半生を振り返る

以前にも記述しましたが、修心流の名は私の妻が命名してくれたものです。

自分で命名したものではないからでしょうか、これまで思ったことは歯に衣着せず口にしてきましたし、やりたいことをやりたいように、己勝手にやってきた半生だったと思います。

聖人君子を演じる気持ちは今後も一切ありませんが、アメリカや北京にも支部ができ、長男も梅田方面で居合指導をするようになった今日となっては、修心流という大家族の大黒柱に相応しい人格を備える必要性を感じるようになりました。

早いもので今年で44歳になります。

最近思うこと、考えることは、死後の世界のこと。

人は死ぬとどうなるのだろう?

悔いのない人生を全うできるだろうか?

80歳まで生きることができたとして、既に折り返しに入った我が人生。

既に悔いることばかりの半生ではありますが、これから先は北斗の拳のラオウのように、「我が生涯に一片の悔いなし」と言える生き方ができるように、今更ながらではありますが、修心流の名に因んで心の修業も少しずつ始めてみようかと思います。

 

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