藤原貞行

藤原貞行
藤原貞行
– Fujiwara Sadayuki –
 
豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。 古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用されました。
 
この脇指は古刀の高田派でありながら藤原姓を銘切った品で、腰元より上から強く反り始め、寸法の割に総体に反りが深めの体配。表裏刀樋を丸留とし、杢目肌が肌立って大肌目立つ地鉄に、明るく冴えた互ノ目乱れを焼き、刃中には砂流や足が入るなど、見所も豊富な古刀脇指です。
※物打と横手付近に極小の刃毀れが在ります。
 
裸身重量492グラム。

町井家の端午の節句

長男、次男、三男までは本歌甲冑と陣太刀や弓、鉄砲などを飾って端午の節句を祝っていたのですが、子供の数が増え、四男以降になると、甲冑を出して飾るのも億劫になり、また、店内には常に五領の甲冑を飾っていることもあって、本格的なお祝いをすることがなくなっていました。

ましてや妻にしてみれば甲冑を部屋に飾るのは、なんだか怖い… という女性ならではの反応も…

そうして長らく行われていなかった町井家の端午の節句が、数年振りに蘇ったと言う今回のお話。

 

妻に頼み込んでようやく「5月中だけね。」と、床の間に甲冑を飾る許可を得たのが一昨日のことでした。

実は六年前、松代藩真田家臣、神戸家の子孫の方から、直接家伝の甲冑一式をお譲り頂きまして、いつかは飾りたいと夢見ていたのです。因みにご子孫の方、お子様がおられなかったため、私にお譲り下さった次第です。

骨董市場に出たことがない家伝の甲冑ですから、巷で見かける各部寄せ集めや、三具がすりかえられたものではなく、完全なオリジナル。これ、今の時代には本当に貴重なのです。

業者が集う交換会(競り市)を覗いたことがある人ならご存知でしょうが、一式揃った甲冑が、売り手の都合によって躊躇無くバラ売りされています。これは兜や面頬だけを収集する数寄者にも原因があります。

骨董市でもたまに見かけますが、「胴は要らんねん。場所とるし飾る場所ないからなぁ。兜だけ売ってくれへんか?」と交渉する人が結構多いのです。

また、一式揃っているものに対しては付加価値をつけるべきところが、何故か骨董の世界でも家電のセット売りの如く逆に安く販売されているのも、甲冑がバラされてしまう要因の一つ…

そうした現在ですから、尚のことこの神戸家の具足は貴重であり、私は売却することなく、町井家の家宝として後世まで遺し伝えたいと考えている次第です。

さて、この甲冑への想いを熱く語ってしまいましたが、節句祝いに話を戻します。

神戸家の具足は一荷櫃と呼ばれる二個一組の鎧櫃に納まっています。

まずはバランスよく床の間の中央に二つ並べて行きます。写真は鎧櫃を置くための台で、こうした付属品もしっかりと残っていることは非常に好ましいですね。

鎧櫃から各部を取り出し、梱包を解いていきます。

籠手に施された繊細な仕事。鎖の編み込みも丁寧。何よりも鉄味が良い。ただならぬ甲冑であることが籠手を見るだけで判ります。

飾り付けの準備をしていると、三男が「お父さん、面頬つけていい?」と言ってきたので、記念に一枚パチリ!

鎧櫃に同梱されていた采配も添え、甲冑飾り完了!!

しかし、最後の最後にとんでもないミスが発覚。

鶴首と呼ばれる前立を兜の祓立に装着するための金具を、鎧櫃の中に残したままでした(愕然

折角飾り付けたのに、鎧櫃の蓋を開けるためにだけにまた飾りつけし直し…

悪魔が囁きました。

「このままでいいじゃない?」

と(笑

 

台所から割箸を持ち出し、適当な大きさに加工して、即席鶴首(鶴首状ではないが)を造って前立を装着。

 

そのため前立が本来の位置より2~3センチ上になってしまいました…

が、まぁ、そういうミスもあるということで…

 

では、以降劇的ビフォーアフター口調でお読み下さい。

 

 

♪BGM

なんということでしょう。

掛軸しかかかっていなかった床の間が匠の手によって荘厳な空間へと変貌を遂げました。

 

 

床の間に佇む神部家の甲冑。

赤備えで名を馳せた真田家。その家臣である神戸家の甲冑も、胴を赤の萎革包としています。

甲冑を気持ち悪がっていた町井さんの奥様も、この甲冑が織り成す荘厳な空気に、きっと考えを改めてくれるに違いありません。

兜の祓立には、匠自ら割箸を削って造った鶴首モドキが…

一気に華やかになった町井家の和室。来年からは、毎年子供達が甲冑に眼を輝かせる節句が送られることでしょう。

弓も飾ろうと思いきや、将平刀匠に二張とも預けていることに気付いた町井さん。

せめて太刀だけでも飾ろうと思うも、家伝の太刀はショーケースの中、どうしたものかと思っているところへ、新たな匠(うぶ出し骨董商)が飾るに相応しい糸巻陣太刀をタイミング良く売りにやってきました。これには町井さんも大喜び。欲しい金額に気風良く2万円つけてお買い上げ。

早速店内(美術刀剣 刀心)から太刀を飾るに相応しい金梨地塗牡丹蒔絵の太刀掛を持ち出し、神戸家甲冑の左脇へ。

そして厳かに陣太刀を立て掛けました。

 

♪BGM

なんということでしょう

太刀を掛けたとたん、まるで昼間のように和室がパッと明るくなったではありませんか。

※実際には甲冑を飾りつけた夜から日が変わり、五月五日のお昼になっただけです(笑

采配は右側に置いた方がいいんじゃないの? と言った野暮なことは言ってはいけません。

こうして匠による立派な飾りつけで和室が豪華になったところで、町井さんの六男さんが戻ってきました。

「うわぁ めっちゃかっこいい!!」

立派な甲冑と陣太刀の飾り付けに六男さんも大喜びです。

こうして四男以降、長年催されることがなかった町井家の端午の節句も、無事再開されることになりました。

 

 

さて、このまま放置しておいて、六月になっても甲冑をそのまま床の間に飾り続けてやろう…

などと匠(町井)が目論んでいることは奥様には内緒です。

 

 

 

昭久

昭久
昭久
– Akihisa –
 
本名、山上重次。明治43年生まれ。栗原昭秀の日本刀鍛錬伝習所にて笠間繁継に作刀を学び、昭和9年、刀匠銘「昭久」を昭秀師より拝命して、昭和18年には陸軍受命刀工となり、陸軍軍刀展覧会においては特別名誉席に選ばれた、昭和の激動の大戦期に生きた名刀匠です。
 
戦前は、新作日本刀展文部大臣賞・海軍大臣賞・陸軍大臣賞などを受賞。
戦後は、昭和29年に作刀承認を受け、いちはやく作刀を再開し、新作名刀展では、努力賞・入選を受賞多数、後進の育成にも努めました。
 
銘文は 「昭久」、「山上昭久」など。 「日本刀を二度蘇らせた男 栗原彦三郎昭秀全記録」によると、山上昭久の刀は昭和17年(1942)における現代刀匠の暫定位列表においても「貴品上位」最上大業、検査役格でした。
 
この刀は匂口明るく冴えた直刃に小足を交え、細かな砂流や金筋を焼いた作品で、延びた帽子の鋭い姿も印象的。附属の九八式軍刀は珍しい木鞘に国防色の塗り。野戦用革覆は脱着が可能。継木は前所有者の思いが込められた銀色塗装描き刃文がなされています。
昭和の名工昭久の利刀を是非この機会にお求めください。余力ある方へは観賞用再研磨をお薦め致します。
※指表小鎬辺りに鍛え筋があります。
 
裸身重量780グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,103グラム。

濃州村山兼幸鍛

濃州村山兼幸鍛
濃州村山兼幸鍛
– Noshu Murayama Kaneyuki –
 
本名村山喜之一。明治36年生まれ。岐阜県加茂郡富田村羽生住。元陸軍受命刀匠で国工院会員名誉宗匠も務めた昭和初期の関の名工。陸軍受命刀匠として利刀を鍛えました。
兼俊の作品は地刃の美はさることながら、その斬れ味にも定評があり、聖代刀匠位列に於いては上工の列、大業物の位を得、大戦前夜・軍刀展刀匠第1部に於いては第二席、準国工の栄誉を得ています。
昭和13年5月には「関刀剣株式会社」の専属刀匠となり、丹羽兼信・丹羽兼延・交告兼上・土岐亮信・村山兼俊らの専属刀匠が鍛錬した昭和の名刀は、専属研師20名にて研磨され、それを約100名に及ぶ従業員達が外装を手がけ、大部分は軍部に納入されましたので、一般の注文には応じきれない状況だったと言われています。
 
この刀は古式鍛錬法にて鍛え上げられた軍刀で、特筆すべき鍛錬疵は無く、覇気溢れる匂口冴えた乱れ刃を焼きあげた作品。一部匂口沈んだ箇所がありますが、地刃の冴えは流石です。兼俊の地刃の冴えをお楽しみください。
※中心尻に原と読めそうな切り付け銘が読み取れます。所有者の姓かと思われます。
 
裸身重量785グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,148グラム。

菊紋 越前守源来信吉 吉田氏戈市 ~研ぎあがったばかり殻

菊紋 越前守源来信吉 吉田氏戈市 ~研ぎあがったばかり~
菊紋 越前守源来信吉 吉田氏戈市
– Echizen no kami Minamoto Rai Nobuyoshi –
 
越前守信吉は、京五鍛冶の一人として名高い初代信濃守信吉の三男で、銘を「越前守源信吉」「入道源来信吉」「高井越前守源来信吉」などと切り、その作風は沸本位の互の目乱れを焼くが、井上真改に迫るような直刃の作もあり、晩年は大坂に移住して鍛刀しました。
 
この刀は柾目鍛えに直刃を焼いた作品で、緩やかに波打つ柾目肌は、あたかも波打ち際の砂浜を見るようです。刃文の匂口は明るく、小足を交え、砂流かかり、物打辺りには雲たなびくが如く二重刃を焼いており、一見単調な刃文構成に見えるも、見所が多い出来口で、三品系鍛冶であることを実感させます。
尚、菊紋が消されているのは、幕府側の士が、官軍を憎んでのことではないかと推測され、所持銘と思しき吉田氏戈市の切り付け銘と併せ、当時の幕府軍の士の心情を物語る資料として興味深いものがあります。
 
付属の拵は時代物故に鞘塗に補修痕が見られますが、鞘時代に割れは無く、鯉口のはばき袋も綺麗な状態ですが、塗り直しをご希望される方はお気軽にご用命下さい。※要別途塗賃
 
当店にて研磨を施しました。研ぎ澄まされた地刃の冴えを存分にご堪能下さい。
 
裸身重量611グラム。  拵に納めて鞘を払った重量861グラム。

無銘 ~乱れ映り立つ華やかな互ノ目丁子乱れ~

無銘 ~乱れ映り立つ華やかな互ノ目丁子乱れ~
無銘
– Mumei –
 
鍛錬疵皆無。匂口明るく冴えた互ノ目丁子乱れが華やかに焼かれた重ね厚目の短刀で、地鉄には乱れ映りが見られます。無銘であることが不思議な程出来が良く、付属の拵も鮫を研ぎ出し、親粒代わりに下地を円形に盛り上げ、そこに円状の鮫を貼り付けた変わり出来。目貫は古金工と鑑られ、橘紋二双に糸巻きの図。実用本位の鉄磨地の縁頭と鐔が添えられているところから、武に長けた上士の指料であったろうと想像されます。
切羽の一枚も欠けることなく、当時のまま現代に伝わる拵は大変貴重です。ご購入後は上研磨を施し、是非とも拵と共に保存鑑定を御受審下さい。
 
裸身重量235グラム。  拵に納めて鞘を払った重量387グラム。

無銘 ~小柄笄付き~

無銘 ~小柄笄付き~
無銘
– Mumei –
 
大きく磨り上げられ、中心に比して元幅が狭く感じられる。今日まで相当働いてきた一刀。
三ツ棟の鎬造りで柾目主体のよく練れて詰みごころの地鉄には淡く映りが立ち、小互ノ目連れた刃文は砂流や金筋がかかり、刃中良く沸え、匂口は刃先に向かって煙り込まず、肥前刀の如くブッツリと途絶えた箇所が見られます。
製作年代を前・中・後に区分せず、大きく室町時代と表記しましたが、南北朝末期~室町初期迄遡る可能性がございますので、是非一度保存刀剣審査を御受審下さい。
 
附属の半太刀脇指拵は、色の良い青貝を散らした渦模様の変わり塗り鞘に、赤銅磨地の一作金具を用い、目貫は文具図の粋なものが巻き込まれ、保存状態は良好。小柄と笄の二所物が失われていましたので、当店にて新作の小柄と笄をご用意致しました。こちらの小柄笄ご不要の場合は、表記価格より8,000円お安くさせて頂きます。
銀牡丹祐乗はばき、銀切羽、鐔の責金、全て当店にてしっかりとした仕事で施しておりますので、ガタ付きなくしっかりとしております。
 
裸身重量359グラム。  拵に納めて鞘を払った重量504グラム。

高田住正行

高田住正行
高田住正行
– Takada ju Masayuki –
 
豊州高田派は、豊後国高田地区(現大分市鶴崎近辺)で栄えた刀工一派で、古刀期の作に平姓を銘切るものが多いことから、それらを平高田と称し、新刀期以降は藤原姓を銘切るようになったことから、藤原高田と汎称します。
古来より実用刀としての評価が高い一派で、武用刀として数多の武将に愛用されました。
 
この脇指は杢目肌が練れて肌立ち、刃文は匂口沈んだ互ノ目乱れ。肌が荒れた箇所も見られますが、折損を免れるための造り込みが、沈んだ匂口からも観取でき、拵の都合や所有者の好みに応じて中心の反りを加えられており、上述の通りまさに実用刀として鍛えられた一刀であることがわかります。
これから刀剣趣味を始められる方向けに、お求め易い低価格でご案内致しますので是非ご検討下さい。
 
裸身重量363グラム。

壽命(寿命 としなが)

壽命(寿命)
壽命(寿命)
– Toshinaga –
 
大和系鍛冶が美濃に移り派生したと伝えられる寿命。幕末まで長く栄えた一派として著名です。刀剣界では“じゅみょう”と呼称されていますが、“としなが”と読むのが正しいようで、現存する作品の中にも“寿命トシナガトヨムベシ”と銘切った作品があったと記憶しております。 寿命と言う名に縁起良さを見出した武士達により、寿命の刀は祝賀の席での指料として、また、武家間での贈答品としても好まれました。※特に贈答には長物が好まれたと言われ、“長い寿命”と験を担いでのことだそうです。
 
この脇指は寸法長く、短めの刀、或いは特別な注文による長脇指として鍛えられた一刀で、杢目肌がチリチリと肌立ち、三本杉風の刃文を焼いた美濃物然たる作品で、堂々と大きく切られた寿命の銘も力強さを感じさせます。
指表物打より先の刃先と切先先端に一分変色した程度の錆が見られます。ご希望の方には部分研磨をお引き受け致します(有償)のでお気軽にご用命下さい。
 
裸身重量530グラム。

巻上・中心捕 ~フィンランドから来日の外弟子への指導~

4月29日、30日の両日、フィンランドから外弟子が修業のため来日しました。

修心流居合術兵法をフィンランドで紹介したいと、現地テレビスタッフを同行しての来日。ありがたいことです。

英語を話すことができない私を、シアトル支部長である尾中さんが電話でフォロー。ビジネス英語では伝えられない武術用語は、実際に武術を嗜む者でなければ通訳できません。長時間電話通訳にお付き合い下さった尾中さんに感謝。