無銘 ~研ぎ上がったばかりの清々しい一刀~

無銘
– Mumei –
 
 
小板目肌良く練れて少しく肌立ち、地景入った地鉄に、匂口明るい直刃を焼きあげた作品。当店にて観賞用上研磨済みですので、御手をかけることなく研ぎ上がったばかりの地刃の冴えをご堪能頂けます。
特に目立つ疵欠点もございませんので、是非保存刀剣審査を御受審下さい。
 
附属の九八式陸軍刀拵は鉄鞘で、鐔や目貫の鍍金状態も程良く、柄は当店にて上柄巻きを施しました。個人で同諸工作を行いますと、ざっと26万円を超える高額のコストをかけておりますが、お求め易い価格にてご案内致しますので、是非この機会に研ぎ上がったばかりの清々しい一刀を御入手下さい。
 
裸身重量598グラム。  拵に納めて鞘を払った重量987グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

元興入道松軒造之 万延二年二月日 ~二代元興の完璧なる一振~

元興入道松軒造之 万延二年二月日
– Motooki Nyudo Shoken –
 
 
松軒元興は、角大八元興の孫にあたり、角大助と称す。父、角大治秀国は26歳で早世の為、祖父の銘を襲名。初代角大八は江戸の水心子正秀の弟子となって鍛刀を学び、会津藩の命により薩摩に行き、元平門人となって銘を元興と改めました。二代となる松軒元興は、作刀の技術を、初め道辰ら会津刀工から学んだものと思われ、また、安政4年、会津藩松平家からの預かり弟子として七代石堂運寿是一に入門。是一との合作もみられます。
安政6年、入道して「松軒」と号し、慶応2年7月には「大和守」を受領すると共に名を祖父と同じく「秀国」と改め、明治24年3月、80歳にて没しました。
 
松軒元興は名工揃いの会津刀工の中でも特に上手として知られ、初代よりも上手で優れた出来の刀を残しており、名工揃いの会津刀工のなかでも異才を放つ上工としてその名を知られています。
幕末の動乱の中、会津藩主、松平容保公が京都守護職に就任し、会津藩兵を率いて京都の治安回復のため上洛すると、松軒元興も会津十一代和泉守兼定らと同じく上洛し、京都にて会津藩士や新選組隊士のために鍛えた京打ちが見られ、新選組局長である近藤勇や副長である土方歳三の佩刀の中にも「大和守秀国」銘の刀があったと伝えられます。
 
この脇指は、柾目肌がよく詰んだ地鉄に地沸が強く厚くつき、刃文は互の目・小互の目を連れて焼き、足入り、沸が厚くつき、総じて沸が強く、刃中一面が沸えて、金筋入り、砂流しが幾重にもかかるなどの優れた出来映えを示し、師である石堂運寿是一を彷彿とさせる出来口。よく沸づいた丁字乱れには破綻が無く、松軒元興の技量の高さを窺い知ることが出来ます。
指裏棟角には5~6ヶ所に刃疵があり、内1つは鎬地にまでかかっており、会津藩士が会津戦争で用いたものであろうか。歴史浪漫を感じさせる一刀です。
附属の茶石目塗鞘脇指拵(肥後拵)は数寄者によって最近に製作されたものですが、鹿革でしっかりと巻かれた柄巻きや、本漆による古式にのっとった鞘塗など、贅を尽くした逸品です。
※特別保存刀剣鑑定書は日本美術刀剣保存協会より当店に到着次第お届け致します。
 
裸身重量468グラム。  拵に納めて鞘を払った重量714グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

将平作 平成二十八年秋 ~貴方好みの一刀としてご所持頂けるセミオーダー懐剣~

将平作 平成二十八年秋
– Masahira saku –
 
 
藤安将平刀匠は昭和二十一年福島県伊達郡生まれ。昭和41年長野県坂城町の刀匠、故人間国宝、宮入行平師に入門。
昭和50年福島県立子山に鍛刀場を開設して独立。以後作刀の研究修練を重ね日本美術刀剣保存協会優秀賞3回、奨励賞6回、努力賞7回を受賞。平成2年には日本美術刀剣保存協会会長賞受賞。同14年日本美術刀剣保存協会寒山賞を受賞。
 
尾張熱田神宮、奈良護国神社など多くの神社で奉納鍛錬を行い、平成20年には、704年、佐備大麻呂の作剣以来、およそ千三百年ぶりに常陸鹿島神宮において日本刀奉納鍛錬を行う。
 
昭和59年秋には伊勢神宮第61回式年遷宮、御神宝太刀謹作奉仕の大役も担い、先の震災で大きな被害を受けた福島県南相馬の御刀神社復興支援にも大きく尽力され、御神宝となる直刀を謹作奉仕し、直近では福岡の宮地嶽古墳出土大直刀の復元鍛錬など、現代日本刀匠屈指の作刀技術を持っている。
 
平安、鎌倉時代の古刀剣再現への強い想いを持ち、長年研究修練に取り組み、国宝、重要文化財やそれに類する刀剣類、全国の砂鉄や鉄文化の知識見識も豊富で、太刀、刀、短刀、脇指、薙刀、古代直刀など、どれを手掛けても正確で美しい刀姿を造り上げる。地鉄、焼刃の手際も鮮やかで幅広い製作能力を誇り、中心鑢や銘文といった中心仕立ても現代刀匠随一で、師である行平没後、師の実子である宮入小左衛門行平(宮入恵)を預かり、弟子として鍛刀修業を積ませた経緯からも、師の信任が厚く、その技量の高さを物語っている。
 
近年は奈良正倉院収蔵の直刀、手鉾のなど奈良時代の刀剣類の研究、復元製作にも取り組まれ、上記の御刀神社奉納直刀の焼刃などは神域に入られたと言っても過言ではない。
 
古刀再現の第一人者として、また、鉄をも裁断する利刀を鍛えることでもその名が高い名工藤安将平。当店々主である町井勲とタッグを組み、真の実用兼美の名刀造りに今も勤しんでいます。
 
この短刀は平成二十八年秋に鍛えられた三口のうちの一口で、女性用懐剣やお子様の御守刀として頃合いの短寸短刀です。小板目肌柾流れの良く練れた地鉄は少しく肌立ち、淡く映りごころがあり、匂口明るく冴えた直刃を、互ノ目腰刃を交えて焼きあげた古刀然たる作風は、古刀再現の第一人者として名高き将平ならでは。返りには翁の髭の如き沸筋を垂れ下げ、実に味わい深い作品となっています。
お買い上げ頂いた方の御家紋を彫刻できるよう、はばきは刃と棟方にのみ牡丹祐乗鑢をかけ、表裏は磨地にしております。また、目貫もお好みの物を装着頂けるよう、取り付けておりません。いわば貴方好みの一刀としてご所持頂けるセミオーダー懐剣です。
観賞用上研磨、拵、白鞘、はばき等、全ての工作を当店にて行いました。研ぎ上がったばかりの将平刀の地刃の冴えを存分にお楽しみください。
 
裸身重量83グラム。  拵に納めて鞘を払った重量122グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

将平作 平成二十八年秋 ~あなた好みに仕上げが出来るセミオーダー懐剣~

将平作 平成二十八年秋
– Masahira saku –

http://nihontou.jp/choice03/toukenkobugu/tantou/174/00.html

藤安将平刀匠は昭和二十一年福島県伊達郡生まれ。昭和41年長野県坂城町の刀匠、故人間国宝、宮入行平師に入門。
昭和50年福島県立子山に鍛刀場を開設して独立。以後作刀の研究修練を重ね日本美術刀剣保存協会優秀賞3回、奨励賞6回、努力賞7回を受賞。平成2年には日本美術刀剣保存協会会長賞受賞。同14年日本美術刀剣保存協会寒山賞を受賞。

尾張熱田神宮、奈良護国神社など多くの神社で奉納鍛錬を行い、平成20年には、704年、佐備大麻呂の作剣以来、およそ千三百年ぶりに常陸鹿島神宮において日本刀奉納鍛錬を行う。

昭和59年秋には伊勢神宮第61回式年遷宮、御神宝太刀謹作奉仕の大役も担い、先の震災で大きな被害を受けた福島県南相馬の御刀神社復興支援にも大きく尽力され、御神宝となる直刀を謹作奉仕し、直近では福岡の宮地嶽古墳出土大直刀の復元鍛錬など、現代日本刀匠屈指の作刀技術を持っている。

平安、鎌倉時代の古刀剣再現への強い想いを持ち、長年研究修練に取り組み、国宝、重要文化財やそれに類する刀剣類、全国の砂鉄や鉄文化の知識見識も豊富で、太刀、刀、短刀、脇指、薙刀、古代直刀など、どれを手掛けても正確で美しい刀姿を造り上げる。地鉄、焼刃の手際も鮮やかで幅広い製作能力を誇り、中心鑢や銘文といった中心仕立ても現代刀匠随一で、師である行平没後、師の実子である宮入小左衛門行平(宮入恵)を預かり、弟子として鍛刀修業を積ませた経緯からも、師の信任が厚く、その技量の高さを物語っている。

近年は奈良正倉院収蔵の直刀、手鉾のなど奈良時代の刀剣類の研究、復元製作にも取り組まれ、上記の御刀神社奉納直刀の焼刃などは神域に入られたと言っても過言ではない。

古刀再現の第一人者として、また、鉄をも裁断する利刀を鍛えることでもその名が高い名工藤安将平。当店々主である町井勲とタッグを組み、真の実用兼美の名刀造りに今も勤しんでいます。

この短刀は平成二十八年秋に鍛えられた三口のうちの一口で、女性用懐剣やお子様の御守刀として頃合いの短寸短刀です。柾目鍛えが良く練れて少しく肌立った古刀然たる地鉄には淡く映りが立ち、匂口明るく冴えた直刃調小湾れは、先よく掃きかけて火炎がかり、大人しい作柄に見えるも覇気に満ちた出来です。
お買い上げ頂いた方の御家紋を彫刻できるよう、はばきは刃と棟方にのみ牡丹祐乗鑢をかけ、表裏は磨地にしております。また、目貫もお好みの物を装着頂けるよう、取り付けておりません。いわば貴方好みの一刀としてご所持頂けるセミオーダー懐剣です。
観賞用上研磨、拵、白鞘、はばき等、全ての工作を当店にて行いました。研ぎ上がったばかりの将平刀の地刃の冴えを存分にお楽しみください。
※指裏棟区とはばき上すぐのところに目立たぬ鍛え筋在り。

裸身重量77グラム。  拵に納めて鞘を払った重量118グラム。

各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

堀井胤匡作 平成丙子八年如月吉日 山縣家 ~堀井胤匡刀匠会心の一作~

堀井胤匡作 平成丙子八年如月吉日 山縣家
-Horii Tnetada saku –
 
 
堀井胤匡刀匠は、本名を堀井重克と言い、堀井胤次刀匠の子として昭和29年3月30日に北海道室蘭市に生まれました。室蘭工業高校を卒業後、昭和47年、日本製鋼所室蘭製作所に入社。叔父である堀井家四代目当主:堀井信秀刀匠、そして父:堀井胤次刀匠に師事し鍛刀の業を磨き、昭和54年、文化庁より製作承認の許可を得、平成14年より瑞泉鍛刀所の四代目刀匠に就任しました。
堀井家の系譜は 堀井胤吉(月山貞一・大慶直胤門人)、二代堀井胤明、三代(瑞泉初代)堀井俊秀、四代 堀井信秀、分家堀井胤次、現当主堀井胤匡と続いています。
 
太刀は福岡一文字写しの豪壮な一刀で、柾流れの地鉄が良く練れて詰み、匂口明るい重花丁子を巧みに焼き上げ、刃中には長い砂流や金筋が随所に見られ、足よく入った華やかな作品。注文主である山縣家の家宝として財を惜しまず鍛えられたこの太刀は、研磨も入念なる上研ぎが施され、はばき、白鞘共に上手の工作がなされた逸品で、美術鑑賞刀として申し分ない胤匡刀匠会心の一作です。
 
裸身重量883グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

豊後住友行 ~豊後高田友行の最高傑作~

豊後住友行
– Bungo ju Tomoyuki –
 
 
豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。 古来より実用刀としての評価が高い一派で武用刀として数多の武将に愛用されました。
 
友行と銘切る高田派の刀工は、古くは南北朝前期の建武から計9名が確認されており、この脇指は江戸前期から中期頃の友行の作。
身幅広めのどっしりとした体配で反り程好く、元禄頃の作と鑑て良いかと思います。杢目肌良く練れて少しく肌立った精良な地鉄に、匂口明るく冴えた互ノ目丁子を焼き、足よく入り、刃縁よく沸づき、刃取りは表裏揃いごころで、飛焼を交え、華やかで頗る出来が良く、疵欠点皆無。下地や仕上げの研磨も腕の良い研師によってなされているため、凛とし、地刃の冴えもじゅうにぶんに引き出された友行の傑作刀で、本間薫山先生も鞘書の中に佳作として高く評価されておられる逸品です。
御購入後は是非特別保存刀剣鑑定を御受審下さい。
 
裸身重量402グラム。  拵に納めて鞘を払った重量574グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

肥前佐賀住國廣 ~肥前刀の妙味がお楽しみ頂ける一刀~

肥前佐賀住國廣
– Hizensaga syu Kunihiro –
 
 
肥前國廣は初代忠吉の異母弟であり、門人でもあった相右衛門廣貞の長男で、名を橋本六郎左衛門と称した脇肥前を代表する刀工の一人で、寛永から万治に至る年紀入りがあり、八十五歳という長寿を全うしました。
この系統は皆乱れ刃が上手で、特に國廣は廣貞の如く激しい乱れ刃を焼いて上手です。弟の播磨大掾忠國(初代)に比して作品数は極めて少なく希少であり、その技量は頗る高いことで知られます。
古来より切れ味の良さに定評があり、江戸期の著書「古今鍛冶備考」にも業物として記載され、『山田浅右衛門押型』所載の國廣は、『脇毛之辺、落可申候』と注記があります。
 
本作は身幅重ねしっかりとして反りやや浅く、切先やや延びごころの体配で、良く練れて詰んだ小板目肌に互の目丁子を焼いた作品で、足盛んに入り、刃中には砂流が顕著に見られ、よく沸づいて冴えた匂口を示すなど、脇肥前の技量を余すことなく発揮しており、観賞刀として価値高い一振です。是非この機会に現存作品少ない希少な國廣を御入手ください。
現状でも御鑑賞頂けますが、出来良い一刀だけに、再度上研磨を施してお楽しみ頂くと、更に本刀の出来の良さをご堪能頂けます。当店にて上研磨御依頼の場合、5万円の研磨補助金を進呈致します。
※刀552の無銘國廣と併せ大小でご所持頂きたい一刀です。
 
裸身重量536グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

於江府長寿斎綱俊 文久三年三月日 ~初代綱俊最晩年作~

於江府長寿斎綱俊 文久三年三月日
– Chojusai Tsunatoshi –
 
 
綱俊は和泉守國秀の三男で、山形藩工で濤瀾刃の名手であった加藤綱英の弟。寛政十年(1798)生まれ。本国出羽、米沢藩上杉家の抱工という。加藤八郎と称し、是俊とも銘しました。
水心子正秀に学んで長運斎と号す。江戸に移住し、更に大坂に上がり、鈴木治國に師事した後に西国を遊歴し、熊本に駐槌。安政三年(1856)に長運斎の号を息子の是俊(二代綱俊)に譲り、号を長寿斎と改めました。
文政六年(1823)頃より江戸麻布の上杉家中家敷に住み、文久三年(1863)十二月に同屋敷に於いて六十六歳で没しました。
甥に七代石堂是一、弟子に固山宗次、高橋長信、青竜軒盛俊など優れた門人がおり、幕末の江戸で一大流派を築いた名工で、殊に備前伝では水心子一門を凌ぐ勢いであったと言われています。
 
本作は大和伝に私淑した作品で、よく詰んだ地鉄に明るく冴えた直刃を焼き、食違風の刃や、打除、二重刃風の刃が交じり、小足よく入って穏やかな作品でありながらも見所が多く、年紀から察するに綱俊最晩年の作で資料価値としても高い一刀です。
出来良い一刀ですので、更に地刃の冴えをご堪能頂くべく、余力ある方には上研磨を施して頂くことをお薦め致します。
 
裸身重量584グラム。
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

平安城住信吉 ~大名家伝来の一刀~

平安城住信吉
– Heianjyo syu Nobuyosi –
 
 
平安城長吉系の鍛冶で、時代背景と寸法から鑑て、脇指ではなく、短寸の打刀として鍛えられた一刀。
丹精に練られた杢交じりの小板目肌に一切の破綻は無く、少しく肌立って精美。湾れ調子に互ノ目を交えた刃文は、匂口明るく冴え、刃縁よく沸づき、随所に砂流が見られ、刃縁の変化に富み、返りは大きく焼き下げて棟焼きを形成しています。
登録は昭和26年山形県に於ける大名登録で、3月の登録ですから、山形県内に存在した庄内藩や米沢藩上杉家など、著名大名家の旧蔵品であったことが窺い知れ、本刀はそれら大名家が所蔵するに相応しい出来の名品です。手頃なお値段でご紹介しますが、価格以上の名刀です。
現状古研ぎにつきやや拭いボケ感がありますが、仕上げ直しまたは上研磨を施すと、更なる地刃の冴えをご堪能頂けます。研磨後には是非特別保存刀剣鑑定を御受審下さい。
 
裸身重量563グラム。
 
 
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

鐔三点追加しました。