備州長船近景 ~刀剣趣味初心者の方へ~

備州長船近景
– Bishu Osafune ju Chikakage –
 
 
近景と大銘が切られていますが偽銘です。無銘刀としてお考えください。
地鉄は杢目肌がよく練れて詰み、匂口明るく冴えた背が高い互ノ目乱れを巧みに焼き上げ、帽子の中も他の部分同様に大きく乱れていて迫力ある出来口です。刃中には強い沸筋や砂流も見られ、観賞刀としてもお楽しみ頂ける出来口です。
指裏の区上少しあがったところに鍛錬疵と棟角に埋鉄があります。武用刀としてお使いになる分にはなんの支障もございません。
二尺三寸五分近い焼刃しっかりとした武用刀として愛玩下さい。には、鍛錬疵や埋鉄がどういうものかを知る参考資料として所持されるのも良いでしょう。
模擬刀の拵が転用できそうですので、格安にて拵付きの一刀に変身させることもできますよ。
 
裸身重量731グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

袈裟

自分で言うのもなんですが、私の追い求める居合は完成されつつあります。いや、既に完成したと言っても良いかもしれません。

現在、家庭環境や色んなものが変わりゆく日本で、実子達に技術を残すことが困難と判断したため、この技術をなんとか残したい一心から、時間がある時に私の居合論をせめて文字でだけでも残そうと思います。

 

私の世間の評価としては、他流批判が多いとか、自分こそが一番だと思っている。と言ったご意見をいただきます。

しかしながら私が追い続けてきた居合を語るに当たっては、他流批判したくなくとも、どうしても比較対象になるため、批判めいた言葉になってしまいます。

ですから己の居合を否定されるのが嫌だとか、私の他流批判を見たくないという方は、申し訳ありませんが私の記事を読まずにそっとブラウザを閉じてください。

 

まず、今回の題目にある『袈裟』についてですが、その概念を根底から覆さなくてはなりません。

袈裟と言えば単に斜めに斬ることだと一般的には教えますが、全くもって教える側も袈裟について理解できていないのが現在の居合、剣術の世界の有様です。

他者の居合形演武を見ると、樋が入っている刀を用いているのにもかかわらず、袈裟に振っても樋音が聞こえない。そういう現場をよく目にしてきました。

私の英信流居合の師であった吉岡早龍師ですら、時折樋音が聞こえないことが見られたものです。

 

何故樋音がしないのか?

 

答えは至極簡単なことで、腕で袈裟の角度を作っているからです。

全ての居合修練者を知っているわけではありませんが、私がここで言う武術としての袈裟が出来ている人は、なかなか見ません。

何を偉そうに言ってるんだと思われる方もいらっしゃるかと思います。

確かに文字や言葉だけでお伝えするのはなかなか難しく理解を得られないのも仕方ないかと思います。

そういった方の中で私が言う武術としての袈裟を知りたいと思って下さる方は機会を作って私の道場をお訪ねください。

お越しいただき体験して頂ければ納得していただけるようご説明いたします。

 

近頃はSNSの発達により、映える動画、写真を撮りたい素人さん相手に試斬会や試斬体験を積極的に開催する個人や道場が散見されます。現代の若い方が日本の文化に触れ知っていただけるのは嬉しく思うのですがその反面、私は常日頃から言っているようにこうした素人さんへの日本刀の損傷を招く試斬会には反対の立場にあります。

辛辣なことを書き綴りますが、はっきり言ってそういった道場の経営者様や試斬会の会主様は私の眼から見れば素人の方も多いです。しかしこうした経営者様や会主様が、武術や刀を知らぬ人にとっては、なんでも体験させてくれるありがたい存在のようで、刃筋もまともに立っていないのに、畳表が二つに切れている様子だけを見て、「流石ですね」「いつもながらお見事です」などと言ったよいしょよいしょのコメントを素人の方はSNSでつけるのです。

確かに経営者としては試斬会等で商売になるのなら、それは経営という角度から見ると正しい姿なのかもしれません。ですがそんなコメントに一喜する素人先生によって益々刀に負担をかける間違った刀法が広まり、それを漫画や絵のモデルとするため、刀剣や武術の知識を持たぬ人の間で、間違いが正しいものにすり替えられてしまうのです。実に嘆かわしいことではありませんか。

畳表は反撃してこない。刃筋とスピード、物理法則さえ合えば、多少刃筋が狂おうとも切れてしまうもの。故に意味のない試斬は本来行うべきではないのかなと私は思います。

今現在、海外に流出した刀剣も含め、日本刀の現存数は莫大です。故佐藤寒山先生曰く、戦前で600万振。戦後破棄されたり流出した物を除いても、300万振は残っていると言われます。何故これまでの数の日本刀類が残っているのかと言えば、使用されなかったからです。

時折刃筋確認のため、刀を使って物を両断する士はいたかもしれませんが、今の時代のように頻繁には行われていなかったのが事実です。

話を素人先生による試斬会に戻しますが、動画を見ていると酷いものです。愛刀家の私は思わず目を覆いたくなる。そんな動画が多々あり、そういう動画に限って再生回数は多く、素人によるいいねもたくさんついています。

頭上に振り上げた刀を、手首で斜めに角度を付けさせ振らせるわけですが、そもそもこの行為自体が間違い。畳表や竹を切るだけなら勿論問題はありません。物理法則に適えば切れるのですから。

 

私が今ここで語りたいのは武術としての袈裟。

ここのところ私が居合術を指導する居合道場修心館では、居合の形稽古を2週間程行っていません。ただひたすら袈裟の稽古をさせています。

袈裟斬が単に斜めに刀を振り下ろすことなら、門弟たちの貴重な時間を単純な同じ動作の繰り返しに充てたりはしません。私の下で修業11年目になる最古参門弟の柳原ですら、未だに満足いく袈裟ができず悩んでいます。

それほどまでに武術としての袈裟は難しいのです。

袈裟は腕で角度を作るものではなく、骨格、身体全体を使って作るもの。上段に構えたところで腕を掴ませ、相手と力ぶつかることなく袈裟に構えることができれば、それは武術としての完成された袈裟です。力がぶつからないと言うことは、袈裟に構えた時点で腕を掴んでいた相手が崩れます。そしてお互いに高い修練を重ねた者同士になると、身体に触れてもいないのに、袈裟に構えられただけで身体が崩れます。傍から見ればやらせのように見えますし、今現在の居合、剣術の世界では、間違ったものが正しいことと教え広められているため、私の袈裟理論についてもなかなか受け入れてはもらえませんが、実際に体感された方々は目から鱗が落ちたと驚かれます。

ここで全てを書き綴るわけではなく、私の門弟や私の居合に理解を示して下さる方に、今はヒントだけをお知らせしたいと思います。

 

全身→真向

半身→袈裟

 

半身とは身体をひねることではない。

身体を横に向けることでもない。

 

 

最後に、私がここで言う袈裟が出来るようになると、己の刀を損傷させにくいという効果もあることをお知らせします。

腕で角度を付け、袈裟に斬っている間は刀にかかる負担は大きい。正しい袈裟ができれば刃筋が狂うことはありません。

腕で袈裟に斬ると相手の刀とぶつかった時、刀は必ず破損しますが、正しい袈裟ではせいぜい刃先を丸めるか、刃こぼれしても小さなもので済みます。

御興味があれば、お互い木刀を構え、正眼に構えた相手の木刀に、ゆっくりと袈裟に振り下ろして下さい。手で袈裟に振っている間は相手の正眼を崩すことはできず、己の木刀が相手の木刀に沿って流れますが、正しい袈裟ができていれば、相手の正眼が簡単に崩れ、己の袈裟の軌道は保たれたままとなります。

これはつまり、振り始めから振り終わりまで、刀と己の身体が完全に一致しているからであり、逆を言えば最初から刀と己が一つになっているため、先を取られた時には己が大きく崩されてしまいます。

じゃ、ダメじゃん!

と思われる方がおられるでしょうが、崩れること、崩されることが察知できる体幹を身に付けると受身を取ることができるようになりますからそこはあまり問題はなく、注目してもらいたいのは強く打ち込んだにもかかわらず、刀の損傷が小さいということ。先をとられると力は己に返ってきます。故に刀の進行方向とは逆の方に力が進むと言いますか、衝突がなくなるため、刀が損傷しづらいのです。

言葉や写真、動画を駆使しても、こうした僅か0.1ミリの動きで相手を崩すという武術としての身体操作は、なんとなく想像することができたとしても正しくは伝わりません。故に真摯に何かを学びたい、身に付けたいと考えたとき、近場のありふれた道場へ通うのではなく、その道の一流と言われる人に師事することが大切。

ただし、体現できても教えるのが下手な一流人もいます。この場合、言葉も生活習慣も何も知らない土地にいきなり放り込まれて生きていくのと同じで、辞書すらない中、自分で翻訳し、正しく理解する必要があります。時間はどうしてもかかりますが、本来武術とはそういうもの。習いだして半年や1年で段位を取得できる今の居合、剣術の世界には疑問符しかつけられません。

巻貝散研出鞘打刀拵が見事な室町後期の大磨上無銘古刀

巻貝散研出鞘打刀拵が見事な室町後期の大磨上無銘古刀
無銘
– Mumei –
 
大磨上無銘、室町後期の末関辺りと鑑せられる古刀です。
杢目肌の地鉄に仰々しくない初期の頃の三本杉刃文を焼き上げており、尖り刃交える。
 
附属の拵は、小さな巻貝を薄切りにして嵌め込み、漆をかけて研ぎ出した変わり鞘で、指表の栗形から下より中鎬を立て、柄は卯の花色の細糸にて蛇腹巻きに仕上げてあり、贅沢な造りになっています。笹に虎図の色鐔も上品でこの拵に相応しい。
 
裸身重量594グラム。  拵に納めて鞘を払った重量920グラム。

刀心特製居合刀の即納可能な物を入荷致しました!!

刀心特製居合刀の即納可能な物を入荷致しました!!
最短で翌日にはお手元に!!
 

武州住康重 ~刃長が魅力的な在銘の下原古刀!!~

武州住康重
– Bushu ju Yasushige –
 
 
武州下原刀は、武蔵国弾軍の恩方村、横川村、慈根寺村(元八王子村)等に散財した山本姓を名乗る一族の刀工群が製作した刀剣類の総称で、現在の東京都八王子市で活躍しました。
この地は管領山内上杉領で、上杉家の老職(武蔵守護代)の滝山城主大石道俊、そして、小田原北条氏の関東制圧後は三代氏康の次男八王子城主北条氏照の庇護を受け、二代周重は北条氏康から”康”の一字を賜り「康重」と改名。康重の弟は、北条氏照から”照”の一字を貰い{照重}と改名。その後、徳川家からも厚く庇護され、その御用を勤めました。中には水戸光圀から一字を賜った刀工も居ります。
作刀上では室町時代末期より、安土桃山、江戸時代を通して、周重・康重・照重・廣重・正重・宗國、安國等の刀工を生み、代々下原鍛冶の伝統を受け継ぎ、江戸初期からは新刀伝をとり入れた作刀も多く見られ、下原鍛冶は十家に及び「下原十家」と言われました。江戸中期以降になると衰退するも、幕末まで続く武州唯一の刀工群です。
 
この刀は杢目肌がよく練れて肌立ち、湾れ調子の互ノ目刃文には砂流が見られます。
磨り上げられながらも銘はしっかりと残っており、元の方に疵気があるも、二尺三寸五分近い刃長を有しており、武用刀としても鑑賞刀としてもお楽しみ頂ける、手持ちバランスも良い一刀です。
現状のままでも問題ありませんが、再度研磨を施して地刃の冴えをお楽しみ頂きたく存じます。
 
裸身重量733グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

和泉守藤原信屋 ~模擬刀の拵転用可能!!~

和泉守藤原信屋
– Izumi no kami Fujiwara Nobuie –
 
 
杢目肌よく練れて肌立ち、鎬地柾がかる。刃文は中直刃調に刃縁に豊かな変化を持たせ、足頻りに入って小乱れを成す。
 
模擬刀の拵転用可能。安価にて拵付きの一刀に仕上げることができるので、女性や少年、単寸の武用刀をお探しの方にもお薦め。
 
裸身重量774グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

助久 ~安価にて拵を製作可能!!~

助久
– Sukehisa –
 
 
未鑑につき、いずれの助久なのか詳細は不明。
小板目肌杢交じり、刃文は互ノ目乱れで刃縁に小沸が付き、乱れの谷に細かな砂流かかる。
お求め易い低価格にてご案内致します。これから刀剣趣味を始められる方を始め、様々な刀剣愛好者の方、是非この機会にご検討下さい。
 
裸身重量683グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘

無銘
– Mumei –
 
 
小板目肌良く練れて淡く映り立つ。刃文は明るく冴え、直刃調に僅かに湾れごころを交え、足盛んに入って小乱れを形成し、元は匂口締まるも、先に行くに従って深くなる。
 
付属の拵は、柄の鮫に藍鮫を用い、総体的に質素剛健な印象を与えます。切羽はうぶの素銅地金鍍金。
現状でも地刃の御観賞は可能ですが、出来が良い一刀ですから、然るべき上手な研磨を施し、保存刀剣鑑定御受審をお薦め致します。
 
裸身重量712グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1011グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

播磨大掾藤原忠國 ~昭和26年福岡県大名登録刀!~

播磨大掾藤原忠國
– Harima Daijo Fujiwara Tadakuni –
 
 
肥前の忠國は三代が数えられ、初代忠國は初代忠吉の門人。慶長3年(1598)に生まれ、父は橋本六郎左衛門といい、初代廣貞である國廣の弟として生まれ、初銘を肥前国住人広則と銘し、後に吉家と改銘した刀工。
忠國は寛永11年(1634年) 37歳で播磨大掾を受領して忠國と改銘、同時に小城藩の抱工となりました。肥前に住し、播磨大掾藤原忠國と銘し、後に播磨守と改銘。晩年には入道して休鉄と号し、元禄4年(1691年)94歳にて没した長寿の刀工で新刀上作に列せられており、茎に菊紋を切ったものもある。匂口の深い互の目乱を得意とする技倆の極めて優れた刀工として知られる。
 
この脇指は初代忠國の手になる作品で、古研ぎのため拭いボケして地の冴えが写真では感じ辛いものの、特別保存刀剣鑑定書が交付された脇肥前の名工の作だけあって、刃文の冴えと出来は見事。小板目肌よく練れて詰み、地沸ついた精美な鉄に、ふわりとした互ノ目乱れには小沸が盛んに付いて、随所に砂流や金筋がかかり、観る者を飽きさせません。
 
鐔や柄前はありませんが、小柄笄櫃が付いた黒蝋塗の鞘が付属しているので、お好みの金具で柄を造ってお楽しみ下さい。更に欲を言えば再度上研磨を施して御愛蔵頂きたい名品です。
※特別保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より到着次第お送り致します。
 
裸身重量439グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

不詳(吉□) ~愛刀家の心をくすぐる一刀~

不詳(吉□)
– unknown –
 
 
二尺四寸九分近い刃長を誇る古い在銘の太刀。元は茎の反りももっと深かったであろうことが、茎反りを伏せた様子から窺えます。
地鉄は小板目杢交じって柾流れ、映りが立ち、刃文は柔らかい感じの中直刃を焼き、刃縁に地鉄に絡んだ細かな変化を随所に見せ、古雅な雰囲気を楽しめます。
佩表丸留の樋下に『□一七』と管理番号が切られており、元目釘穴の上に二字銘が見られるも、現状では判読が難しい状態ながら、一文字目は『吉』と読むことができそうです。
 
研磨、はばき、白鞘の新調と、この太刀を育てるにあたっては、時間と費用がかかりますが、古刀好きの愛刀家の心をくすぐる一刀。小鎬に迫る樋先も古式ゆかしく趣があります。購入者の手で愛情をかけて育ててください。
 
裸身重量746グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。