に学ぶためのものと私は捉えています。

 

合氣道のように二人一組で稽古する武道と異なり、相手を置かずとも同じことを単独で習得するために練られた形。

ただ、それでは稽古する側には物足りないので、仮想敵を置いて、それを斬る動きの中で学ぶのです。実によく考えられたものだと感心せざるをえません。

更に私が思うには、想定を後付けした理由として、居合形を学ぶ者にその真意を隠すという役割があったものと思うのです。

始めから「この形では体術のこうした動きを学ぶためのもの」と教えることなく、ただただ、敵がこの位置に居ればこのように斬るのだ。と教える。

ベストキッドと言う映画の中で、ミヤギさんにひたすら「ワックスかける」「ワックス拭きとる」と、単調な動きばかりをやらされるシーンがありますが、意味も解らずひたすら単調な動きをさせられるよりは、仮想敵があるだけ学ぶ者に対し、やる気を起こさせるものであったのではないでしょうか?

 

今現在の英信流修行者の方で、形の真意を御存知の方は殆どおられないものと思います。だから英信流の宗家が代替わりする度に形が改変されていくわけです。それは後付けの仮想敵を斬ることしか考えていないからであり、居合形を通じて学ぶべき真意を見落としている証拠と言えるのではないでしょうか。

 

そういった真意を知らずして居合道や居合術の普及を口にされる御仁を見ると、僭越ながら「まだまだ居合を語るには早すぎるのではありませんか?」とついつい喉まで言葉が出そうになります。御節介焼きな私は時折老婆心からちょこっとコメントをしてしまうのですが、それが原因で相手を怒らせてしまう、または相手の気分を害してしまうことがしばしばございます。

少し賢くなりましたので、今後は「あぁ、まだ御理解されていないな。」と傍観する姿勢で参ります(苦笑

 

体術を学ぶための後付け想定の形なら居合形は宗家が代替わりしても不変のはず。たった1ミリずれただけで体術はかからないからです。それが改変されては形を創案した古の先人達に申し訳が立ちません。

私は現在、無雙直傳英信流町井派から名を修心流居合術兵法に変えて居合術を指導しておりますが、私の英信流居合形は本家や正統派と称される英信流とはかなり異なるものとなっております。

自分で言うのもなんですが、私は己が演武する英信流ベースの居合形こそ、本来の改変される以前の古い居合形に限りなく近いもの、更に言えば古い英信流そのものだと自負しております。

 

とにかく居合形に隠されたその真意を読み解くことが今は楽しくて楽しくて仕方ないのです。刀を腰に帯びずとも、護身術として生活の場でも役立てることができる居合こそが本物の居合であり、「居合道」ではなく「居合術」だと信じてやまないのです。

近頃はそうした形に隠された真意を教授しているためか、私の道場に通う方々は、合氣道や少林寺拳法の指導者や現役自衛官や警察官等が熱心に稽古に打ち込んでおります。稽古の中では「○○さん、警視庁24時の取材を受けることがあったら、この業を応用して恰好よく犯人逮捕するシーンを!」なんて笑いも交え和気藹々と皆で先人達が遺して下さった居合形を楽しみながら修業しております。

 

 

日本の古武術のみならず、日本における生活の中でもよく見かける正座。

 

お子様を剣道や合氣道、空手と言った武道教室に通わせておられる方、また、御自身が武道教室に通っておられる方、道場でこんな場面を経験したことがありませんか?

私が幼い頃に通っていた剣道の道場を例にしますが、稽古の始めと終わりに

 

「着座」

 

の号令がかかり、生徒全員が一列または数列に並んで正座します。

すると武道教室の先生がこう言うのです。

 

「背筋正して!」

 

その言葉に生徒達はピンと背筋を伸ばし、直角に上半身を立てるのです。

それを見る親御さん達は、

「おっ! 背筋をピンと伸ばして良い姿勢だ!」

と思われるようですが、私の武術理論から見ると…

 

これ、全然ダメなんです。

 

何がどうやって直角L字に座すのが良いことだと認識されるようになったのか、私には解りかねますが、とにかく私の武術理論上これは絶対してはダメ!

特に居合を嗜む人はしたらダメなんです。

 

直角L字に胸を張って正座する人を、背後から軽く押してみましょう。

倒れません。

 

次に正面から軽く押して見ましょう。

あれれれれ? 簡単に後ろに倒れてしまいます。

 

これ即ち床に着いている脚と上半身の軸がずれているということなのです。

ではどのように座せば良いのか?

素敵な御手本を示す方がおられます。

 

人間と神のハーフ… 釈迦でーっす!!

もとい、鎌倉の大仏様です。

鎌倉大仏

座す大仏様は各地で見られますが、私は鎌倉の大仏様のこの姿勢にしびれます。

軸が整っているからです。

鎌倉の大仏様を見ると、なんとなく猫背っぽくて、お顔は前に出て見えます。そう、これこそ武術を意識した座なのです。

 

正座、立膝、私が嗜む居合にはこの二種の座り方があるのですが、どちらも上体はやや前傾がベスト。

正座で説明するなら、直角L字ではなく、傾いたL字に座るのが武術としての理想形。

足の指先と膝頭を底辺とするなら、頭の位置はその中心に来るように座る。つまり線で結べば二等辺三角形になるように座るのです。

この状態で正座して先程と同じことをしてみましょう。

後ろから軽く押す… 前から軽く押す…

左右横からも押してみましょう…

 

どうですか?

直角L字正座と違って倒れにくいことに気づかれますでしょう?

そしてこの二等辺三角形を作る正座には様々な利点もあるのです。

少し技術が必要ですが、相手が強く押してきても、呼吸を合わせれば2~3人がかりで押そうが後ろに倒れません。この時の呼吸を合わせるというのは、合氣道で言うところの「氣」と呼ばれる不思議な力! ではなく、腹式呼吸ではなく胸式呼吸で応じるということ。物理的にどう言う作用が起きているのかと言えば、横から押してくる力のベクトルを上方に逃がすという働きに変えているというわけです。

更に眼に見えて有効なのが、刀の柄が水平または水平やや水流し(少し下に傾くこと)の角度になるということ。

これにどのような利点があるかすぐに想像できた方は、なかなかの武術センスの持ち主。

柄が水平或いは水平やや水流しの角度になるということは、手を刀にかけるまでの時間が短縮されるということ。零コンマ数秒の遅れが命を落とす結果になる武術の世界において、如何に早く刀に手をかけることができるか? はとても重要。しかも柄頭が上に向いてしまう直角L字正座では、刀に手をかけるまでの腕の動き、つまり初動がどうしても読まれてしまうのに対し、二等辺三角形正座は初動を読み辛くさせるのです。

 

居合とは立合の対義語。

さぁさぁ我と立ち合え!

と宣戦布告してからの勝負ではなく、突然の有事に対応することが理想的なわけですから、単に正座と言っても本当の意味で気を張らなければいけません。直角L字正座で胸を張るのではなく、武術としての正座で張るのは気!

 

普段の居合稽古の中で少しこれを意識して座してみてください。

これまでとは違った景色を見ることができると思いますよ。

 

因みにアイキャッチ画像として使用している六男の正座。理想的な二等辺三角形正座です。稽古で教えたものが自然と身についたようで、今回のブログ記事用に撮影したものではなく、一昨年の端午の節句辺りになんとなく撮影したものですが、肘から指先への角度もほぼ完璧です。

近頃では古流を名乗る流派、道場によるSNS投稿の動画や写真の中で頻繁に、両掌を上に向けて座っていたり、恥部を隠すかの如く、両手を股の間に挟みこむように座ったり、はたまた膝頭の前に五指を立てるような座り方をしているものを見かけますが、いずれも武術観点から見ると疑問符をつけざるをえないものばかりです。いずれの座り方も命が失われる危険があった時代に果たして行われていたでしょうか?

1+1=2でしかなく、地球を照らす太陽が一つだけであるのと同じで、物理的にも武術的にも適った姿勢、所作と言うのは一つだけと覚えておいて支障はないでしょう。私はそう思います。

隙

 

武術の世界や生活の中でもよく耳にすることがあると思います。

隙とはなんぞや?

皆さん考えられたことはあるでしょうか?

 

攻撃できる機会。反撃できる機会。

 

そんな答えが聞こえてきそうです。確かにそう言う意味合いもあるでしょう。

今回は私なりの隙について語ってみたいと思います。

因みに日頃私が欲しいものは、同じ隙でも、私への愛情が冷めてしまった妻からの「好き」なのですが(笑

 

さて、冗談はさておき本題に入りましょうか。

 

昔の人は本当に物事を上手く表現したなと感心せずには居れません。武術における隙とは、文字通り隙間を意味する隙。そのためアイキャッチ画像を少し開いたドアの写真にした次第です。

武術における隙については動画で解説すれのが一番手っ取り早くご理解頂けると思うのですが、ここは敢えて文字だけで表現しましょう。

 

全身と半身が正しく使いこなせることを前提にお話しします。

全身のまま胸の前で掌を合わせてみてください。ちょうどお祈りするような形です。

少し脇を締めるように意識して、腰を回転させてください。

掌の間が開き、隙間ができましたでしょう?

それが「隙」なのです。

※因みに刀心スタッフS君は武術の概念がないため、手を合わせたまま上半身だけ回転したので掌に隙ができませんでした。やはり言葉だけでは何を説明しているのか難しいのかも… でもそれでいいのです。考えることが大事だから。

 

大きな隙間は拳がすり抜けられます。

小さな隙間だと拳は通りませんが、重ね数ミリの日本刀なら簡単に通り抜けてしまいますよね。

如何に小さな隙であっても、そこに日本刀が通過できるだけの隙間が出来てしまうと、実戦では命を落とす結果になります。

 

では次に、半身をきるという動作が正しくできる方、同じように掌を合わせた状態で、半身をきってください。

左右の掌は上下前後に動きますが、自分の中心に残ったままになっており、隙間ができないことがお解り頂けるはずです。

 

このことから何が言えるかと言いますと、武術に横の動きは不適切ということです。

薙刀や長巻を使った試斬動画を稀に見かけますが、薙刀を横から出していますよね。

これ、武術としての観点から言いますと… 「ありえない…(by 湯川学)」 なのです。

動きが全て見えるばかりか、上で解説したように隙が出来てしまうから。

 

昨今の居合や剣術を見ると、腰の回転が目立つ人がとても多く、指導者ですらそれに気付けていないのです。

抜付で鞘の鯉口が外に開いている人はその典型。

私は他流のことはあまり知りませんが、全剣連系の英信流、夢想神伝流の居合演武をされる方に、鞘引きではなく鞘開きになっている方が見かけられます。

これ、即ち抜きつけているのではなく、自ら隙を作っているだけと結論づけることができるのです。

 

僅か数ミリの隙さえ作ってはいけない。

相手に差し込まれる(刺し込まれる)隙を作ってはいけない。

 

武術においてこれは一番大切なこと。中心軸を意識するだけで、居合のみならず、あらゆる武術は上達します。

袈裟

袈裟

と聞いてまず思い浮かべることは斜めに斬ることではないでしょうか。

ネットサーフィンをしていると、様々な人による袈裟斬り(素振り含む)を見ることができます。

が、私が理想とする袈裟斬りが出来ている人を、私はみかけたことがありません。交友関係が狭いのもあって、全ての人の袈裟を見ているわけではないのですが、少なくとも私が見たネットでの動画ではいません。

試斬動画で綺麗に袈裟斬りしてるじゃないか。

と思われる方もおられるでしょうが、斬れる斬れないの問題ではなく、今回私がお話しするのは、武術としての袈裟についてです。

試斬は刃筋さえ立てればどんな振り方でも斬れるものです。ですから試斬での袈裟斬りだけで判断してはいけません。

 

修心館今夜の稽古課題は袈裟でした。

私が理想とする袈裟とは、構えるところから斬り下ろしたところまで、どこをとっても相手におさえられない身体捌きで行うもの。

今夜の稽古では二人一組で木刀を用い、ひたすら袈裟に斬り込む稽古を行いました。

速く振る必要は無く、的確に剣先に重さがのっているかどうか。また、その重さが斬り終えるまで正しく続いているか。の確認です。

 

今のところ私が理想とする袈裟ができるのは最古参門弟の柳原のみ。

他の門弟達はまだまだ四苦八苦しています。

正しく袈裟を斬ることができなければ、二刀の業(わざ)は成立しません。

巷では二刀を用いる流派をちらほら見かけますが、果たしてどこまで技術があるのか…

諸手持ちですら正しく袈裟が斬れないのに、片手になればなおのこと袈裟に斬れるはずもなく、ただただ形通りに打太刀と仕太刀が演武しているだけというのが多いですね。

 

試斬で斜めに斬ることができたから袈裟斬りができると早合点は絶対してはいけません。

袈裟斬りを極めようと思えば何年もかかるものなのです。

このブログを読まれた居合剣術修行者の方、あなたの袈裟はいかがでしょう? 理に適った身体捌きで斬ることができていますか?

単純なもの程習得は難しい。今夜はそんなお話でした。

近頃の修心館 ~バイリンガルを目指す私~

近頃私が運営する居合道場『修心館』は国際色豊かになりました。

現在三名の外国の方が私の下で修業しています。

まだ片言の日本語だったりするものですから、私も片言の英語で説明します。

うまく説明できない時には、英語を話せる門弟にその場で英語を教えてもらって話しています。

つい先ごろ、日本に留学中の一年間みっちりと修行したいとのことで、週3で道場に通うことになったディロン君。

彼が日本留学を終え、一年間の修心流居合術兵法修行を終えるころには、私の英会話力が少しは上達しているのでしょうか。

英語を自由に話せるようになったら楽しいでしょうね。

門弟に居合を教えながら、門弟との会話の中で英語を学ぶ…

英会話教室さながらでなかなか楽しいものです。

三男の二代目修行

時間があれば携帯のゲームばかりしている三男。

中学三年生なので来年は高校受験である。

大家族で生活も大変な中、本人の希望で塾にも通わせたのですが、ゲームにハマり過ぎて志望校はとてもじゃないが合格できない状況。

これから先の将来設計について話し合ったところ、志望校は諦めるとのことで、とりあえずは入れそうな高校を受験するようです。

でも、ただ単に高校を出れば良いと言う訳でもないので、真剣に将来を考えろと諭したところ、暗に逃げ道なだけかもしれませんが、

「修心流の二代目を継ぐ。美術刀剣刀心を継ぐ。」

との返答がありました。

この心意気、いつまで続くのかわかりませんが、今や最古参門弟となり、実力もめきめきとあげてきた柳原に追いつかせるべく、本格的に修行開始とあいなりました。

昨夜の稽古にも弟二人と共に参加した三男。長いブランクがある割には私の血を引くためか覚えが良い。

まだまだ二代目襲名には道のりが長いですが、挫折せずに極めてもらいたいと切実に思います。

動画は6年前、8歳の頃の三男。長女も一緒に写っています。長女もやる気さえあれば日本一、いや、世界一の女流居合術家になれるのに… 勿体無い…

↑ 私と将平作の真剣で打ち合う三男。

修心流居合術兵法 東京道場稽古参加者の声

2月の東京道場での直伝稽古に参加されたA様からのメールを御紹介させて頂きます。

A様は現在、全剣連の高段者であり、指導に当たられる人物です。

現全剣連の居合に疑問を抱き、修心流居合術兵法の稽古に参加され、英信流の形の理合を知ってから、外部参加者として稽古に参加されておられます。

 

Aです。お世話になっております。
本日はご指導いただきありがとうございました。毎度のことですが、先生のご指導により、自身の修行の足りなさを痛感させられるとともに、新しい気付きをいただいております。
少し道場でお話したとおり、最近私は道場の先生だけでなく、講習会等にて全剣連範士八段の全剣連居合道委員に名指しで注意されたりしております。私自身まだまだ全剣連の悪癖があり、術理を体得できていないのが悔しいですが、本当に使える居合を習得し、いつか見返したいと考えています。
また、ご指導をお願いすることがあるかと思いますが、その際はよろしくお願いします。


私から居合の術理を教わったAさんは、全剣連の居合の不合理を正したいと強く思われています。そのため現在は所属する道場や全剣連でも煙たがられる存在になっているとのこと。本物を目指す真摯な方が、こうして組織に潰されようとする光景はいたたまれません。

全剣連、全居連、大居連、日居連、その他各居合連盟所属の先生方、高段者で、私の居合を否定する方は、どうぞ遠慮なく修心館をお訪ねください。どちらの術理が武として優れているのか、私自身が証明して差し上げます。
居合はスポーツではありません。やるかやられるかの武が本質です。平和な今の時代だからこそ、とんでもない理合を説いても雲の上で胡坐がかけますが、実戦となれば即命を落とすことでしょう。

10日には福岡で居合の講習会を開催しますので、九州地区で英信流系居合を嗜む方、是非私の居合術講義を受講なさってください。根底からこれまでの技術、知識を覆して御覧に入れます。

修心館東京道場

4月から、大阪豊中岡町道場で修業している北山が、就職に伴いまして上京することとなり、これまでは月に一回または二回の直伝稽古だけだった稽古が、門弟が集まって週に一度は稽古をしようという方向性に向かっております。

直伝稽古は私が関西から出張する兼ね合いもあり、一日一万円の謝礼が必要ですが、門弟同士での稽古は稽古場使用料の割り勘程度で運営しようと思っています。

直伝ではないにしろ、先輩にあたる門弟達から指導やアドバイスを受けることができるので、高い月謝を捻出できない方にも向いているかと思います。

この機会に修心流に入門され、本当に使える武術としての居合術を学びたいと思われる方は、お気軽に私までご連絡下さい。

全剣連や他の居合道連盟を根底から覆しましょう!!

使えない居合は居合ではない!! それはただの健康体操だ!!

居合術を通じて日本人が日本人に戻ろう!!!

諸外国が恐れているもの、それは敗戦国日本が、かつての士(さむらい)精神を持つ日本に戻ること!!!

GHQが武術を禁じたその背景をしっかりと把握し、我々が真の日本人に戻りましょう!!!

2月の東京道場稽古体験者の声

2月24日の東京道場での稽古に参加されたK様から、嬉しいメールを頂戴しましたのでご紹介させて頂きます。

 

 

この度は、御指導頂きまして誠に有難う御座いました。
濃密で貴重な時間、素晴らしい経験をさせて頂きました。
またその上、ご家族の方々との食事の席にまでご一緒させて頂く事になり恐悦至極です。
ブログなどの文体から、その内面の優しさ、飾らないお人柄に惹かれたと申しましたが
実際にお会いさせて頂いた先生は、その更に想像の上を行く素敵で素晴らしい方でありました。
お優しく、もの凄く気さくで、そしてやはり不器用でいらっしゃいました(すみません)
「確認して下さい」とお伝えしようと思いましたが、稽古謝礼金の封を開けずにそのまま
片付けてしまわれた時には、思わず「この方にお仕えしたい」とまるで武士の様な気持ちが沸き起こりました(笑ってください。
稽古では、初伝とは思えない、これは奥義ではないかと思う様な内容に
聞かせて頂いて良いのだろうかと思いながらも、折角頂戴したこの機会にと
終始、先生の一挙手一投足から目が離せずにいました。何度も辛抱強く手本を示して頂き有難う御座います。
痛められていた、手首の方が無事回復されている事をお祈りしております。
お酒が沢山入っていらっしゃったので、ご記憶に残られているか分かりませんが
何度も、修心流へお誘い頂いた事も大変光栄でした。心は既に、勝手に、居合刀をお願いした時点で
先生の下に在るのですが。唯の末端の絵描き屋が出来る事は、先生の近辺でお買物をさせて頂く事位かと考えておりました。
恥ずかしながら、私の小遣いは月に3桁ですので…あまり稽古には伺えないのですが
先生が、東京ではHさんの様に正式入門せずとも来ても良いと仰って下さったので
また貯金をして、東京直伝稽古に伺いたいと思っております。
(本当は、入門して修心館に骨を埋ずめたいのですが)
妻にこの事を相談した所、今より2万円多く稼げば
そのままそれを直伝稽古に使って良いとの事でしたので、頑張ります!
その際は、是非また宜しくお願い致します。
この度は、諸々誠に有難う御座いました。重ねて御礼申し上げます。
K
居合刀を迎え入れる日も楽しみにしております